花の上のきらめく露の消えぬ間に
 しとしと、という、古来からの擬音が似合いそうな雨が、彼と彼女の周囲に落ちている。
 六月を終えても未だに梅雨は終わらず、せっかくの誕生日だと言うのに、苛立ちを誘うような天気は昨日から続いたままだった。
「ま、覚悟はしてたけどね」
 自前のビニール傘の下、鈴凛は苦笑する。
「この時期に生まれた人間の宿命って奴よ。この間の、四葉ちゃんの時もそうだったじゃない?」
「侘真(たまき)がそんな事を言ってたな」
「そうそ。それに、千影ちゃんに教えてもらったんだけど、蟹座は水の属性なんだって」
「どういう意味だ?」
「よくわかんないけど、そうなんだって。だから、水に関連することが起きるんじゃないかな?」
「そうなのか」
 興味はないので、適当に彼はそう言った。
 と、傍らの妹が声をあげた。
「ねえねえアニキ! あの服屋入ろっ」
「?」
 彼女が指差す方角には、彼女と同世代の少女が好みそうなブティックがあった。雨とはいえ、下校時間なので、そこそこに学生の入りはあるようだ。
「なんで?」
「なんでって……服買う以外に、何かすることあるの?」
「いや……わかった」
「よーし、それじゃ、Let's Go!」
 雨に負けじというように進む彼女に従い、歩を進める。
 まあ、いいだろう。彼女の誕生日だ。彼女の望むようにすればいい。
(鈴凛らしいかと問われれば、わからんがな)


 店に入ったとたん、鳥肌が立つ寸前の冷気が肌を触った。
「すっずし〜」
 彼女の言うとおり、確かに冷房が効いている。だが、どちらかといえば、湿気を除くための空調だろう。
「どんなのがほしいんだ?」
「え?」
 くる、と鈴凛が振り返る。彼はもう一度聞いた。
「どんなのがいい?」
「え? え〜と……」
 視線を逸らし、彼女は口篭もった。そわそわと店内を見まわす。
「え、えーと、あれ! あそこから見よ!」
「ん? おお」
 すたすたと、楽しいと言うよりは、慌てているような歩調で、彼女は歩いて行く。
「?」
 不可解な気はしたが、当然だろうな、とも思う。彼の記憶では、鈴凛はあまりこういった店に来ないはずだ。服はいつもシンプルかつ、彼女の趣味により、汚れても構わないようなものが選択される。しかも買ってくるのは母親だ。
「ど、どれがいいかな、アニキ?」
 棚を指し示され、彼はあごに手をやった。
「――これとか?」
 白いシャツにファンキーなアートがプリントされたものを指差す。
「これ? じゃあこれにしようか」
「は?」
 あっけにとられているうちに、鈴凛は同じシャツが重ねられた棚から、一番上のものをひったくって、レジに早足で向かう。
「ちょま!」
 がしっと鈴凛の腕を掴むと、彼女はびくっと振り返った。
「え、な、なに?」
「それでいいのか?」
「い、いいよ? アニキが選んでくれたんだもん。うん」
「――サイズも、それでいいのか?」
「え?」
 彼女は目を見開いて、シャツを広げた。そのまま体に当てる。
「………」
「……あ、あはは、ちょっと大きかったね……」
 あからさまに誤魔化し笑いの鈴凛に、彼は嘆息した。
「――どうした? 学校で何かあったのか?」
「えっ?」
「いつもと違う」
「そ、そんなことないよ? いつもどおりだもん」
「……いつもどおりの奴に、『いつもと違う』なんて言わない」
「………」
 うつむく鈴凛。彼も、何も言わなかった。
「――あのね」
 ぽつり、と彼女が口を開いた。
「私って、可愛くないよね?」
「――どこが?」
「ほら、普通私ぐらいの女の子なら、こういうところに来てお洒落な服買ったり、お化粧品買ったりするじゃない? 咲耶ちゃんみたいにさ」
 目的があれだけど、と彼は思ったが、鈴凛は続ける。
「でも、私がやることって言ったら、メカのことばかりじゃない? 帰りにジャンク屋寄って、家に帰ったらラボにこもって、朝まで徹夜して、もう、ほんと、女の子っぽくないよね……」
 彼女はぎゅっと、シャツを握り締めた。
「だから、今日から、少し女の子らしくしようかなって。誕生日だし、新しい、女の子らしい私になろうかなって思ったんだ……」
「――なりたいのか?」
「え?」
「女の子らしくなりたいのか?」
「…アニキ…?」
 彼は嘆息した。
「先に言っておくが、お前が咲耶みたいになるって言うのなら、俺は笑うぞ」
「笑う!? アニキが!?」
 まるでありえないというように彼女は声をあげた。
「笑う。お前がそんなふうになるなんて想像できんが、どんなに滑稽かはわかるからな」
「こっけい……」
「滑稽だな。まったくお前らしくない。第一、お前は本当にそうしたいのか?」
「………」
「俺にはそう見えん」
「……やっぱり、変、かな」
「変だ。いつものお前のほうが、俺には合ってる」
「えっ?」
 ぱっと、彼女は顔を上げた。
「あ、合ってる?」
「そうだ。洒落っ気など微塵もなく、いつも趣味に金をつぎ込んで、ラボに閉じこもって役に立つようで立たないような代物を作成し、月末でもないのに金欠になり、いつも俺に頼ってくるお前のほうがいい」
「……アニキ、それ、誉めてるの? けなしてるの?」
「どっちでもとれるだろう。俺は、お前がお前らしいほうがいいと言っているだけだ」
「………」
 彼女はうつむき、そのまま黙ってしまった。
 何か悪いことを言ったのだろうかと思案すると、がしっと手首を掴まれた。
「?」
「アニキ」
「なんだ?」
 彼女は顔を上げ、にやりと笑った。
「そんなに言うなら、覚悟してよね」
「………」
「さ! 電気街百件めぐり、行くわよ!!」
「……了解」
 こちらの手をしっかり握ったまま、外へ駆けていく妹に引きずられ、彼は苦笑した。
(まったく。変わってくれたほうが良かったか?)
 だが――
「あ、雨上がってる!」
 変わってくれたのは、天気だけのようだった。
"Lily of da Valley"closed.

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