抱擁


「愛殿」
襖を開いて、政宗は名前を呼んだ。こぢんまりとした部屋の中に愛姫はおらず、侍女のお清が部屋の隅に座しているだけだった。
「政宗様とご一緒ではなかったのですか?」
お清が目を丸くする。政宗は不思議そうに首をかしげた。
「いや、朝餉の後から一度も会っておらぬが」
「ええっ!?」
政宗の言葉に、お清は驚いて声を上げる。
「だって姫様、政宗様のところに行くと言って大分前に出て行って…!」
はっとお清が口に手を当てる。同時に、お清の顔色が青くなる。政宗にも、事情がわかった。どうやら、愛姫はお清に嘘をついてどこかへ向かったらしい。だが、やはり腑に落ちないところがある。気性が素直なあの妻が侍女に嘘をついてまで出かける。今までありえなかったことだ。その上、その嘘の先に政宗はいないと来ている。
「…何だか知らぬが、気に入らんな」
政宗は呟くと、『姫様、何故私に嘘を』と頭を抱えているお清を置いて部屋を出た。




「一体、どこへ行ったのだろうか」
政宗は腕を組んで考える。あの愛姫が一人で城から出られるわけがない。ということは、少なくとも城内に愛姫はいるということだ。だが、
「人一人探すには、この城は広すぎるな」
政宗は溜め息を吐いて目の前の城を眺める。政宗は今、城の裏手に当たる場所にいた。家臣や侍女が休憩するのによく使う場所で、『裏庭』とも呼ばれている場所である。薪を大量に詰めた蔵がすぐそばにあるのもその理由の一つだ。
「さて…どうしたものか」
政宗はもう一度腕を組んだ。いくら生まれた頃からいる城といえど、全てを知っているわけではない。身分の高い者ほど移動する範囲というものは限られているものだ。政宗は溜め息をつく。と、そこへ声が聞こえた。
「…んっ…しょっ」
はっと政宗が顔を上げる。見上げた先には、大きな米蔵があった。疑問に思う前に、開きっぱなしの門へと近付く。
「…えいっ、しょ…きぁっ…うぅ…せっ」
愛姫が、中にいた。小柄な体で二つ積まれた米俵に懸命にしがみつき、よじ登ろうとする姿がそこにあった。
「…何をしておる、愛殿」
「ひゃっ!?」
甲高い声を上げて、愛姫は振り向いた。と、同時に足を米俵から踏み外す。
「あ」
「愛殿っ!」
―ずざっ、どすんっ
「い、痛た…」
「だ、大丈夫か愛殿!」
鈍い音を立てて、愛姫はもろに地面に尻餅をついた。伸ばしかけた政宗の手は届かなかったようだ。愛姫が顔を赤くして答える。
「は…はい、何とか…」
「どこも怪我はしておらぬか?」
慌てて政宗が駆け寄る。
「はい、大丈夫です」
愛姫が照れたように笑う。その手を支えながら政宗が訊ねた。
「ところで、何をしておったのだ?」
ぎくり、と愛姫が肩を震わせる。顔を伏せてしまった愛姫を政宗が覗き込むようにしてまた訊ねた。
「愛殿?」
「…馬の…」
「馬?」
政宗が反復する。愛姫の隠れた顔からぽそりと声が聞こえた。
「…馬の、乗り降りの練習をしておったのです」
小さく囁かれた言葉に、政宗は首をかしげた。
「何故、そんなことを?」
政宗が言うと、愛姫は恐る恐る顔を上げた。小さな顔は朱に染まっている。
「…戦場で、いつもいつも政宗様や成実殿に乗せてもらってばかりで…一人で、乗れるようになりたいと思いまして」
愛姫は呟くようにしてゆっくりと口を開いた。政宗はともすれば隠れてしまいそうな愛姫の顔を見て呆れ顔で言う。
「それで、何故米俵なのだ」
政宗の言葉に、愛姫の顔がますます赤くなる。
「…本物では蹴られてしまうかもと思いまして…最初は座布団でやろうかと思ったのですが…崩れてしまいまして」
「それで、米俵、か」
はい、と小さな声が髪の間から漏れる。政宗ははあ、と息をついた。
「そのようなこと、わしに言えばよかったものを。馬の練習くらい付き合ってやるぞ」
まったく、と政宗が呟くと、愛姫が頬を手で抱えて言った。
「はあ、でもこれ以上、政宗様にご迷惑をおかけしたくなかったのです」
かあっと政宗の顔が赤くなる。
可愛い。なんといじらしいのだろうか、この妻は。
「? 政宗様?」
愛姫の声に、はっと政宗が顔を上げる。知らない間に、俯いていたらしい。少し恥じ入りながら政宗はごほんと咳ごんだ。
「いや、何でもないぞ」
「? はあ」
まだ不思議そうな顔で愛姫は頷いた。頬の赤らみは大分ひいたようで、今は薄い桃色に染まっている。
「まあ、とにかく馬の練習は今度わしが付き合ってやるから、米俵で練習はやめておけ」
「で、でも、政宗様にご迷惑を…」
「これくらい、迷惑でも何でもないわ。むしろ、そなたが内緒でいなくなることでお清が騒ぐ方が迷惑だ」
政宗がまったく、と少し笑う。すみませんね、あんな侍女でと愛姫も苦笑いした。その笑顔を見て、ようやく笑った、と政宗は内心安心した。
「さて、そうと決めたら戻るか」
「はい」
政宗が先に立ち上がり、歩いていく。門に手をかけたところで足を止めた。愛姫の足音が追いかけてこないのだ。
「愛殿?」
振り返ると、愛姫はさっきの場所で座り込んだままだった。腰を下にして床に手をついている。
「どうした?」
政宗が訝しんで訊ねると、愛姫が青く染まった顔を上げた。
「…立てません」
「…は?」
何を、と政宗は愛姫の元へと近付いた。愛姫の顔はすっかり青くなっている。
「…さ、先程の尻餅がいけなかったようで…腰が上がらないのです」
「…誠か」
「は、はい」
返事をする愛姫の顔は情けないやら恥ずかしいやらでとにかく困り果てている。政宗は愛姫の傍へしゃがんで手をとった。
「本当に、立てぬか?」
「…はい、どうしましょうか」
愛姫の目にはすでにうっすら涙が浮かんでいた。しょんぼりと肩を落とす愛姫の手を握って、政宗は愛姫の足の位置や腰の辺りを見ると、んーと顎に手を当てた。
「…愛殿、動くでないぞ」
「? は、はあ…って、きゃあっ!」
甲高い悲鳴と共に、愛姫の身体は宙に浮いた。いや、政宗の手によって抱きかかえられたのだ。横抱きにされた体で愛姫はわたわたと手を振った。
「こら、暴れるな」
「え、ちょ…あの…政宗様…!?」
愛姫は当惑した顔で政宗を見た。驚いた表情とは反対に、さっきまで大振りになっていた手は大人しく口元に運ばれている。
「立てぬのだろう? ならば、こうするしかあるまい」
「い、いやでも、これは…お、重いでしょう?」
さっと頭が回らなかったのか、愛姫は恥ずかしいという感情を口にするのを忘れてしまっていた。政宗は変わらぬ様子で答える。
「平気だ。むしろ軽いくらいだぞ」
「…え、あ、そうですか」
最初の反発を軽くはね返されてしまったせいか、愛姫はまたうまく反論が返せなかった。そうやって愛姫が混乱しているうちに、政宗がさっさと顎で指図する。
「ほら、手をわしの首に回せ。そのままでは落ちてしまうぞ」
「…は、はあ…?」
愛姫は言われたとおりに政宗の首に手を伸ばす。きゅっと首にしがみつくと、先程よりは安定した抱き心地になったのがわかった。政宗はそれを確認すると、愛姫を抱えたままさっさと門へと歩いていった。
「ま、政宗様! まさか、外に出ていかれるのですか!?」
「当然だろう、そなたを部屋まで送らねばいかんのだから」
「で、でも、誰かに見られたら…!」
「何も問題はないだろう? 恥ずかしがることもなかろう、わしらは夫婦なのだから」
政宗が言うと、愛姫はぽっと頬染める。それが何故なのかは、愛姫にもわからなかった。ただわかったのは、自分を抱える夫の頬もほんのりと赤く染まっていることだけだった。




どれぐらい刻がたっただろうか。
愛姫を抱えた政宗は、日のよく当たる縁側を歩いていた。愛姫はそっと政宗の顔を見て、訊ねた。
「政宗様、やはり重たくありませんか?」
「平気だと言っておろう。愛殿の心配することではないわ」
そうですか、と呟き、愛姫はまだ心配そうに政宗を見つめた。ふと、愛姫は俯いた。
「…愛は、いつも政宗様にご迷惑をかけてばかりです」
政宗が足を止めた。抱えている愛姫の目を見る。
「何を言うか、急に」
「だってそうです。戦場でも、今も」
俯いた小さな顔は悲しそうだった。同時に、悔しさも見える。
「政宗様はいつだって、愛のために何かして下さるのに、愛は政宗様のために何一つできません」
どうして、と小さな瞳が訴えている。あまりに、自分が不甲斐なくて。
「このように、迷惑をかけてばかり。愛は、自分が嫌になります」
きゅうと政宗の首に回した手がきつくなった。政宗は足を止めたまま愛姫を見つめていた。しばしの沈黙の後、政宗が口を開いた。
「…愛殿は、嘘つきだな」
「え?」
政宗の言葉に、愛姫は驚いて顔を上げる。まっすぐ上を見上げる政宗の顔が見えた。
「何かしてもらってばかりいるのは、わしの方だ。何一つできないのも、な」
自嘲するような政宗の口調に、愛姫は声を大きくした。
「そんな…そんなことありません!」
「いや、そうだ。愛殿は、気付いておらぬかもしれぬがな」
政宗は顔を下ろし、腕に抱えた愛姫を見る。その顔は穏やかだった。どこか悲しい声で、政宗は空を仰いだ。
「戦ばかりのこの世で、荒みきった世の中で」
きゅっと愛姫を抱く手に力が入る。愛姫は一つしかない政宗の目を見返した。
「愛殿は、いつもわしに暖かさを与えてくれる」
苦笑いに似ている顔を、愛姫は戸惑うような顔で見つめる。
「話すだけで、笑うだけで、共に過ごすだけで」
政宗は愛姫に顔を寄せ、すっと笑った。
「本当に、感謝しておるのだ。だから、もっと自分に自信を持て、愛殿」
唐突な笑顔は明るく輝いていて、愛姫はきゅうと胸が締まるような気がした。ほっとするような暖かさが胸に広がってきて、愛姫は頬染めて俯いた。
「…ありがとう、ございます」
愛姫が礼を言うと、政宗はうむと頷いた。抱えられたまま愛姫はふとあることを思い出し、政宗にひょいと訊ねた。
「そうだ政宗様、ありがとうついでにもう一つよろしいですか?」
「うむ、何だ?」
まだ少し笑みの残った表情の政宗から目をそらし、愛姫はついと軽く抱きつくようにして政宗の耳に囁いた。
「先程から、手が胸に当たっております」
「!?」
耳元で囁かれたことと、その内容に政宗は驚いて体勢を崩した。愛姫が危うく落ちそうになる。
「きゃあっ、危ないです!」
おとと、と政宗は慌てて愛姫を抱え直した。同時に、自分の手の位置を確認してかっと顔を赤らめる。
「す、すまぬ愛殿! 決してわざと触ったのでは…!」
「大丈夫、気にしておりません」
慌てて肩に手を移し必死に頭を下げる政宗に、愛姫は軽い口調で笑った。そして、当然のように言う。
「だって、愛は政宗様の妻なのですから。愛のすべては、政宗様のものなのですから」
にっこりと笑う妻に、政宗は驚いて声が出なかった。愛姫はさらに平気な顔して言う。
「だから、どこを触ろうが、何をしようが政宗様の自由なのですよ」
愛姫の表情を見て、政宗はまた倒れそうになった。まったく、何てことを口にするのだろう。愛姫自身がそう思っていても、そうはいかない本祝言はあと二年後。
「…愛殿が何と言おうが、わしから手を出せぬのがつらいところだ」
「? どうかなさったのですか?」
肝心な台詞は聞いていない。この姫は本当に罪深い女子である。
「ほれ、部屋についたぞ」
知らぬ間に足を運んでいたようで、愛姫の部屋はもう目の前であった。襖を足で開け、政宗はそっと愛姫を畳に下ろした。
「これで安心だな」
政宗が言う。当の愛姫は違うところに気を取られているようだった。外に目を向け、政宗の方を振り返る。
「あの政宗様、この後何か用事はございますか?」
「いや、今日はもう何もないが」
どうかしたのか、と政宗が答える。少し思案してから愛姫は口を開いた。
「でしたら、もう少し愛と一緒に過ごして頂けませんか」
愛姫はにこりと笑って手を打った。




「…どうして、いっつも…政宗様ばっかり、いい思いするんですか…」
夕日が染まる頃、愛姫を探して城中走り回ったお清が見たのは、
日の光を浴びて、畳の上に仲良く並んで眠る幼い夫婦の姿だった。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2004/10/11)

相互リンク記念にまりも様に捧げますv タイトルに少し思い悩んだ一品。
「お姫様抱っこ!」をテーマに、とのお話でしたので書いてみました。え、違う?
とりあえず、いいかげん侍女のお清が出張りすぎですか。すみません、捏造侍女で。
彼女は妙なところで貧乏くじ引いてるキャラです。姫様命!な華の十九歳です。
お姫様抱っこときたら、胸タッチはお約束だと思うのでやらせて頂きました。大好きです、こういうの(笑)
愛姫はきっと政宗が色々しても気にしないと思うのです。だって夫婦だもん!って感じで。で、逆に何もできない政宗。
自分が頼りないなあ、と思ったりする愛姫は素敵だと思いませんか。一人で馬に乗れない愛姫は可愛いと思いませんか。
愛姫の一人称「愛」にしちゃいましたが…まあいいや。戦場に出始めた頃から「愛」になったということで。うん。


→この小説のお返しに、まりもさんがこの小説を漫画にして下さいました…!

鈴久まりも様のサイトはリンク切れにつきリンクを解除しました。


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