夕涼み
「氷、溶けてきましたね」
愛姫が言う。
「暑いからのう…」
政宗はうんざりしたように呟くと、片方の足を上げた。水が跳ね上がり、ぱしゃっという音が響く。二人は縁側に腰掛けていた。時刻は夕刻で、庭のせみもすっかり鳴き止んでいる頃である。政宗の足元には、氷がいくつか浮いている水の入った桶があった。政宗は、その中に裸の足を浮かせている。
「私、氷室からとってまいりましょうか?」
愛姫が立ち上がり、政宗に問い掛けた。
「よいよい。どうせこの暑さだ、ここに着くまでに溶けてしまうわ」
「そうでございますか」
政宗がげんなりとして言うと、愛姫は素直に元の位置に座った。政宗がごろりと横になる。
「ああ…暑いのう」
「辛そうですねえ、政宗様」
もう何度目になるかわからない政宗の台詞に、愛姫は律儀に相槌を打った。政宗は怪訝そうに愛姫を見る。
「愛殿は暑くないのか?」
「いえ、暑いです」
けろりとして愛姫は言った。
「少しも暑そうに見えぬのだが…」
政宗が疑わしそうに愛姫を眺める。愛姫の顔には汗一つ浮いていない。
「それは、私が暑いと思っていないからです」
愛姫は言うと、そっと腰を上げた。草履を履くと、ゆっくりと庭へと歩き出す。
「奥州の夏は、短こうございますから」
愛姫は呟くと、庭の中ほどで立ち止まった。
「入道雲が広がる空も、ひたすらに鳴くせみも、たまの風に鳴る風鈴も、すぐに去っていってしまいます」
言って、愛姫は空を見上げる。
「今、こうして広がるこの景色すらも」
見上げた空には燕の姿があった。燕は、夕暮れの空の中をまっすぐ飛んでいる。
「ですから、私は」
赤い空の中に浮かぶ燕に向かって、愛姫は小さく手を伸ばした。
「その短い夏を、慈しんで過ごしとうございます」
愛姫が振り向く。その顔は笑っていた。
「できることなら、政宗様と一緒に」
ふっと風が吹いた。愛姫の髪が風に舞い、着物の裾が揺れる。
ちりーん
「「あ」」
政宗と愛姫の二人が同時に声を上げる。顔を上げ、軒に吊るされた風鈴を見上げた。
「今、鳴りましたね、風鈴」
「うむ、鳴ったな」
愛姫が嬉しそうに声を上げ、政宗の方を向く。突然に笑顔を向けられ、政宗は目をそらした。つい、しまった、と呟いたら、愛姫の耳に届いたようでくすくすと忍び笑いをしているのが聞こえた。政宗がぶすっとして愛姫を見る。愛姫はまだ笑いながら言った。
「…今夜は、涼しくなりそうですね」
「…ああ、そうだな」
政宗が相槌を打つと、愛姫はその隣に腰を下ろした。風がまた吹いて、風鈴がその音を響かせた。二人がそっと耳を傾けていたら、突然後ろから声が割って入ってきた。
「あら、ここは涼しいですね」
振り向くと、お喜多が立っていた。しゃがんで、風鈴を見上げる。
「こんなに涼しいのなら、今夜はここで夕餉にいたしましょうか。小十郎や綱元も呼んで、みんなで素麺などいかがでしょう?」
「まあ、それはいいですね」
愛姫が顔を輝かせて手を打った。お喜多は「でしょう?」と頷くと、政宗の方を向いた。
「政宗様、いかがでございましょう―どうしたんです? 不機嫌そうな顔をして」
「…何でも、ないわ」
言って、政宗はふんと顔を背けた。お喜多はわけがわからない、と首をひねるばかりだ。愛姫が声をかける。
「あの、喜多様。でしたら私、準備を手伝いましょうか?」
「いえ、愛姫様にそのようなことさせるわけにはいきません。準備は私がやりますから、ご安心を」
お喜多は手で愛姫を押し止めると、すっと立ち上がった。
「それでは、しばしの間お待ち下さいませ」
言って、お喜多はぺこりと頭を下げる。お喜多が部屋を出て行くと、愛姫は政宗の肩にそっと寄りかかった。ふわりと柔らかい髪が肩にかかって、政宗は驚いて声を上げた。
「…め、愛殿っ…!?」
「喜多様にあんな態度とっては失礼ですよ、折角提案して下さったのですから」
愛姫はぷんぷんと怒ったように政宗を叱りつけた。が、当の政宗は愛姫の髪が肩にかかってそれどころではない。
「…愛殿…っか、髪が…!」
政宗は顔を真っ赤にしてぼそぼそと呟いた。だが、愛姫の耳には届いていないようである。
「それとも、政宗様は素麺がお嫌いなのですか?」
「…いっ、いや、そんなことはないが…!」
「それなら、何の問題もないではないですか。まったく、政宗様のいけないところははすぐ不機嫌になるところですね。もっと、周りのことを考えて―」
温厚な愛姫にしては珍しく、やけに怒っているようだった。他人の親切を踏みつけにするような行為は嫌いらしい。政宗がどんなに顔を赤らめているかも知らず、説教を続けている。当の政宗はといえば、今にも沸騰するしそうな顔色である。耳も赤らめて、じきに腕まで赤くなりそうだった。
「よっ、藤次郎! 相変わらず仲いいな!」
突然の大声と共に、ぱっと愛姫の体が政宗から離れた。唐突に愛姫が離れたので、政宗は体勢を崩してすっ転んだ。
「きゃあ、政宗様! 大丈夫ですか!?」
愛姫が手で口を覆う。慌てて政宗を起こした。
「う、うむ。平気だ」
政宗は愛姫の手を借りて立ち上がった。成実がけらけらと笑う。
「大丈夫だって、愛姫様。藤次郎は殺しても死なないから」
「それが主君に対する台詞か、成実」
悪態をつく政宗。腰の土を払うと、もう顔は普段の顔色に戻っていた。癪だが、成実のおかげである。
「今のは従兄弟に対する台詞だから問題はありませーん」
もちろん、当の成実に知る由はない。軽快な口調で笑うと、成実は縁側に腰掛けた。
「早く座れよ。もうすぐ、喜多姉が素麺持ってくるからさ」
言って、先ほどまで政宗が座っていた場所を指差した。政宗は返事を返さず、そこに腰を下ろした。当然のように、愛姫もその隣に腰を下ろす。
「いやあ、ここは涼しいねえ」
成実が笑う。政宗はちらりと見やると、蒼く染まり始めた空を見上げた。そして、隣にいる妻を見る。
「…ここがどんなに涼しくとも、隣にそなたがおっては何の意味もないな…」
「? 政宗様、何か言いました?」
「…いや、何も言っておらぬ」
きみがとなりにいるだけで
ぼくのこころはあつくなる
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2004/08/19)
相互リンク記念に、のび様に捧げますv「夏の政愛を書いてみよう」企画第四弾。
今度は夕涼みです。風物詩は、氷、燕、風鈴、素麺の四つ。
涼しい内容にしようと思ったのに、逆に暑苦しくなってしまいました…;
ちっとも夕涼みになってないですね、申し訳ありません(汗)
本当は愛姫が氷室から氷をとってくるはずだったんですが、内容変わっちゃいました;
そして、照れる政宗(笑) 当初はこんなに照れないはずだったんですが、いつのまにか…!
きっと、今回一番暑かったのはきっと彼でしょう。鈍感愛姫でホントごめんよ…!
そして、突然現れたお喜多&成実。登場する予定はありませんでした。
最後を素麺で締めることにしたら、伊達家が出てきました。
それでもお喜多だけだったはずなんですが…成実、恐るべし(笑)
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