夜の花


「あっ、風が」
風鈴の音がして愛姫は顔を上げた。
「今夜は、涼しくなりそうですね」
愛姫は言って、立ち上がると縁側から離れる。部屋の中に入り、そのまま部屋を突っ切るように歩いていく。襖に手を伸ばしかけたとき、触れる前に襖が勢いよく開いた。
「愛殿!」
「きゃっ!?」
愛姫が伸ばしていた手をぱっと引っ込める。政宗が息を荒くして襖に持たれかかるようにして立っていた。
「おお、そこにいたか」
「どうなさったのですか、そんなに急いで」
心配したように愛姫が訊ねる。政宗が軽く笑った。
「いや、そなたに用があったのだ」
「まあ、そうだったのですか」
愛姫が驚いたように口元に手をやる。そしてまだ息づかいの荒い政宗の背中をゆっくりと撫でてやった。
「でも、そんなに急いで来なくとも」
「それだけ早く、姫様に会いたかったんですよ」
はっとして見上げると、いつの間にか政宗の後ろに侍女のお清が立っていた。唇を尖らせながら、政宗を見ている。
「で、何の用なんです?」
「お清、失礼よ」
愛姫が慌てて咎める。お清はぶすっとしながらも、「失礼しました」と頭を下げた。政宗はふんと威張ったようにお清を見たが、身長差のせいでいまいち威厳が出なかった。
「あ、あの政宗様。ご用というのは?」
二人の間の空気が悪い方向に進んでいるのが見えて、愛姫は慌てて政宗に訊ねる。政宗はお清から目をそらし、愛姫の方を向いた。
「うむ、実は花火をしようと思ってな」
「花火ですか?」
愛姫がきょとんと目を丸くする。
「ああ、今から中庭でな。それで呼びに来たのだ」
政宗はそう言うと、自分のやってきた廊下を指した。ついてこい、という意味らしい。
「つまり、また私の知らない間に姫様を連れ出そうとしていた、ということですね」
じろり、とお清が政宗を睨む。それは、過去何度も苦渋を味わわされた者の顔だった。
「お清、そんな言い方はないじゃない。政宗様は私のためを思ってして下さったのだから」
「だから、たちが悪いんです」
お清はふんと鼻を鳴らした。そして、もう一度じろりと政宗を見やる。それは睨んだと言った方がよさそうだった。だが、うなだれる愛姫の顔を見ると、お清の態度は一変した。
「…まあ、今回は城内ですから、よしとしましょう」
愛姫の表情にさすがに胸が痛かったのだろうか、お清は言った。愛姫の顔がぱあっと明るくなる。
「ありがとう! お清」
手を組んで愛姫が頭を下げる。いつもだったらああ可愛らしいと眺めるところだが、傍には彼女の夫がいる。お清は再び溜め息をついて、襖に手をかけたままの政宗の背を押した。
「はいはい。そうと決まったら、政宗様はさっさと出ていって下さいな。姫様は着替えなければなりませんので」
無理矢理部屋から押し出され、政宗が慌てて振り返る。
「花火をするだけだぞ? 何故着替えねばならぬのだ」
振り返った政宗の表情からは、早く遊びたいという気持ちがにじみ出ていた。そんな政宗にお清はきっぱりと言い放つ。
「花火をなさるのなら、浴衣に着替えるのが当たり前でしょう…それとも、政宗様は姫様の浴衣姿がお嫌いですか?」
「なっ、そんなこと誰も言っておらんだろう!」
政宗が頬をかっと赤くした。
「それでは、姫様の着替えを覗くおつもりですか?」
お清が言うと、政宗がさらに顔を赤らめる。
「だ、誰がそんなことを言った!」
「それでしたら、ここに留まる理由はございませんね」
にっこりとお清が微笑む。政宗はううと口を詰まらせると、さっと愛姫の方を向いた。
「…愛殿。早く来るのだぞ」
お清に言いくるめられたような気がするのか、ぶすっとした表情で言い捨てると、政宗はすたすたと廊下を歩いていった。政宗が廊下の向こうへ消えるのを見届けると、お清はぱたんと襖を閉じた。
「ふう、ようやく行きましたね」
「お清ったら、政宗様を邪魔者扱いするなんて失礼よ」
愛姫が頬を膨らましてお清をじろりと睨む。お清はつんと顔をそらした。
「何とでも言って下さいな。これは私から姫様を奪い取った政宗様へのささやかな復讐なんですから」
怒りを顔に出しながらも、お清はてきぱきと浴衣を取り出す。床に何枚もの色鮮やかな浴衣が並んだ。
「さて、今宵はどれに致しましょうか?」
お清が言うと、愛姫はしゃがんで並べられた浴衣を眺めた。顎に手をやり、早くもううんと唸り始める。お清はそれを見つめながらふうと溜め息をついた。
(―この分じゃあ、中庭に行くのは大分先になりそうね)




愛姫が浴衣を選ぶのにかかった時間は定かではない。だが、少なくとも政宗を苛つかせるには十分な時間だった。
「…遅いっ!」
だんっと政宗の足が強く地面を打つ。それを見て、くあと欠伸を噛み殺しながら成実が言った。
「そう怒るなよ、女の準備は時間がかかるもんだろ?」
余裕の表情の成実を、政宗がじろりと睨む。
「何故妻もおらぬ貴様にそんなことがわかるのだ」
「俺は少なくとも藤次郎よりかは女心がわかる人間だからな」
成実がふふんと鼻で笑った。明らかに馬鹿にしたその口調に、政宗がむっとした顔で振り返る。
「だから、何故わかるのか、と聞いておるのだ!」
「それを俺なんかに聞いてるようじゃ、一生わからねえよ」
笑って言うと、成実は手に持った桶を揺らした。政宗の方はこれ以上聞いても無駄だと思ったのか、ふてくされたように背を向ける。しばらくたつと、また足がとんとんと地面を打ち始めた。と、そのとき、と下駄の音がこちらに走ってくるのが聞こえた。
「政宗様、お待たせして申し訳ございません」
ぱたぱたとこちらに駆けてくるそれは、紛れもなく見知った妻の姿だった。先ほどの装いとは違って、今は牡丹色に染められた帯で締められた萌黄の浴衣を身につけている。
「い、いや、わしも今来たところだ」
政宗がぱあっと頬染める。愛姫が来て嬉しいのか、それとも妻の浴衣姿に見とれたのか、その辺りはわからなかった。成実がその様子を見て、くくっと笑う。
―結局、そうやって不機嫌そうにしてても、愛姫様が来たら全く咎めないんだよなあ。
「あれ、成実殿もいらっしゃったのですか」
愛姫が息をつき、成実に目をやった。笑いながら存在を主張するように成実が手を上げる。
「はいはい、いましたよー」
そう言って、成実はもう片方の手を上げた。水の入った桶がその手に支えられている。
「つっても、俺は単なる水汲み係り。二人の花火の邪魔は致しませんからご安心を」
成実がにやりと笑う。愛姫が驚いて大きく頭を振った。
「そんな、邪魔だなんて」
その様子に成実は慌てて手をひらひらと振る。
「いやいや、そういう意味で言ったんじゃないですよ」
成実が慌てて弁解した。愛姫がきょとんと目を丸くする。
「では、どういう意味で?」
「…いやもう深く考えないで下さい」
不思議そうに首をかしげる愛姫を見て、成実はげんなりとして頭に手をやった。
(…しまった。愛姫様に疑問を与えると、しつこく訊いてくるのを忘れてた)
愛姫はまだ何か言いたそうだったが、大人しく頷いた。
「わかりました。考えないように致します」
言うと、愛姫は政宗に見やる。
「まあ、甚平でございますか! ようお似合いで」
愛姫は政宗の常盤色の甚平を見て、頬染めて声を上げた。政宗が照れたように頭をかく。
「そ、そうか」
そんな政宗を愛姫はにこにこと笑いながら見つめた。政宗の頬がみるみる赤くなっていく。
「さ、さて、愛殿も来たことだし、花火をやるか!」
政宗がくるりと背を向けた。成実の方からはまだ真っ赤な顔をしている政宗の姿が見える。どうやら、愛姫のまっすぐな瞳に耐えられなかったらしい。
「ほい、これこれ」
成実が鮮やかな色に包まれた花火を二本政宗に手渡す。政宗は受け取ると、愛姫に一本差し出した。
「愛殿、ほれ」
花火を手渡すと、愛姫はそれをじっと見つめた。そして、裏返したりひっくり返したりして花火を手の中で遊ばせている。
「あの、政宗様…これ、どうやって遊ぶのですか?」
「―知らんのか?」
政宗が目を丸くする。愛姫が照れたように頬染めた。
「花火がどういうものかは知っておりますが…一度も花火で遊んだことがなかったので…申し訳ございません」
「いやいや、謝ることではない」
しょんぼりと頭を伏せる愛姫に、慌てて政宗が首を横に振った。
「わしが教えてやる。大丈夫だ」
政宗が愛姫の肩に手を置く。愛姫が恐る恐る顔を上げた。
「…本当ですか?」
「ああ、誠だ」
「でも、私に教えていたら、政宗様が花火を楽しめないやも…」
「何を言うか。この花火は愛殿と楽しむために用意したのだぞ。愛殿なしでは、わしも楽しめん」
「…政宗様、ありがとうございます」
嬉しそうに政宗を見上げる愛姫を見て、成実は呆れたように頭に手をやった。




それからの中庭は光が絶えなかった。手に持った棒状の噴き出し花火からは鮮やかな光が溢れ出し、地面に置いた筒状の噴き出し花火からはまるで水のように炎が噴き出した。ねずみ花火が地面を走ったときは、二人共叫びながら飛び上がった。そうして和やかな時間は過ぎていき、今二人は小さな線香花火を手にしていた。ちりちりと花火の先が火花を散らしている。
「綺麗、ですね」
「うむ」
政宗が相槌を打つ。蝋燭を囲むようにしてしゃがみこむ二人の後ろには、成実が退屈そうにどこか虚ろな目をして立っていた。
「これはな、光を楽しむのはもちろんだが、この光の玉が落ちぬように持つのも楽しみの一つなのだぞ」
「そうなのですか?」
愛姫が顔を上げる。政宗は自慢げに鼻をこすった。
「そうだ。なるべく長持ちさせるよう、気をつけて持つのだぞ」
言って、揺らしかけた愛姫の手を指差す。愛姫ははっとして、しっかりと花火の先をつまんだ。
「これは花火の最後を締めくくる花火だ。慎重にやらんとな」
政宗はそう言うと、ぱちぱちと弾ける花火を愛しげに眺めた。愛姫もそれにならうように、自分の花火に目をやる。
しばらくの間、中庭には花火の弾ける音だけが響いた。
「…愛殿、どうかしたのか?」
「…えっ?」
政宗が声をかけると、愛姫が驚いて顔を上げた。
「いや、様子がおかしかったからな」
ごまかすように笑いながら政宗が言った。愛姫が黙る。少しの間待つと、愛姫が口を開いた。
「…火が」
「火?」
「…火が、消えるのがこわくて」
愛姫がおずおずと口にする。
「何故だ?」
政宗が真剣な面持ちで問い掛ける。愛姫はまた花火に目をやった。
「政宗様は言いました、これは花火の最後を締めくくるものだと」
愛姫はじっと花火を見つめる。
「…それを聞いたら、急にこわくなったのです。この花火が消えたら、夏も終わってしまうのかと」
花火が光を振舞って踊っている。
「まるで、この花火が、夏も、夏の思い出もすべて持っていってしまいそうで」
愛姫の手が、ぎゅうと花火を握る。
「こわく、なったのです」
顔を伏せると、愛姫はおし黙ってしまった。中庭には、相変わらず花火のぱちぱちという音が響いている。政宗はじっと愛姫を見つめた。
「…それは違うぞ、愛殿」
政宗が口を開いた。愛姫がえ?と顔を上げる。
「―これは、夏や、夏の思い出を奪っていくのではない。暖かい光の中で、そっと、とっておくのだ」
「…とって…おく?」
「そうだ」
小さく首をかしげる愛姫に、政宗は頷いた。
「そうして、光の中に閉じ込めて、地に身を落とす…そうやって、その光は夏の思い出を抱いたまま土の中で眠り続け、また、夏に戻ってくるのだ」
政宗が目を細めて花火を見る。
「わしらが、火を見るたびに夏を思い出すように。夏が来たらすぐわかるように」
愛姫が政宗を見つめる。火花を飛ばす花火を見つめる政宗の目は炎を映して明るく輝いていた。愛姫はす、と自分の花火に目を移した。その光はまぶしくて、暖かかった。
「…優しい、光なのですね」
「ああ、そうだ」
政宗が嬉しそうに頷く。愛姫もそれを見て小さく笑った。と、花火が地面に落ちる。

ぽとり

「あ…」
光の玉は、一瞬身を赤く輝かせるとすっとその光を失った。同時に、政宗の花火も落ちる。二人はしばし地面を見つめると、ふっと一緒に微笑んだ。
「…また、来年だな」
「…はい」




「あれ、成実殿。政宗様達と花火じゃなかったんですか?」
「抜けてきた。俺、お邪魔みたいだったからさ」
成実が言うと、さいですか、と小十郎は小さく笑う。
その小十郎に背を向けて、成実は大きく息をついた。

「まったく、恥ずかしい夫婦だよ」




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2004/09/20)

相互リンク記念に天城様に捧げますv「夏の政愛を書いてみよう」企画第六弾。最後は花火です。
すっかり遅くなってしまいました; 小説中の政宗と愛姫の格好は天城さんの暑中見舞い絵を参考にしています。
というか、それがこの話の元になったというか; 創作意欲がものすごく湧きました! ありがとうございます!
実は、成実は天城さんの素敵成実の性格で書こうと思っていたのですが…だ、ダメでした;
うう…あんな素敵な成実を書けるなんて、本当に尊敬致します…!!


→この小説のお返しに、天城さんがイラストを描いて下さいました…!

天城命様のサイトはジャンル変更につきリンクを解除しました。


小説