風邪
「政宗様はとても賢い方なのですね」
「…突然、何を言う?」
「だって、馬鹿は風邪をひかないと言うではありませんか」
愛姫に言われると、政宗はふいと目をそらした。外は雲一つない青空だった。
「小十郎殿に聞きましたよ。桶狭間で大変暴れ回ったそうですね」
「別に、わしは好きで風邪をひいたわけではないのだぞ」
政宗は反論したが、すかさず、
「雨の中、傘も差さずに走り回ったのですから、同じことだと思いますけど」
と愛姫に言い返された。政宗はぐっと口をつぐんだ。愛姫がくすりと笑う。
「意地を張らずに大人しく休んではいかがですか? たまには、ゆっくり過ごすのもいいものですよ」
愛姫が言うと、政宗はふんとそっぽ向いた。
「こうして、わしが寝とる間にも国取り合戦は起きておるのだぞ」
「そうしたら、また取り返せばいいだけのことではないですか」
再び愛姫に切り返されて、政宗はまたも押し黙った。しばらくたってから、政宗はそっと天井に手を伸ばした。
「…つまらん。退屈だ」
「政宗様は退屈がお嫌いですか」
「嫌いだ」
そう言って、ぶすっと政宗は天井に伸ばした手を見つめる。そんな政宗を眺めて、愛姫が口を開いた。
「ならば、琴でも弾きましょうか」
「いらん。今はどんな音も雑音にしか聞こえん」
「ならば、囲碁でも打ちましょうか」
「いらん。今はどんな最良の一手も思いつかん」
「ならば、詩歌でも読みましょうか」
「いらん。今はどんな歌も楽しむことができん」
政宗が不機嫌そうに鼻を鳴らすと、愛姫はふうと溜め息をついた。
「わがままですねえ、政宗様は」
愛姫が言うと、政宗はすっと顔をそらした。政宗は愛姫の顔を見ずにそっと呟いた。
「別に、わしの傍についてなくとも良いのだぞ。看病なら、侍従の誰かがやってくれる。愛殿は邸に戻った方がいいのではないか?」
「政宗様は私に邸に戻ってほしいのですか?」
愛姫にまっすぐな目で見つめられ、政宗は慌てて否定した。
「違う、そういう意味で言ったわけでは…!」
政宗は起き上がって叫んだ。が、途端に頭に鋭い痛みが走り、政宗は再び布団に倒れ込んだ。ぜえぜえ喘ぎながら、政宗は切れ切れに呟いた。
「…違うのだ…愛殿だって…わしの傍にいるのは…退屈だろう、と…」
倒れた途端に政宗の体から汗が噴き出してきた。今まで抑えてきた熱が飛び出してきたようだ。苦しそうに喘ぐ政宗に愛姫はそっと声をかけた。
「政宗様、無理して喋らずとも結構です。ご安心下さい、私は退屈だなんて思っておりません」
愛姫が汗で濡れた政宗の額を優しく拭いてやる。愛姫は続けて言った。
「私は今、こうして政宗様のお傍にいられて、とても嬉しいのです」
政宗が戸惑ったような目で愛姫を見返した。愛姫がその視線に気付く。
「政宗様は普段、戦や公務などでお忙しい身。二人で過ごせる時間など、ろくにありません。でも、」
愛姫が微笑む。政宗は、その突然の笑顔に一瞬目が離せなくなった。
「政宗様が風邪をひいたおかげで、今こうして二人でゆっくり過ごすことが出来ました。だから、私は退屈だなんて少しも思っていないんですよ」
愛姫の言葉に政宗は愛姫をじっと見つめた。
「まあ、政宗様は退屈かもしれませんが」
愛姫が苦笑いする。政宗は愛姫から目をそらした。政宗はしばらく黙っていると、ゆっくり口を開いた。
「…わしは、床に伏せったままでは何も出来ぬから、退屈だと言ったのだ」
政宗の言葉の意味がわからなかったらしい愛姫は、
「…はあ」
ときょとんとした表情で返事をした。政宗は目をそらしたまま続ける。
「…だから、わしは別に…」
政宗の言葉が詰まる。愛姫が不思議そうに首をかしげる。しばらく気まずそうにすると、政宗は小さな声で呟いた。
「…わしは別に、愛殿と過ごすのが退屈だと言ったわけではないぞ…」
政宗の耳が真っ赤に染まる。それはとても小さな声だったが、二人しかいない床の間にはよく響いた。愛姫は嬉しそうに顔をほころばせて、
「はい」
と小さく頷いた。しばしの間、二人の間に心地の良い沈黙が流れた。しばらくたってから、目をそらしていた政宗がその目を愛姫に向けた。顔はまだほんの少し赤らんでいる。
「愛殿」
「はい」
「愛殿は、わしの看病をすると言ったな」
「はい」
愛姫が頷くと、政宗は自らの右手を愛姫に差し出した。
「何故か右手がひどく冷えるのだ。温めてくれるか?」
愛姫は一瞬、きょとんとした目になったが、すぐに政宗の右手に目を落とした。差し出された右手は小さかった。それでも、愛姫の手よりも大きく、たくましい手だった。愛姫はすっと政宗の右手に自分の手を重ねた。
「はい。私の手で良ければ」
「…政宗様、寝てしまいましたか」
愛姫は、安らかな寝息をたてて寝ている夫の顔を覗き込んだ。愛姫の手には政宗の右手が握られている。いや、どちらかというと、政宗の方が愛姫の手を握り締めていた。政宗の温もりがしっかりと伝わってきて、愛姫はふっと微笑んだ。
「寝顔は子供、ですね」
子供のような寝顔をした政宗を見て愛姫は嬉しそうに呟いた。じっと見つめていると、政宗がううん、と頭をひねるようにして唸った。その仕種に愛姫はくすりと笑った。
「本当に、政宗様は素直じゃないですね」
意地っ張りで、わがまま。
子供っぽくて、素直じゃない。
無鉄砲で、威張ってばかり。
―それでも、少しも頭にこないのは。
「やっぱり、惚れた弱みってものでしょうか」
―それは、理屈じゃない気持ち。
そのとき、政宗の頬がほんのり赤く染まったのは、気のせいではなかったかもしれない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2004/07/20)
風邪ネタ。いや〜、桶狭間って確か雨降ってたじゃないですか、あの後の話です。
タイトルにひねりがない作品。風邪を引いた政宗と、看病する愛姫を書きたかったんです。
二人の手を握らせてみたかっただけかもしれません(笑) あ、これ、政宗と愛姫の二人しか登場してない。
あと、いつも私の小説は政宗→愛姫色が強いので、愛姫も政宗のことが大好きなんだよってことを表現したかったのです。
やっぱり政愛はほのぼのがいいですねvv
背景は紫陽花。花言葉は『移り気・あなたは冷たい人・無情』。
おまけ↓
綱元「…二人共、何してらっしゃるんですか」
お喜多・お清「「…あっ…;」」
綱元「…ここには確か、若と愛姫様が…」
お喜多「ち、違うわ! 私は別に覗き見だなんて…
ただ、若様が愛姫様にたぶらかされないように、と…!」
お清「まあ、何てこと言うんですか! 姫様が政宗様をたぶらかすわけないでしょう!
政宗様の方こそ姫様を襲うんじゃありません?」
お喜多「な、そんなこと私の若様がするわけないでしょう!!」
お清「それはこっちの台詞です! 私の姫様が政宗様をたぶらかすわけないでしょう!」
綱元(…仲いいなあ)
襖の向こうでは乳母と侍女が喧嘩中。
