けなつかし
「ほら、政宗様。見て下さいまし!」
ぱたぱたと愛姫が駆けてくる。
小柄な体が揺れて、長い髪が後ろで跳ねる。
「愛殿。そんなに勢いよく走ると転んでしまうぞ」
着物の裾からちらちらと見える小さな足が、もつれるようにして向かってくる様を見て、政宗はからかうような声で言った。
「平気です。転んでも、政宗様が抱きとめてくれますもの」
にっこりと笑って言う愛姫に、政宗の頬がぽっと染まる。
「あ、政宗様。今、赤くなりました?」
隙をつくようにして、愛姫が笑う。
政宗は慌てて顔を隠すように手を大きく振った。
「そ、そんなわけがなかろう!」
真っ赤になって否定する政宗に、愛姫はそうですか、と笑って政宗の前に花を置いた。
淡い紅色の花がふわりと、常盤色の草の絨毯の上に乗る。
「それじゃ、私また摘みに行って参ります」
柔らかい笑顔を見せて、愛姫は立ち上がった。
艶やかな黒髪を風になびかせて、また目の前に広がる一面の花畑に向かって走っていく。
政宗はそれを眼で追いながら、ふとさっきの悪戯っぽい笑顔を思い出す。
近頃、愛姫は政宗をからかうようなことを口にすることが多くなった。
原因の大半は、門を閉じても勝手に城に出入りする術を心得た忍びである。
政宗にとって頭を悩ます忍びといったら彼女しかなく、最終的にはいつも彼女の主が頭を下げに来る。
当の本人は全く行動を改善するつもりはなく、世間知らずのお姫様で遊ぶことを楽しんでいるようだった。
相手も、愛姫が政宗の弱みだと知っているので、非常にたちの悪いことである。
それよりも政宗を悩ますのは、愛姫が色んな人と触れ、色んな物を知ることだった。
色んなことを知り、日々顔を輝かせる愛姫を見るのは確かに嬉しい。
けれども、それは自分が教えたことではないのだ。
今まで愛姫は、政宗が教えたことを知り、政宗の手に引かれて世に触れた。
だが、今はそうではないのだ。―そのうち、恐ろしくなってくる。
自分にとって、愛姫は唯一無二の人なのに。
この目が見つめるものは、愛姫だけだというのに。
―人に触れ、世に触れた愛姫は、いつか自分を捨ててしまうのはないだろうか
それが恐ろしい。
願いは、たったひとつだというのに。
―自分が、愛姫を見るように。
―愛姫にも、自分を見てほしい。
「―政宗様?」
政宗がはっと顔を上げる。
ふと気づくと、愛姫の顔が目の前にあった。
大きなつぶらな瞳が確かめるように覗いてくる。
「いかがなさいました?」
心配そうに訊ねてくる声音は、いつもどおりの澄んだ声である。
白昼夢でも見ていたような気分で、政宗は深く溜め息をついた。
「いや、なんでもない。少し、日に当たりすぎたようだ」
そんなことはない、とわかっていたが、政宗は口にはしなかった。
目眩すら起こしそうな気分をごまかすように、政宗は愛姫を見た。
さらさらと流れる黒髪は、日に当たって美しい光の輪が出来ていた。
丸い大きな瞳は、ただまっすぐにこちらを見つめている。
ほんのりと朱に染まった頬に並ぶように、小さな桜色の唇が笑んでいた。
その小さな体すらも、ひとつしかない目で映す世界を埋めるには十分だった。
いや、それしか見えないだけなのだろうか。
「政宗様、聞いてますか?」
突然発せられた声に、政宗はえっと声を上げた。
どうやら、魅せられて声すら聞こえなくなっていたらしい。
愛姫が怒ったように、眉を吊り上げる。
「もう、しっかりして下さい」
叱られながら、政宗は内心、愛殿に言われるとは、と少し笑った。
愛姫は普段の柔らぐような声より少し強く言う。
「もう、もう一度言いますよ? ―私が、最初に持ってきた花はどれですか?」
政宗は言われて、ふっと足元を見た。
色とりどりの花が政宗を囲むように並べられている。
「ああ、最初の花か…」
頭をかいて、政宗は花を一本一本眺めた。
不思議なことに、どの花も覚えがない。
愛姫が持ってきた覚えは確かにあるのに、何故だろう、と政宗は首を捻った。
「やっぱり、わからないのですね」
ぷうと怒ったような声が上から聞こえてきた。
政宗が慌てて顔を上げて否定する。
「いや、違うぞ愛殿。これはちょっと、うっかりしていて…」
「何がうっかりですか。三度も同じことを聞いたのに、答えてくれたのはさっきが初めてです」
えっ、と政宗は思わず声を上げた。
もう三度も? 少しも覚えがない。
「何度も何度も摘みに行って、何度も何度も見せたのに…ずっと上の空で!」
愛姫が思わず拳を握る。
小さな手が、震えている。
「そんなに、私といるのが退屈だったのですか!」
叫ぶように言うと、愛姫はうると眼を潤ませた。
大きな瞳から、ぽろりと雫がこぼれ落ちる。
その突然の涙に、政宗がぎょっとする。
「違うぞ、愛殿…! わしは―」
政宗は立ち上がると、慌てて言った。
「―そなたしか見ていなかったのだ!」
その言葉に、愛姫がきょとんとする。
同時に、政宗があ、と口を押さえた。
焦りで赤くなった頬が、今度は違う理由で耳まで朱に染まった。
愛姫もまた、同様である。
少し居心地の悪い沈黙が続いて、先に口を開いたのは愛姫だった。
耳の赤みはひいたものの、まだ頬は林檎のようである。
「そ、そうだったのですか…私、勘違いをして…」
「い、いや、わしも…その、すまなかった…」
恥ずかしそうに政宗は頬をかくと、思い出したように口を開いた。
「本当に、すまなかったな。愛殿」
「いえ、今のは私が…」
「いや、そうではないのだ」
政宗が首を振ると、愛姫が不思議そうに小首をかしげた。
それを見なかったように、政宗は続ける。
「少し、こわくなってな」
「…こわい?」
「ああ」
ゆっくりと確かめるように、政宗は言った。
「近頃、愛殿は色んな者に会って色んな事を知るようになったろう? だから、こわかったのだ」
「どうしてですか?」
「世に触れれば触れるほどにわかることだ。わしが、異質だということが」
自嘲するように言う政宗の手を、愛姫はきゅうと握った。
「政宗様は、異質などではございません」
「愛殿がそう思っても、世はそうは思わないのだ」
愛姫の手を軽く振り解くようにして、政宗は言った。
「わしは人と違い、世が半分しか見えない。そういうものは、異質なのだ」
「そんな」
「異質なものを、人は忌み嫌う。それが同じ世に生きるものとて」
政宗は笑って、軽く眼帯を叩く。
「だが、そんなわしの半分しかない世界を、満たしてしまうものがある」
「―何ですか?」
愛姫の眼がそうっと政宗の目を見つめる。
政宗は、そっと愛姫の手を握った。
「愛殿だ」
愛姫の髪が風に揺れ、ふわっと政宗の視界に広がった。
こんなときですら、眼を奪うことを忘れない。
「わしの世界は、愛殿で満ちておる。それ以外のものが、一切目に入らないほどに」
涙の乾いた跡が、愛姫のふっくらとした頬に残っている。
政宗はそれを撫でながら、呟いた。
「だから、愛殿にもわしだけを見てほしいと願ってしまう…わがままだな」
ふっと寂しそうに言う政宗に、愛姫は首を横に振った。
「いいえ、違います。だって、私もそう思いますもの」
政宗が見ると、愛姫の目が少し潤んでいた。
どうやら今日は、涙腺がゆるんでいるらしい。
「政宗様にも、私だけを見てほしいといつも切に願っております。ただ、ほんの少しだけ違うところがあります」
「違うところ?」
「はい、小さいけれど確かな違いです」
愛姫は指をついと立ててみせた。
「私は、政宗様に私だけを見てほしいと願いながら、同時に色んなものと一緒にいる私を見てほしいと思っているのです」
「色んなもの?」
「はい、政宗様が教えて下さったものです」
言うと、愛姫はひょいとしゃがんだ。
草の上に散らばった花をかき集め、政宗の前に差し出す。
「覚えていらっしゃいますか? これらは皆、政宗様が初めて私を外に連れ出して下さったとき、私に見せてくれたものなのですよ?」
政宗がはっとする。
初めて、出かけたあの日。
―「愛殿、これが秋桜だ」
―「わあ、きれいですねえ」
愛姫が、そっと花を手にとって差し出した。
淡い紅色は、いつか見たものと同じだった。
「私は、この先も世に触れます。けれども、それはそこに政宗様がいらっしゃるからなのです」
にっこりと愛姫が笑う。いつもの笑顔だった。
「私の瞳には、いつも政宗様がいらっしゃるのですよ」
政宗はこちらを見つめてくる愛姫を見返した。
まっすぐなつぶらな瞳に、隻眼の自分の姿が映っておる。
「もう一度、言います。私も、政宗様しか見ておりません」
悪戯っぽく笑った笑顔は、秋桜の花によく似合っていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(2005/02/11)
政愛祭り投稿作品二作目。以下、投稿時コメント。
タイトル「けなつかし」は「やまとことばであいうえおのお題」から借りました。意味は「心惹かれる」です。愛姫に眼がいっちゃう政宗を意識して。愛姫見すぎな政宗〜というはずだったのに、いつの間にこんな展開に…? 秋桜の花言葉は「真心」。視線に真心をこめて、という気持ちで。
絵チャ会に参加しているとき、「政宗は愛姫しか見てない」というネタが飛び出したので、
いっちょそれをネタに即興で書きましょうか、と言ったのが浅葱さんの運のツキ。
そこから引っ込んで二時間弱で仕上げた作品です。即興なので、やはり粗が目立ちます。
それどころか、ハイになった頭は途中で花を撫子から秋桜に変更したのも忘れ、
投稿作品は撫子のまま、コメントは秋桜の花言葉、という不思議な一品に。
さすがにそのままはまずいので、花の名前だけ直してあります。
祭り、たくさん投稿できなくて残念でした。でも、楽しい一時でした、ありがとうございますのびさん!
