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はじまりはここから
「お兄ちゃん、可憐、次はあのお店に行ってみたいの」 「ああ、いいよ。行こうか」 兄の右腕に自らの腕を絡めてくる妹に、彼は頷いた。 「お兄ちゃん、見て見て! あのぬいぐるみ、可愛い!」 「この服、お兄ちゃんに似合うと思うな」 「今度はどこに行く? お兄ちゃん」 ころころと表情を変え、だがいつも花のような印象を与える彼女を、彼はずっと目で追っていた。 いつまで、彼女が自分と一緒にいたいと思うのだろうか? 一年後か。五年後か。あるいは明日か。 彼女が、自分の手の届かない場所へ行ってしまう時が、いつかは来てしまうのだろう。 だから、せめてこの瞬間だけは、少しでも思い出を作りたい―― 「――うっ」 風に吹かれ、彼は目を押さえた。砂でも入ったのか。目を擦って、異物を外に出す。 「――ふう。……ん?」 周囲を見る。雑多な人ごみ。この先で会う事はないだろう、あまりにも多い、その他大勢。 その中で、唯一、そうでない人間が、彼の視界から消えていた。 「可憐?」 名を呼び、見まわすが、彼女の姿はない。 「ったく」 歩調を速め、人ごみを縫うように進む。 どこへ行ったのだろうか。 彼女が自分に黙って、どこかに行くなど、決してありえないのに。 焦燥が、まさしく心臓を焦がしていた。 見つからない。 どの道にも、どの店にも。 「可憐!!」 叫ぶが、視線を向けるのはどうでもいい他人ばかり。望む相手は、姿を見せない。 「もう、帰ったのかな……」 はぐれて、向こうもこちらを探して、もう帰ったのだろうと判断付けて帰ってしまったのかもしれない。 彼は諦めて、家路についた。 『ただいま留守にしております。御用の方は――』 電話を切り、携帯をベッドの上に投げ出す。 「食事にでも行ってるのかな……」 そう思って、彼は目を閉じた。 いいんだ。 きっと―― 明日には―― 道の向こうから手を振ってくれるはずだから―― 「よう」 「ん」 クラスメートに気のない返事をして、彼は席についた。 「どうしたんだ?」 「何が?」 クラスメートは肩をすくめて、 「まるで、ドラマの最終回を野球中継の延長で、予約録画に失敗したって顔してるぜ?」 「……そうかな」 「咲耶、いるかな?」 「咲耶ちゃんですか? もう帰ったと思いますけど」 教室の中を振り返り、女子生徒が言う。 「そう。ならいいんだ」 「はい」 頭を下げる女子生徒に、彼は礼を言ってその場を離れた。 廊下を進むたびに、何かが落ちていくような感覚があった。 足場が崩れると言うか、壁の漆喰が剥がれるような、心許無い欠落だ。 停滞した空気を泳ぐように、彼はその場を後にする。 「雛子、いますか?」 「ごめんなさいね。今、友達と出かけてるの」 「そうですか」 「最近、仲のいい友達がたくさんできたみたいでね。この間も大勢連れてきたのよ」 「……それはいいことですね」 揺れる長い髪に、彼は慌てて振り返った。 「春歌!?」 「え!?」 腕をつかまれ、振り返った顔は、彼女とは似ても似つかない顔だった。 「なんですか?」 「あ、す、すみません。人違いです」 手を話して謝ると、女性は鼻を鳴らして去っていく。 味気ない夕食を中断し、ラップに包んで冷蔵庫に放りこむ。 「白雪の料理が食べたいな……」 ぼやき、パソコンを起動する。 メールは一通も届いていなかった。 早朝のチャイムに、彼はうめきながら、ベッドから這い出た。 「――衛か?」 そう思った瞬間、わけのわからない焦りが心臓を鷲掴んだ。 階下に降り、玄関を開く。 「衛!」 「え?」 そこにいたのは、制服に身を包んだ男だった。 「え、あ、いや――何でもないです」 弁護すると、男は、速達です、と一通の封書を手渡してきた。 「な――?」 封書の中身には、数枚の便箋が入っていた。 そこには、亞里亞がつい先日、フランスに帰ったことが書かれていた。 彼女の母親が倒れたこと。その後を継ぐために、すぐにでも教育を行わなければならないことなどが綴られていた。 「……そんな、ばかなこと……」 彼はそのまま、玄関の床に崩れ落ちた。 昼も近い時刻の通学路には、学生など他にはいない。 誰もいない。 突然襲撃して、質問してくる彼女も、当然いないのだ。 校舎の窓から、庭園を見下ろす。 誰かが世話をしていることを誰もが知っていても、誰が世話をしているのか、一部の人間しか知らない。 誰かが世話をしていても、必ず枯れる花々は、誰も見ていないうちに枯れていく。 歩を止め、彼は絶句した。 「閉まってる……」 近隣でも有名なジャンク屋は、錆びたシャッターが重く下ろされていた。 シャッターには張り紙が張ってある。そこには、店主が死んだことが記されていた。 「……死んだのか、じいさん」 まったく知らなかった。 前に見た時は、とても元気だったのに。 あの時の老人は、このことを予測していたのだろうか。あの時の顔を思い出す――が、わからない。 彼には死が差し迫っていた。 自分にも、死が近づいてくる。 誰にでも、死はやってくる。 それを知っているのに、自分は何故、生きているのだろう―― 夜中に入った電話は、彼女の死を伝えるものだった。 「――え?」 『先ほど、お亡くなりになりました。急なことでしたので、連絡が遅れ、まことに申し訳ありません』 聞いてなどいない。 そんな言葉は要らない。 ナくなるなど、そんなことはアリエナイ―― 彼は絶叫した。 いつのことか。クラスメートが顔を覗きこんでくる。 「どした?」 「……何が?」 「無茶苦茶やつれてんじゃん。メシ食ってるのか?」 「……さあね」 皮肉めいた苦笑を浮かべ、彼は床に倒れこんだ。 「兄くん」 暗闇の中、はっきりと、彼女の姿だけが見えている。まるで、黒い画用紙に写真を貼ったように。 「なんだ。お前か。何でお前なんだ?」 「私がセットしたからだよ」 笑いもせず、悲しむでもなく、表情なく彼女は言った。 「セット? お前が殺したのか。お前が追いやったのか。お前がみんなを遠ざけたのか――!!」 彼女の襟を掴み、激昂する。 「お前だけがのうのうと、俺に会いに来たのか!!」 「――嬉しく、ないのかい?」 「何だと?」 「みんなに会えなかった――私にも会えないと思ったんだろう? けど、私はこうして、兄くんに会いにきた――」 「お前がみんなを、俺から遠ざけたんじゃないなら、そう思ったさ!」 振り払うように、彼は彼女を突き飛ばした。 「くそ! 何なんだ! みんなはどこに行った!? 俺はみんなに会えないのか!?」 「――そうなる、ということだよ」 「何――?」 彼女は悲しげにつぶやいた。 「誰もが誰も、永遠ではいられない。決定的な別離が訪れる時が来るんだよ、兄くん。 抗えないんだ。誰も――私でさえ、この力を覆す事はできない。 すべての存在は、『生まれた』時から『死ぬ』事を宿命づけられている。 私は、それをシミュレートしたに過ぎないんだよ……」 「シミュレート? ってことは、本当は、みんないるのか? 俺はみんなに会えるのか?」 「ああ――だがね、『これら』は必ず来るものなんだ。『起こり得る』、ではなく、『起こる』ことなんだ」 彼女の言わんとしている事はわかっている。彼は頷いた。 「わかってるさ。なまじみんなが俺を好きでいてくれるから、それを考えずにはいられない」 彼は、顔を上げ、叫ぶ。 「だけどな、だから何だ!? 俺はここにいて、みんなもいて、一緒にいる!」 「それもいつか、断絶されるんだ」 「そうだな。それは、運命にされて、決まってて、覆せないんだろう。俺だって、いつか死ぬ。 けど、切れる瞬間があるからって、それ以外は決まってない! 切れる前には、死ぬほどみんなと一緒にいる! 切れた後には、死ぬ気でみんなに再会する!」 「……死に抗い、死の後に、生を生むということかい?」 「そうだ。どうせ避けられない運命なら、それを挽回すればいいだけの話だ」 「無理だとしても?」 「俺が、好きなことに関しちゃ諦めが悪いこと、忘れたのか?」 「……そうだね」 ふっと笑い、彼女は頷いた。 「私たちの想い人は、誰よりも往生際が悪い、か」 「運命なんかに、俺の愛は崩せないよ」 「……ああ」 すっと、彼女の右手が上がる。 「それじゃあ、また会おう」 「ああ」 「今度は早くがいいな」 「努力するよ」 「頼むよ……」 そして彼女は遠くを見るように、 「終わりたくなければ、足掻かなければね」 指を鳴らして姿を消した。 「お兄ちゃん?」 「ん?」 下から顔を覗きこまれて、彼は手を振った。 「大丈夫。少しごみが入っただけだから」 「あの、可憐、ハンカチをぬらしてきましょうか?」 「大丈夫だって。じゃあ、次は――あのパーラーでも」 「うん!」 再び腕を組まれ、少し躊躇ったが――彼も腕に、少し力をこめた。 「お兄ちゃん?」 彼女が顔を上げる。 「いやな。可憐が離れていかないように、な」 「――うんっ」 頷くと彼女は、頭をこちらに寄せてきた。 「……お兄ちゃん」 「なに?」 「可憐ね。時々不安になるの。可憐、いつまでお兄ちゃんと一緒にいられるのかなって。いつかお兄ちゃんと、離れ離れになっちゃうのかなって……」 「――大丈夫だよ」 彼は空を見上げ、 「俺と、可憐と、花穂と、衛と、咲耶と、雛子と、鞠絵と、白雪と、鈴凛と、千影と、春歌と、四葉と、亞里亞が望む限り、俺たちはずっと一緒にいられる」 「それでも、それでも離れ離れになっちゃったら?」 「そんときは――」 妹の目を見て、彼は断言した。 「俺がお前たちを見つけ出す。どこにいたって、どんなに離れていたって、絶対に探し出して、抱きしめてやる」 「お兄ちゃん……っ」 彼女が、歓びを顔に満たす。 終わり、生まれる世界の中で、彼は彼女を抱きとめた。 "The End is The Beginning"closed.
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