団子と酒
「ん…」
ひゅるりと寒さを感じ、熙子は目を覚ました。寝ぼけ眼で部屋を見渡すと、まだ夜が明けていないことがわかる。冷たさを感じた肩に手をやって肌がむきだしなことに気付き、熙子はさっと顔を赤くした。軽く寝返りを打ち、傍らの光秀を見やる。彼もまた熙子と同じように衣を着けてはいない。暗闇で顔は見えなかったが、規則正しい寝息が聞こえ、熙子はふっと微笑んだ。すっかり目が覚めてしまった熙子はゆっくりと布団から起き上がった。ふと、暗闇の中に光がさしているのを見えた。襖が少し開いて、その間から月明かりが漏れ出ている。熙子は枕元に脱ぎ捨てられた夜着を手にとると、立ち上がってそれを羽織った。さらりとした布の冷たい感触に、思わず身体が震える。ゆっくりと光に向かって歩き、襖に手をかけた。
「…まあ」
真っ暗な夜空にまん丸な月がぽかんと一つ浮いている。夜の闇の中で、それは眩しいくらいに輝いていた。
「今夜は、満月だったのね」
熙子は言うと、月を眺めながら縁側に腰を下ろした。秋とはいえ、夜の空気は少し冷たかったが、目の前に広がせる光景はその寒さを忘れさせる美しさだった。熙子はふっと口元に手をやった。寝ていたせいか、乾いた喉が潤いを求めている。
「…月見には、お酒は欠かせないわよね」
誰も聞いていないのを忘れ、熙子はそっと呟いた。月を利用した、大義名分。熙子は立ち上がり、小さく笑うと縁側をぱたぱたと駆けていった。
「ん…」
光秀は身じろいで、自分の傍らに手をやった。不思議なことに、いつもそこにあるはずの柔らかい髪が手に当たらない。目を開けて、自分の隣に見やる。そこに、妻の姿はなかった。
「お熙?」
起き上がり、光秀は首をひねって枕元を見た。自分の夜着は確かにそこにあったが、同じように並んでいた妻の衣はない。どうしたのだろう、と光秀は首をかしげると、自分の夜着を手に取った。立ち上がり、帯を締め、そこでようやく襖が少し開いているのに気付く。そこから差し込む光を覗くようにして光秀は襖を開いた。
「あら、ごめんなさい。起こしちゃった?」
熙子が振り向いて笑う。その手にはお猪口があった。
「…綺麗な月ですね」
「でしょう? さっき、目が覚めて。今はお月見でも、と思っていたところだったのよ」
まだ寝ぼけ眼の光秀の目の前に、さっと酒の入ったお猪口を掲げて見せる。その手つきの危なさからもうすでに酔っているようだった。
「光秀様もどう?」
「いえ、私は酒は…」
慌てて手を振る光秀に、熙子はにっこりと微笑んだ。
「ご安心を。すでにご用意してあります」
すっと差し出されたものは、丸い皿の上に載った五本の団子だった。光秀が驚いて目を丸くする。
「わあ、ありがとうございます!…でも、どうして?」
「お酒におつまみは付き物でしょう? 丁度今日、頂いたところだったから」
はい、どうぞと、熙子は光秀に皿を手渡した。光秀は受け取ると、熙子と同じように縁側に腰掛け、団子を手に取った。一つ頬張って、空を見上げる。月は明るく輝いて、夜だというのに庭の池の鯉がはっきりと見えた。団子の串を皿に置くと、光秀はふと熙子を見た。
月明かりに照らされた頬は、酒のせいでほんのりと桜色に染まっている。桃色の唇は酒でうっすらと光っていた。
―美しい、人だ。
光秀は頭の中で呟くと、今度は彼女の手の内にあるお猪口に目をやり、そして二人の間に置いてある団子を見た。顔を上げ、再び熙子を見る。
「…お熙は嫌ではないのですか?」
「え?」
光秀の言葉に、熙子が不思議そうに振り返った。光秀は熙子のお猪口を見て言った。
「私は、下戸です。酒を飲めない男なんて情けない、とか思わないのですか?」
光秀が言うと、熙子はきょとんとした目で返すだけだった。
「それに、お熙はお酒が好きでしょう? 一緒に酒が楽しめないのは、退屈ではありませんか?」
淡々とした調子で聞く光秀に、熙子は目を丸くしたまま見つめ返した。光秀の目に、熙子の目に、互いが映る。しばらくたつと、熙子はついと月を見上げて口を開いた。
「んー…そうね、私はそういうことにはこだわらないから。お酒を飲めない男の人なんて沢山いるだろうし、お酒を好む女の人も沢山いるでしょう? でも、別にそれは悪いことじゃないわ」
熙子は呟くと、光秀の方へと向いた。
「たとえば、光秀様は私がお酒を飲むのは女らしくない、とか思う?」
「いえ、そんなことは…」
「それとおんなじです。私も、情けないなんて思ってないわ」
つい、と指で光秀の鼻先を突付く。
「それにね、大切なのはそんなことじゃないのよ」
熙子は悪戯っぽく笑うと、また空を見上げた。空には相変わらずまあるい月が浮かんでいる。
「こうして、並んで月を見て、同じように、月を美しいと思うことができるんだから」
また、熙子は振り返る。
「大切なのは、そういうことなのよ」
熙子が笑って、ぎゅっと光秀の手を握る。光秀は少しの間呆気にとられたような表情をしていたが、すぐに表情を緩めて同じように微笑んだ。
「そうですね」
軽く頷いて光秀は言った。そっと、月を見上げる。
―月さびよ
明智が妻の
咄せむ
―松尾芭蕉
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2004/10/18)
秋のお月見ネタでございましたー。光熙は縁側に腰掛けて、熙子はお酒、光秀はお団子。タイトルにひねりがない。
史実の光秀は下戸だったそうです。宴会の席で信長に『酒が飲めぬならこの刀を飲め!』と言われたという有名なお話があります。
世に言う信長の光秀イジメですね。これ以外にもいくつかあるそうですが…他にも、信長も下戸だったはずだからこの話は有り得ないとか。
冒頭の前に何があったかは、ご想像にお任せします(笑) …まあ、夫婦ですし、ね。
