真実の人
「ん〜ふ〜ん〜ん〜♪」
 可憐は、遠い記憶にあるメロディを口ずさみながら、小さな頭をリズムに合わせて揺らしていた。
 九月最後の三連休、最後の祝日。駅前は人込みと言えるほどでもないが、それなりに賑わっており、まるで、彼女が数年前に生誕したことを、共に祝ってくれているようだった。
 しかし、彼女が祝福を求めているのは見知らぬ赤の他人などではなく、間違いなく、この世でたった一人、彼女が生まれたときから想い続けてきた、ただ一人の男性だ。
 ちら、と腕時計を見る。そろそろだ。自分が主役のときくらいは、彼女の方こそ後に来てもいいのだろうが、彼女は無様な姿を、兄に見せたくはなかった。
「お〜い」
 顔を上げる。視線を巡らせ、愛する人を探す。
「あ……っ」
 いた。嬉しくも恥ずかしく、人の波を抜けながら手を振ってきてくれる。
「お兄ちゃ――」
「お〜い」
「え?」
 兄の後方から、別の声が届く。見る。
 手を振り、人並みを掻き分け、笑顔で歩いてくるその姿は。
「お、お兄ちゃん!?」
 兄だった。兄の後ろに兄がいて、兄の前に兄がいて、兄の後ろに――
「え、え、え、え、え、え、え、えええええええええ!?」
『やあ、可憐』
 二人の、寸分違わずそっくりな二人の兄は、可憐の前で、彼女の名を呼んだ。

「お、お兄ちゃん?」
『ン、なんだ?』
 同時に聞いてくる。顔もそっくりなら表情もそっくりだ。上げる眉も、少し開くまぶたも。
「ど、どうどうど…」
『ピアノの練習か?』
「そうじゃなくて!」
 思わず大声になる。
「お兄ちゃん……どうして――二人いるの?」
 核心への質問だったと思う。
『ははは、何を言ってるんだ?』
 どうやら、傍らに立つ自分自身に気づいていないようだ。声もほとんど――というか、完全に同時に出しているから、彼自身の声と思って、別の誰かが同じ言葉を発しているとは――気づいていない。
「お兄ちゃん――手を出して」
 自分も右手を差し出す。彼女の手のひらに、二つの右手が乗ろうとして、指先でぶつかった。
『いたっ――は?』
 やっと二人はお互いを認識した。
『お、俺?』
 あとずさる。
『お前は誰だ!』
 同時に問い。
『俺は可憐の兄だ!』
 同時に答える。
『嘘つけ!』
 同時に文句を言い、
『お前は偽者だ!』
 同時に相手を指差す。
 はじめ可憐は、鏡を置いてあるのかと思ったが、少し認識が誤った。
 右の兄が右手を出せば、左の兄も右手を出す。鏡なら、どちらかが左手を出すはずだ。
 これはまるで――
「存在の鏡、かい?」
「詩的だね」
「ひゃ!」
 突然耳元で囁かれ、可憐は飛び上がった。
「だ、だだだだだだだ――」
「マシンガンかい?」
「ちなみに発射音はパララララ」
 振りかえり、叫ぶ。
「そうじゃなくて――ち、千影お姉ちゃん、鈴凛お姉ちゃん!」
 そこには、チャイナ風のワンピースに身を包んだ少女と、黒衣の少女がいた。
「やあ、可憐くん。おめでとう」
「やっほー、可憐。誕生日おめでとう」
 異常な事態が背中で行われているにもかかわらず、二人はいつもと変わらず祝福の言葉を送った。
「あ、ありがとう――じゃなくて、大変なの、お姉ちゃん!お兄ちゃんが!」
 振り向く。二人の兄はこちらを向いて、
『やあ、千影、鈴凛』
 と妹二人に挨拶する。
「やあ、兄くんたち」
「やっほ、アニキたち」
「な、なんかナチュラルに『たち』つけてるし……え? もしかして、これ」
 姉二人に可憐は詰め寄る。
「お姉ちゃんたち……」
「んっふっふっふ」
「ふふふ……」
 含み笑いをもらす二人。
「そう! 実はアタシたちのせいなのだー!」
「リンくん。調子に乗って肩を組まないでくれ。内跳ねと不人気と守銭奴気質が感染る」
 が―――――――――――――――――――――――――――――――ン!
「おおっと、リンあねぇが、ジョン・ウーばりのオーバーアクションで倒れてゆく――!」
「ま、衛お姉ちゃん?」
 イツの間にやらそこにいた衛が、説明的な台詞を口にする。
「や、可憐ちゃん。誕生日おめでとう。じゃ、ボク用事があるから」
 そして自転車に乗って去っていった。
「……まさか、今の台詞言うためだけに?」
「できるだけ妹を出そうという魂胆らしいよ、今回は」
「………。と、ところで、どうしてお兄ちゃんが二人になったの?」
「それは……」
「復、か―――つ!」
 バビンっとかいう謎の擬音を発しながら。鈴凛が立ち上がる。
「リンくん、早いよ……」
「言われ慣れてるから。それより千影アネキ、アネキが説明したら現実的に時間食うんだから。活字読むだけのアニキならともかくね」
「そうだね……ゆうに5000秒はかかるね」
「何が悲しくて80分以上も。いいから、アタシがやるから。黙ってて」
「……了承」
 肩をすくめる千影。鈴凛は可憐に向き直り、
「さてと。まあ、ぶっちゃけいうと、これって可憐への誕生日プレゼントだったのよ」
「プレゼント? お兄ちゃんを? え、そんなぁ……」
「妄想入らない。でね? アタシがボディを作って、千影アネキにアニキの精神パターンと記憶の複製を頼んだのよ。科学と魔術の融合って奴? 便利だね」
「そ、それで――つまり、どちらかが偽者のお兄ちゃんってことなの?」
 視線だけで威嚇しあい、いつ刃を交えてもおかしくない兄二人を見やる。
「んー、結論から言うと、あれのどちらかがアニキだって確証はないんだな」
「え?」
 頭をかく鈴凛の後ろで、千影が目つきを鋭くしていく。
「………………来た」
 彼女の視線をたどり、可憐も“それ”を見た。
 平和な街。平和な日常。夢を追える世界。
 世界を、彼らは走っていた。
『お〜い、可憐!』
 総勢11人の兄が、寸分違わず走ってくる様は、幸せだけど、ちょっと困った一ヶ月。
 ブラザー・プリンス。
「えええええええええええええええええ!!!?」

「つまり、みんなのぶんも作ったの?」
「うん」
「はい」
 可憐のすさまじい視線にさらされながら、二人の姉は土下座していた。
 場所は移って、駅前公園。13つ子と言われそうな兄の集団は、俺が兄だ、貴様偽者だ、可憐はどこだ、宿題終わってないなどと喚いている。
「お兄ちゃんを元に戻す――と言うか、偽者のお兄ちゃんを見つける方法はあるの?」
「あることはある……けど」
 具合悪そうに、鈴凛が視線をそらす。
「どうすればいいの?」
「……アニキの手を切る」
 くらっ。
 飛びそうになった意識をひッ捕まえて可憐はその場に踏みとどまった。
「どうして!」
「フルカネルリ型完全自立内燃機関を搭載してて、エネルギー切れを待つと数百年かかるし、よりリアルさを増すために千影アネキの『いつのまにか髪の伸びる人形』から毛髪を採取してるから、それで判断するのは不可能。アニキを操作するなんて言うのは嫌だったから、電源ボタンは完全に心臓近くのところに埋めてあって、外からの操作もリモコンがないから不可能なの…。でも、偽者のアニキは機械だから、手を切れば、つまり皮膚を切れば機械か否かわかるの」
「だけど……お兄ちゃんを傷つけるなんて……!」
「そうなんだよね……アタシもどうしたらいいか……」
 打ちひしがれる二人。
「なら――」
「え?」
 今まで沈黙を保っていた千影が顔を上げる。
「なら……そんな物的証拠に頼らない……精神的つながりを…………探そう」
「ど、どうやって……」
「簡単なこと……今日は君の誕生日だ……。……ならば、君の、兄くんへの愛が……おのずと答えを導き出す……。君なら出来る……」
「可憐なら……」
 胸を押さえる。
 兄を見つける。
 愛した人を。
 偽者にはない。
 それは真実の――
「大丈夫っ」
 可憐の顔を、鈴凛が優しく包む。
「可憐は強い! アニキへの思いはまけない!」
「……うん! 可憐、頑張る!」
 意を決し、兄の集団に立ち向かう。
 二人の姉は、その後ろ姿を見ながら思った。
 ノリやすいなー。

「お兄ちゃん!」
『なんだ?』
 13人分のコール。思わず倒れそうになる。
 嬉しさで。
「……お兄ちゃんの一人称は!?」
『俺』
 即答する兄たちに、可憐は首を振った。
「違う。お兄ちゃんは『俺』なんて言わない!いつも――」
 一息吸い込み、叫ぶ。
「いつも『ワシ』って言ってた!!」
 ずべ。
 鈴凛がずっこけた。
「おいおい……」
「ふっ……」
 沈黙が流れる。兄たちは暫く呆気に取られ――
 同時に言った。
『じゃあワシ』
 ずべっ。
 今度は可憐が転んだ。頭から地面に突き刺さる。
「なんで――――!? 普通なら『そんなわけないよ』って言うはずなのに!」
 頭を抱える。
「これはどういうことですかね、千影さん」
「ふむ。今日は可憐くんの誕生日。つまり、兄くんの、可憐くんへの『兄バカ度』はいつにも増して上がっている。可憐くんの言うことは全部正しく、自分の一人称を変えることすら厭わない……といったところかな」
「なるほどー。愛の強さが裏目に出たと」
 ………………………………
「そ、そんな……」
『どうしたんだ、可憐?』
 同時に心配してくれる。
(ああっ……)
 思わず恍惚となる。
 いつもの13倍の愛が、可憐の体に降り注ぐ。
 これを――無くしてしまっていいのだろうか?
「よくないけど――それじゃあ、本物のお兄ちゃんには……逢えない!」
 立ち上がり、少女は叫ぶ。
 愛の絆を確かめる問いを。

「だ、だい……ごひゃく……じゅうさんもん……」
 夕日が差しかかっていた。最早ひとの流れなど無い時間。だが。
「いつのまにかギャラリーが集まっていますね、千影さん」
「いつのまにか現れた白雪くんや四葉くんが状況説明もしているからね。休日最後のイベントだね」
 勝手なことを。
 毒づきたかったが、声は出なかった。
「……可憐の……飼っている……子猫ちゃんの名前…は?」
『……バニラ……』
 神妙な顔で、いつの間にやら審判役に収まった咲耶に視線が集まる。
「……正解!」
 おおおおおおおおおおっ!!!
 上げられた白旗と共に、歓声が上がる。
 可憐も兄達も疲弊しきっていた。闘技場の、最後の決勝戦のような雰囲気が、駅前公園に満ちている。
「だ…だい……」
「あら、可憐ちゃん」
 全員の視線が集まる。
 春歌だった。
「春……歌……お姉ちゃん……」
「あら、どうしたんですか、そんなに疲れきって……え?」
 姉の視線が兄にとどまる。
「あ、兄君さまが……13人も! こ、これは……私、どうしたら……ポッ」
「春アネキー、そんなところで妄想してると危ないよー」
「聞いてないよ……」
 それはそうだった。春歌の妄想領域は、兄でさえも遮る事が出来ない。
「今日は私、可憐ちゃんのために得意の水芸を披露しようと思いましたの。でも、思わぬギャラリーも出来てしまったようでございますね」
 言いながらいそいそと扇子やら傘やらをかばんから取り出す。
「それでは、ご覧あそばせ。梨火由亜流三代目、春歌、新作『帷』――!」
 春歌の掲げた傘から水が噴出した。観衆が驚嘆する。
 それは輪舞だった。熱く盛った闘技場の雰囲気を氷の彫像の如く、魅了し、醒ます、水の舞。
 それが……
「あ」
 春歌の声と共に、兄たちに水飛沫がかかった。
「あ」
 今度は鈴凛。
「え?」
 可憐。
『ギ』
 兄達。
 次の瞬間。
 派手な火花と共に、12人の兄達が爆発した。

 プスプスと焦げた地面の中に、本物の兄が焦げながら倒れていた。
 可憐はそれをぼうと見ながらも――こそこそと歩く鈴凛と千影に叫んだ。
「お姉ちゃん!!!」
 びっくーん。
「これ……どういうこと?」
 鈴凛が苦笑いを浮かべていた。多分、自分も笑ってる。ほら、お姉ちゃんがひきつったもん。
「あーえーと、ね。怒らないで聞いてね?」
「………」
「あのね、その、一言で言うとね……」
「………」
「……生活防水するの……忘れてたみたい」
「………」
 きんっと。垂れていた顔があがる。
 観衆が青ざめた。
「だ、だからね……」
「………………」
「……………………………………………………………………ごめん!!」
「逃がさなああああああああああああああああああああああああああああああああああい!!!!!!!!」
 必殺の三つ編みタイフーンを繰り出しながら。

 可憐は逃げ惑う鈴凛と千影を追いかけて、夕闇の街へ消えていった。
"If you suddenly become to have "thirteen brothers",what do you think?"closed.

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