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夜魔の森の女王
「ああ、朝だ」 「そうだ」 「走らねば」 「何処へ行こうというのだ?」 「あの人の下へ」 「何時までに?」 「今日が終わるまでに」 「何故?」 「それは……」 「どうやって行く?」 「どうやって」 「誰が?」 「私が」 「私とは君か? では私は誰だ?」 「あなたは?」 「私を問うのは、無意味だと、君は知っているね」 「幻影だから」 「存在しえないから知っても意味がない」 「だが、それはあなただけだ。意味がなく存在するものは、幻影だけではない」 「そうだ。意味があって存在するものはこの世を満たしている」 「だが、唯一、ただ絶対の一つの種族だけが、意味なくこの世を渡り歩く」 「意味なき子よ。君は、それを本当に知っている」 「だから私は起きなければならない。今日は、特に」 「そうか。禁忌の者よ。君はそれでも、更に踏んでいくのか」 「そうだ」 「では君の目をこじ開けるとしよう」 「どうやって?」 「楽しみにしているがいい」 「わかったよ」 「では、最後に」 「なんだい?」 「あの人とは、誰だ?」 寒い。そう感じて起きる日は、ここ最近途切れない。三月とはいえ、まだ春とはいえない。気分的には。 とはいえ、桜が早々に咲き始めたとも聞くから、昼は春と思うのだろう。夜はまだ寒いが。 人間とは勝手な存在だと決め付け、千影は寝所から出た。棺桶で寝起きするようになって数年。もはや、ここ以外では眠れないと思える時期も過ぎ、他の場所で寝ることすら思いつかなくなった。化け物に近くなったことに喜びこそすれ悲観はしない。そも、暖房すら効いている棺桶に文句などない。 カレンダーを見やる。まだ、見慣れない二千三年の三月のカレンダーは、自分の守護星座であるピスケスが踊っている。 「そうか……今日は」 今年も誕生日を迎え、だがいつもと変わらず千影は着替えを始めた。 朝の森は静謐だ。だが、騒然でもある。眠りから覚めた様々な存在が、新たな太陽に挨拶する。 この時期ともなれば、六時でも明るい。自宅の庭から続く私有地は、朝露と冷気を孕んで、今日も佇んでいる。 悪戯好きの風の子に水汲みを頼んで、千影は朱鈴の所へ足を運んだ。 「やあ、 「おはよう、千影」 森の中でも、朱鈴に並ぶ木は二本とない。その枝に座る老人が、軽く手を上げた。 「昨日から精霊たちが騒いどるが、何かあるのかね」 枝からふわりと飛び降りて、朱鈴が訊ねる。 「今日は……私の誕生日なんだ」 「ほうか、それで祝いをな…。なんぞいるかえ?」 「いや。まだ研鑽熟せぬディレッタントなれば、千年の古老に望むものなどないよ」 「ふむ」 森の主たる老人は、自らの根に腰掛け、首をかしげる。 「では何ゆえ? わざわざ濃のところに来るのだから、何ぞ話でもあるのだろ?」 「ああ」 千影は今朝見た夢のことを話した。 「ぬしの夢を渡るとは、なかなかやるのう」 「並大抵でないことはわかる。痕跡もなかったね」 「とりあえず、ぬしの兄君のところへ行ったらよかろう」 「だろうね」 風の子に運ばれてきたバケツを持って、千影は腰を上げた。 「あら〜ん、千影ちゃん。あろは〜」 「どうも………」 アパートの一階の一室に鍵を指す美女に、頭を下げる。 「 「ええ」 「受験前だったかしら?」 「今年はダメだとか、両親も言ってますけど」 「オチたらウチの店で雇ってあげるって言っておいてね」 「はい」 かんかん、と階段を上がる。千影の朝の散歩には二つのルートがある。一つは森、もう一つは兄が一人暮らしをしているアパートの前を通るものだ。しかし、五日前に卒業して以来、朝が暇になったので、こうして両方来ることになった。最近、兄の調子が悪いので、その様子見もある。 兄の部屋の前に来る。恐らくは寝ているだろう。 「影千代」 かざした手のひらの上に、精霊が来る。影千代は一礼してから、兄の部屋に消えた。 同調率を上げる。精霊の視界は、机の上で寝ている兄を捉えていた。命令を下し、毛布をその背中にかけさせる。 「…!?」 ぱしん、と音が出るならそのような感じで、同調が解けた。 見やる。兄の隣室から、一人の人間が出ていた。こちらを見ている目はうろんで、人を突き放すというか嫌っているような雰囲気を持っていた。 男は千影の前を素通りし、階段を下りていった。そのまま、車道へ出る。 「………」 影千代を帰還させ、音を立てないようにして階段を下りる。そして、先程の美女の部屋を叩く。 「三島さん」 ややあって、美女が出てくる。 「うえ〜、何?」 眠たそうな目だったが、構わず訊く。 「兄くんの隣に越してきた男、知ってますか?」 「え、う〜ん……塚田のこと?」 「塚田」 「一昨日に来たばかりで〜、受験生だって。愛想悪いから嫌い」 「ありがとうございます」 「おやすみ〜」 扉は三島に任せて、再び二階に上る。 塚田。表札にはそうある。 千影は護符を懐から取り出して、ドアノブに触れさせた。パキン、と割れる。 「高かったのにな………影千代」 精霊を呼び、扉を通過させようと放つ。が、 『きゃうんっ』 跳ね返された。 「結界か……ふん。仕方ない」 「兄くん」 「ひゅはっほ!」 元気そうな叫びを上げて、兄が飛び起きる。 「あ、ああ、何だ、千影か」 「兄くん、ご飯を作ったよ」 「え、ああ。ありがと」 ん〜、と伸びをする兄に、千影は告げた。 「兄くん、今日の予定は?」 「ん〜? 今日は一日予備校だよ。多分帰りは夜だな。あ〜、晩飯はいいよ」 「そうかい……」 食卓に向かう兄。千影は向かいに座る。 「兄くん……」 「ん?」 「調子が悪くなったのは、いつごろからだ?」 「ん〜、月初めじゃないか?」 「やはりね……」 「どした?」 「安心していいよ。今日で悪夢は終わる」 「…………」 「どうしたんだい?」 「また薬とかじゃないだろうな……ててっ」 「変なこというから……」 「ん?」 誰もいない兄の部屋で、千影は精霊に頷いた。 「そうだな、どうせ素人さ………用意なんかいらないね………悪い。本当は、ただ、ここにいたいだけさ」 塚田孝明は予備校の帰り、いつもの公園でいつもの儀式を始めた。 効果はついぞ現れ始めている。憎いあの男(どうせ向こうは、こちらの名前と顔も一致していないだろうが)は、日に日に衰弱してきている。昨夜はついに、彼女の夢にまで渡れた。まったく、魔法使い様々だ。 とっくに事切れた猫の遺骸を円陣の中心に放る。かじかんだ手でノートを取り出し、呪文を唱える。呪詛の手順は変わらない。積分よりも簡単だ。 「やはり、ね」 カツン、と。あまりにもはっきり過ぎる足音に、塚田は振り返った。公園のベンチの前に、誰か立っている。 「あからさまだね。どうせ呪詛をするなら、自宅ですればよかったんだ。対象の隣にわざわざ越してくる必要はない」 聞きたかった声。だが、そんな風に、自分を糾弾するような声は、聞きたくない―― 「つまりは」 もう一歩。街灯の真下に、彼女は現れた。 「『結果』が知りたかったんだろう? 自分の行いの結果を、すぐさま、常に、どうしようもなく――知りたかったんだろう? 結果が分からないことを、君はしないんだろう。模擬試験などで、すぐさま結果が分かる君にとって、出たかどうか分からないなんて、耐えられなかったんだろう」 「うううう……」 「君の敗因はそれだ。私は、君の祖父が生まれる前から、研鑽を積んできたんだ。君が部屋に結界など張っていなければ、気付かなかったかもしれないがね」 「ぼ、僕は……」 弁解だ。いや、虚偽だ。そんな、あの魔女は絶対にばれないと言った。普通の人間には、絶対、暴かれないと… 「だから、分かったんじゃないか」 「!!」 「私は普通ではないのだから」 ゆっくりと、頭を振る彼女の姿に、彼は決めた。ダメだ。もうお終いだ。 だったら―― 「ただ、どうしてもわからないことがある。私の夢を渡ったことだ。兄くんを狙うんなら、私のところに来る必要などないんだから」 「それは――」 猫の血に濡れる大振りのアーミーナイフを振り上げて、塚田は走った。 「こういうことさああああ!」 金切り声を上げ、彼女の服を引きちぎる。白い肌が月光に露出する。興奮が脳髄を刺激した。 彼女の顔を見る。恐怖にゆがんでいるだろう。最高だ。なんて―― 「まあ――」 笑っていた。 次の瞬間、彼は背中に痛撃を感じ、ゆっくりと意識を手放した。 「想像はついていたんだけどね」 「すると、そいつはちかに惚れてたの?」 「そういうことだね」 午後八時。残り四時間の誕生日は、精霊たちと過ごすことになりそうだ。 「どこでちかを知ったのかな?」 「彼は兄くんと同じ予備校に通っているんだ。私がそこに行ったのは一度や二度じゃないから、多分、そこで」 「へー」 月兎の 「そいで、手段を手に入れたから、決起したと」 「そのやる気を勉学に入れたら良かったのにのう」 朱鈴の声に、千影は苦笑した。 「今の勉学は、己を高めるんじゃなくて、他人を蹴落とすためにあるんだよ」 「なーんかくらーい」 雪わらしがぼやく。 「でーも、大変だったね。せっかくの誕生日なのに」 「結局、 頷く。 「でも、今の私の望みは、兄くんが大学に合格することだからね」 と、胸元から音楽が流れた。ワーグナー、『ニュルンベルグのマイスタージンガー』第一幕への前奏曲。 「ん、失礼。……もしもし?」 『千影か?』 「兄くん?」 『あのさ、今日、千影の誕生日だろ?』 「思い出したのかい?」 『あ、ひっで。俺を何だと思ってる』 「今朝、その話題は欠片も出なかったけどね」 『……まあ、それはともかくだ。親父たち、いないだろ? どうせ千影のことだ、寂しく実験でもしてるんじゃないかと思ってさ』 「兄くん、私を何だと思ってるんだい?」 『愛しのマイスウィートシスター。で、ケーキ買ったんだ。一緒に食おうぜ』 「勉強は?」 『気にするな!』 「………」 『もう家の前まで来てるんだよ。開けてくれよー。寒いよー』 「そっちにはいないんだが……まあ、すぐに行くよ。先に入っててくれ」 『おっし、許可出た! んじゃまたなー』 携帯を外套のポケットに放り込み千影は立ち上がった。 「帰っちゃうのー?」 「ああ、寒がりの片割れが来ているのでね」 「ふーん」 すでに宴はお開きだったので、その一言で精霊たちは思い思いの方向に飛んでいった。 「さて――」 「千影」 「ん?」 朱鈴はにやりと笑って、 「嬉しそうだのう」 「そうかい?」 「大学合格なんぞより、な」 ふん、と鼻を鳴らして、千影は森をあとにした。 "Don't knowen."closed.
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