蛍の灯


その光は乱れ舞い、夏の夜を明るく照らす。




「日が、落ちてきましたね」
夕日色に染まった池を眺めて、愛姫がそっと呟いた。
「風も吹いてませんし…今夜も暑くなりそうですね」
ふう、と溜め息をつきながら、愛姫は政宗の隣に座った。畳に寝転がっていた政宗がひょいと顔を上げる。
「愛殿は暑いのは嫌いか?」
「嫌いというか…暑いとなかなか寝付けないので」
政宗の問いかけに、愛姫は苦笑いを返した。
「夜になると、せみも鳴き止んでしまいますし。こう風が吹かないと、風鈴も鳴りませんし」
愛姫はどこかもったいなさそうに庭を眺めた。庭のせみが、昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っていた。
「なにか、涼しくなれるようなものがあればいいのですが…」
残念そうに、愛姫が苦笑いする。政宗はその顔をしばらく眺めていたが、ふと何か思いついたように目をそらした。
「政宗様、愛姫様。夕餉が出来ましたよー」
振り返ると、政宗の乳母・お喜多が襖に手をかけて二人を呼んでいた。二人はそろって腰を上げると、お喜多の方へと駆けていった。




「愛殿。浴衣に着替えて、裏門に来い」
政宗がそう言ったのは、夕餉を済まし、湯浴みを終えた頃だった。すっかり日は暮れて、星が夜空に輝いていた。突然のことにすっかり目を丸くさせてしまっている愛姫に構わず、政宗は早々と部屋を立ち去っていった。
「…何故…?」
まあ、政宗が立ち去ってたっぷり一分は経ってから首をかしげる愛姫にも、多少なりとも問題はあったかもしれない。愛姫が裏門に着いたのは、それから三十分は経った頃だった。愛姫が裏門に駆けていくと、二つの影が見えた。灯篭の光が揺れる。
「政宗様、成実殿」
「遅かったな、愛殿」
「結構、待ったんですよー」
少し不機嫌そうな政宗と正反対に、軽快な口調で成実は笑った。愛姫がぱたぱたと近付いて頭を下げる。
「申し訳ございません。準備に手間取ってしまいまして」
「いいっていいって。気にしてませんから」
「成実…それはわしの台詞だ」
「いいじゃんいいじゃん。女の準備は時間がかかるものなんだからさ。そんな風に文句言ってると、心が狭いと思われるぞ?」
「うっ…」
成実の台詞に、政宗がたじろいだ。一つ年下の従兄弟に言いくるめられてしまうのは、主君としてどうなのか。愛姫が慌てて政宗の袖を掴む。
「政宗様、申し訳ございません」
「い…いや、構わぬ。そなたのせいではない」
政宗はそう言うと、愛姫の浴衣にちらりと目をやった。上から下までじっくり眺めると、感嘆の声を上げた。
「ほう、金魚模様か。なかなか似合っておるぞ」
「本当ですか?」
愛姫は真っ赤な巾着を手に持ち、青みがかった紺色の浴衣を着ていた。足元に履いた下駄は底が少し高く、浴衣には赤い金魚が泳ぐようにして映っている。その赤と青の組み合わせに、太い黄色の帯がよく似合っていた。
「政宗様にそう言って頂けて、嬉しいです」
愛姫の顔が嬉しそうにほころぶ。その笑顔に、政宗は照れたように頬染めた。
「はいはい、そこの円満夫婦ー。出かけるんじゃなかったのかよー」
存在を忘れられかけた成実がちゃちゃを入れた。政宗がはっとして振り返る。
「ああ、そうだったな」
政宗はそう言うと、すぐさま成実の方へ駆けていった。すると、成実の隣にいつの間にか大きな馬が一頭立っていた。最初からいたのだろうか、愛姫は少しも気がつかなかった。政宗がひょい、と軽い身こなしでその馬に跨った。
「ほれ、愛殿も乗るがいい」
政宗が騎乗からさっと愛姫に手を差し伸べた。愛姫がその手に向かって、うーんと体を伸ばす。
「…と、届きません…」
「…さすが、愛姫様」
精一杯に爪先立ちを繰り返す愛姫に、成実が呆れたように呟いた。愛姫は、二・三度ぴょんぴょんとその場で跳ねたが、結局馬には届かず息を切らしてしまった。成実がはあ、と頭に手をやった。
「…しゃーねぇなあ…愛姫様、ちょっと失礼」
「…え…ひゃっ!」
言うが早いか、成実は愛姫の脇に手を通し、軽々と持ち上げた。政宗も手を貸し、愛姫は政宗に横抱きにされる形で馬に乗ることが出来た。
「も、申し訳ございません。成実殿」
「いいっていいって」
頬を赤らめて謝る愛姫に、成実はひらひらと手を振った。そんな二人の様子を無視して、政宗は手綱を取った。
「行くぞ、愛殿」
「は…はい…!」
政宗は愛姫が返事をするかしないかの内に、素早く手綱を引いた。途端に、馬が大きくいななき、裏門から駆け出した。
「あ…きゃあ!」
愛姫の悲鳴など全く無視して、馬はなおも脚を早める。すでに視界の隅で小さくなった成実が二人に大きく手を振った。
「丑三つ時までには帰って来るんだぞー!」




「ま、政宗様…どちらに向かわれるので…?」
「黙っておれ。舌をかむぞ」
「で、でも…」
「それから、目も閉じた方がいい。塵が目に入って、痛いだろう」
「は、はあ…」
政宗の耳には、愛姫の話など全く入っていないようだった。ここは素直に言うことを聞いておいた方がよさそうだ。愛姫は言われたとおりに目を閉じ、口を閉じた。そうして、政宗の胸に身を寄せた。政宗の心臓の音がゆっくり聞こえてきて、愛姫はそっと息をついた。どこに連れて行かれようが、関係ない。政宗の妻となったその日に、そう誓ったではないか。馬鹿な質問をしたものだ、と愛姫は小さく笑った。しばらくの間馬に揺られていると、突然馬が大きくいなないて、脚を止めた。
「ま、政宗様? 着いたのですか―」
愛姫がゆっくり目を開こうとすると、政宗が素早く片手でその目を塞いだ。
「ならぬ! まだ目を開けてはならぬ!」
「え、どうしてですか?」
「ならぬものはならぬのだ! いいか、わしがいいと言うまで目を開けてはならぬぞ!」
「は、はい」
愛姫は言うとおりに目を閉じた。政宗にもそれがわかったらしく、政宗の手がまぶたから離れるのがわかった。すると、同時に政宗の体温が離れていく感覚がした。少し待って、どすん、という音が愛姫の耳に届いた。馬から飛び降りたらしい。愛姫が戸惑っていると、愛姫の脇にすっと何かが通された。
「ひゃっ!」
愛姫は驚いて声を上げた。危うく目を開けそうになったものの、先程の政宗の怒号を思い出し、何とか押し留まった。愛姫があたふたしている内に、愛姫の足がすとんと地面に触れた。
「え」
「…先刻は、成実に横取りされてしまったからな」
政宗の声が聞こえて、愛姫の脇からすっと手が抜かれる。愛姫は、そうして初めて、それが政宗の手だと知った。口元に寄せていた手が、政宗に掴まれる。
「あ…」
「まだ、目は開けるでないぞ」
そう言うと、政宗は愛姫の手を引いて歩き始めた。愛姫は政宗の手を頼りにたどたどしくも後に続いた。下駄が地面に触れるたびに、じゃり、という音がした。愛姫は足に伝わってくるものが何か掴みきれないまま、政宗に引きずられていった。しばらく歩くと、政宗が急に足を止めた。
「目を開けてもよいぞ」
政宗が言う。愛姫はそっと目を開いた。
「…わあ…」
愛姫の目の前で、多くの光が空を飛びまわっていた。蛍だ。政宗と愛姫の周りを、取り囲むようにしてふわふわと舞っている。暗闇の中で、その光は一層輝いて見えた。愛姫は、ふと周りに目をやった。そこは川原だった。足に触れるじゃり石の音を聞いて、さっきの音の正体はこれだったのか、と愛姫は思った。
「どうだ、絶景であろう?」
政宗が自慢げに言った。愛姫が振り返る。
「何か、涼しくなれるようなものを、と言っておったろう。だから、連れてきたのだ」
政宗が微笑んだ。
「どうだ、涼しくなったか?」
嬉しそうに言う政宗を見て、愛姫は嬉しくなった。あんな一言のために、ここまで。この景色を、自分のために。それがわかると、愛姫はそっと微笑んだ。
「はい」
愛姫が笑顔で返すと、政宗はさも満足げに笑った。普段、政宗のこのような顔は見られないことが多いので、愛姫はまた嬉しくなった。蛍が一匹、愛姫の肩に止まった。
「おやおや、愛殿。好かれてしまったようだな」
政宗が笑う。愛姫は肩の蛍を眺めて、同じように笑った。ひとしきり笑うと、愛姫が空を見上げながら呟いた。
「…ねえ、政宗様」
「何だ?」
「成実殿は丑三つ時までに帰って来い、と申されましたね」
「…それがどうした?」
政宗が不思議そうに訊ねると、愛姫が少しためらいつつ口を開いた。
「…たまには、夫婦水入らずでゆっくり過ごしませんか?」
愛姫が微笑むと、政宗は目をぱちくりさせた。しかし、すぐに普段の悪戯っぽい笑顔に戻ると、楽しげに言った。
「それはいい考えだな」




蛍が、まるで祝うかのように、舞っていた。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2004/08/02)

相互リンク記念に、lobo様に捧げますv「夏の政愛を書いてみよう」企画第二弾。
書きたかったものは、愛姫を横抱きして馬に乗る政宗(笑)
何気に成実は初書き。あ、成実ってのは、政宗の一つ下の従兄弟で家臣の一人です。
ちなみに、タイトルは『ほたるのともしび』と読みます。
前の『夏の声』が『昼』なら、こっちは『夜』ですね。でも背景は昼間(笑) 黒背景ってあまり好きじゃないんですよね。
蛍の光は求婚によるもの、というのは有名ですが、この時代にそれはわかっていないだろう、と思って書きませんでした。


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