「愛殿。川に行くぞ」
そう言われたのは今朝のことで。
川遊び
「わあ、綺麗!」
愛姫は馬の上から乗り出して声を上げた。政宗はふっと笑うと、馬からひょいと飛び降りる。ついで、愛姫の脇の下に腕を通し、馬から下ろしてやった。
「あれ、ここもしかして…」
「そうだ、この間来た川原だ」
政宗が手を離すと、愛姫はきょろきょろと辺りを見回した。前に訪れたときは、夜のこと。今日と同じように、政宗が愛姫を馬に乗せ、蛍を見せてくれた時だ。真っ暗な中、ほのかに光る蛍はとても印象的だった。こうして明るいうちに訪れてみると、また違う感覚があった。さらさらと流れる川のせせらぎはどこか心穏やかにさせるものがある。
「美しい川であろう」
「はい」
愛姫は目を細めて川を見つめた。そうしているうちに、政宗が馬から荷を下ろす。
「よいっせ」
愛姫がその声に気付いて振り返る。
「あ、お手伝いいたします!」
「よいよい。これは愛殿には重かろう」
言って、政宗はそれを両腕に抱えた。緑に波のように走った黒い縞。丸い形のそれは、西瓜だった。
「これは川につけて冷やしておこう。後で一緒に食べるためにな」
政宗はにやりと笑うと、網に包まれたそれをもう一度抱え直す。
「楽しみです」
愛姫は嬉しそうに顔をほころばせる。政宗は照れたように頬染めると、西瓜を抱えて川原に向かっていった。
「きゃあ、冷たい!」
水の冷たさに肩を震え上がらせながらも、愛姫の顔は笑っていた。照りつける太陽に負けず、川はその水の冷たさを確かに伝えている。愛姫は着物の裾をつまんで、もう片手で水に手をつけた。
「愛殿、大丈夫か?」
政宗が訊ねる。愛姫は笑って答えた。
「はい、気持ちようございます」
政宗は安心したように息をつくと、愛姫に背を向けて川の向こう岸の方へ向かっていった。愛姫はそれを見届けると、そっと傍らにあった石に手を置いた。水面は空の光をまっすぐに受けて、きらきらと輝いていた。
「きれい」
愛姫は呟くと、水の中に再び手を滑らせる。うっすらと汗ばんだ手に、みずみずしい冷たさが心地よかった。
「愛殿、鮎だ! 鮎がいるぞ!」
突然大声が聞こえて、愛姫はびくっと手を水から引き上げた。慌てて政宗を見ると、水の中に何度も手を突っ込んでは舌打ちをしている。
「このっ! くそぅ!」
政宗が水面に向かって手を大きく振るたびに水しぶきが上がった。愛姫は着物が濡れないだろうか、と少し不安になりながら眺めていた。すると、政宗が愛姫に向かって叫んだ。
「愛殿! そっちへ行ったぞ!」
え?と愛姫は驚いて下を見た。蒼くきらめく何かがこっちに向かってくる。愛姫は慌てて捕まえようと一歩踏み出した。
つるっ
「あ」
「め、愛殿っ!」
ばっしゃーんっ
豪快な水しぶきと共に、愛姫はその身を川に落とした。
「愛殿、大丈夫か?」
「はい、どこも怪我しておりません」
愛姫は笑って言う。川に落ちた愛姫は、ものの見事にびしょぬれになってしまった。いくら夏といえど、川の水は冷たい。風邪でもひいたら大変なことである。
「私のことより、政宗様の方は大丈夫なのですか? 夏とはいえ、その格好では風邪をひいてしまうのでは…」
「なあに、このくらい平気だ」
政宗は上衣を脱いで、袴だけの姿だった。着物の濡れてしまった愛姫に上衣を貸したせいである。もともと川に遊びに来たのだから、布の一枚ぐらいは用意してきていた。けれども、それは濡れた足を拭くためのもので、着物の代わりとなるものではない。つまり、愛姫は今着物を脱いで、上は政宗の上衣、下は布を一枚巻いた格好なのである。
「何だか、申し訳ないです」
愛姫がしょぼんと頭を下げる。政宗が慌てて愛姫を慰めた。
「き、気にするな愛殿。わしは頑丈だから大丈夫だ」
「…本当ですか?」
「ああ、本当だ」
政宗がきっぱりと言うと、愛姫はほっとしたように胸を撫で下ろした。政宗も安心し、岩の上に置かれた愛姫の着物に目をやる。
「しかし、着物がすっかり濡れてしまったな」
「大丈夫ですよ。今日は天気がよいから、きっと帰るまでには乾くでしょう」
愛姫はちらりと着物を見た。着物は太陽がさんさんと注がれて、暑さにまいっているようにも見える。愛姫はそっと腰を上げた。
「参りましょうか」
「うむ」
政宗が頷く。愛姫はぱたぱたと川へと駆けていった。草履はとうの昔に脱ぎ捨て、足は裸のままである。
「政宗様、早く早く!」
愛姫は笑って政宗を手招きする。だが、政宗の目は別のものへと向いていた。愛姫は腰から下は布を巻いているだけである。しかし、布の丈は先ほどの着物の丈と比べると明らかに短かった。しかも愛姫は布がひらひらと舞わないようにそれをつまんでいる。愛姫の白い素足が水しぶきを浴びて光っていた。
「め、愛殿…あ、足が…」
政宗はどぎまぎしながら愛姫から目をそらす。女子の素足など政宗は見たことがなかった。ましてやそれが愛する妻のものとなれば、まっすぐ見ることなど到底無理な話である。
「足?」
愛姫がきょとんと首をかしげ、ちらりと自分のむき出しの足を見た。笑って愛姫がぽんと手を打つ。
「ああ、先ほどよりも丈が短くなって、動きやすくなりましたね!」
愛姫が言うと、政宗はがくりと膝を折った。そうだ、愛殿はこういうことには疎かった…。
「―? 政宗様、来ないのですか?」
「ああ、少し疲れてしまったようだ。わしはしばらく休むが、愛殿は遊んでいてよいぞ」
「はあ、そうでございますか」
愛姫は少し不思議そうな顔をしていたが、何も訊かずに川の中へまた足を沈めた。政宗はぐったりと手で顔を覆ったが、ちらりと指の間から愛姫の姿を眺めるのも忘れなかった。
「政宗様ー、西瓜冷えましたよ!」
「おお、そろそろだと思っておったわ」
愛姫がぱしゃぱしゃと水音を立てながら、重そうに西瓜を両手に持って駆けてくる。政宗も駆けていって、愛姫の手から西瓜を受け取る。
「重かっただろう。わしが取りに行ってもよかったのだぞ」
「いえ、政宗様は最初に川まで運んで下さったでしょう。だから、今度は私が運ぶ番です」
愛姫はきっぱりと言うと、軽やかに笑った。政宗は軽く笑って返すと川原に西瓜を置いた。
「じゃあ、食べましょうか―って、包丁がなかったのを忘れておりました」
がっくりと愛姫が肩を落とす。それを見て、政宗がにやりと笑った。
「安心しろ、愛殿。このとおり、ちゃんと包丁を持ってきておる」
「わあ、さすが政宗様です!」
政宗がさっと積荷から布にくるまれた包丁を取り出す。愛姫がぱちぱちと手を打つと、政宗はふふんと胸をそらした。
「当たり前だ、この政宗にぬかりはないわ」
言って、政宗は積荷からまな板を取り出す。まったく、用意周到だ。政宗は西瓜をまな板の真ん中に置いて、包丁を手に握った。西瓜の真上に包丁がかざされると、たんと小気味よい音がした。ぱかん、と西瓜が真っ二つに割れる。政宗はその片方を掴むと、それをまた真ん中で切った。また二つに割れる。再び、切った。
「わあ、政宗様。お上手ですね!」
「ふっ、愛殿。そう誉めるな」
政宗は言いつつ、もったいぶって西瓜を愛姫に差し出した。西瓜はすでに一人が食べるに丁度よい大きさになっている。
「ほれ、愛殿」
「ありがとうございます!」
愛姫が嬉しそうに声を上げる。政宗は包丁を置くと、自分の分をとって愛姫の隣に座った。愛姫がぱくり、と西瓜をかじる。
「おいしいです!」
ぱあっと愛姫の顔が笑顔になる。政宗は横目でそれを見ると、同じように西瓜をかじった。しばらくの間、二人は川のせせらぎを耳にしながら西瓜を並んで食べた。
「はあ、ごちそう様でした」
愛姫が西瓜から顔を上げる。政宗がくくっと笑った。
「愛殿、口の周りが汚れておるぞ」
「えっ」
ぺたっと愛姫は頬に触れた。べたべたしたものが手につく。愛姫の頬は西瓜の汁ですっかり赤くなってしまっていた。手についた汁を見て、愛姫は驚いた顔をする。
「あっ、こんなに」
「まあ、川で洗えば大丈夫であろう」
政宗は笑いながら、愛姫の頬を指差した。愛姫は少し恥ずかしくなりながら、政宗を見る。
「あっ、政宗様。種がついてますよ」
「何? 誠か?」
政宗の口の近くに小さな黒い種がついている。政宗は言われて反対側の頬を撫でた。
「どこだ?」
「いえ、そっちじゃなくて…反対です」
愛姫が言って、政宗はもう片方の頬を撫でたが、なかなか目的の場所にたどりつかない。見かねた愛姫が手を伸ばし、さっと種をすくいとった。
「なっ、め…!」
突然口元を撫でられ、政宗は真っ赤になる。だが、愛姫は種を指の先に乗せてにっこりと笑った。
「はい、とれましたよ」
政宗がぱくぱくと口を動かす。愛姫は政宗の様子に気付かないでぱたぱたと駆けていった。しゃがんで、その種をさっと川原の土の下に埋める。
「これで、ようございます」
ぱんぱん、と土を払うと政宗の方を振り向いた。政宗はまだ口を開けてぽかんとした表情のままだ。
「政宗様、いかがなさいました?」
愛姫がきょとんと首をかしげた。政宗ははっとして、慌てて立ち上がった。
「いや、何でもないぞ!」
「そうですか、それならよいのですが」
言って、愛姫も腰を上げる。
「さっ、顔洗いましょうか」
愛姫は政宗に向かって手を伸ばす。政宗はその手をとると、愛姫と一緒に川まで駆けていった。
「今日は、楽しかったです」
愛姫は馬に揺られながらそっと呟いた。時刻はもう夕刻で、山の合間に太陽が沈んでいくところだ。愛姫は政宗に横抱きされたような状態で政宗の胸に肩を預けている。
「西瓜もおいしゅうございました」
「着物は濡れてしまったがな」
政宗が言う。愛姫はもう、さっきまでの格好ではなかった。着物は太陽の光を浴びてすっかり乾いていた。ぽかぽかと暖かく、愛姫は袖を鼻に寄せて匂いを嗅いだ。
「…愛殿?」
政宗が不思議そうに声をかける。愛姫はすうっと息を吸い込んだ。
「―お日様の、においがします」
愛姫が言うと、政宗は愛姫を見つめた。自分の胸に寄り添い、その小さな体を自分に預ける妻を。
「―ああ、そうだな」
政宗は頷くと、手綱から手を離しその小さな肩を抱いた。
寄り添う二つの影が夕焼けの光を浴びてその後を追いかけた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2004/08/25)
相互リンク記念に碇様に捧げますv「夏の政愛を書いてみよう」企画第五弾。
政宗と愛姫の二人で川に出かけてみました。川遊びって子供らしい感じがして政愛に似合うと思って。
場所は『蛍の灯』でやってきたところです。昼間にやってくるとまた風景が違って見えるという不思議。
西瓜を並んで食べる二人と、愛姫が川にぼちゃんっていうのが書いてみたかったんです。
ちなみに着替えシーンはカットしてあります(笑) もちろん、愛姫の着替えは政宗見てませんよ。
川は大好きです。本当は石投げする二人ってのも書きたかったんですが…(残念)
↓碇仁巳様のサイトはこちら↓

