Fighter's Aim 〜彼と彼女の出逢い・春歌編
 鼻先を掠める拳を半目で見やり、呼吸を止める。
 伸びきった腕はまな板の上の鯉であり、養豚場の豚と一緒だ。
 つまりは人間の思うがままであるってこと。人間万歳。
「ふっ――」
 呼気を引き金に右足を蹴り上げる。つま先は、踏み込んできた相手の脛を横目に疾走し、槍のごとく胸に刺さる。
 ホラー映画のようなといえばいいのか。
 つまりは、聞いたら気持ち悪いが、それこそが醍醐味である“苦悶”の悲鳴が相手の喉から漏れる。
 脚の指先にひっかかったソイツを蹴飛ばして、俺は周囲を見やった。
「次は――お前かな」
 適当に選んだ無精髭の学生服が、引きつった悲鳴を上げる。
「い、いや、俺は……」
「俺が白並木の明仁義弥だって知ってて、来たんじゃないのか……」
 舌打ちする。
「ち、ちげーよ! お前が俺らにつっかかってきたの――ぶげっ」
「地べた這いずってる虫なんぞ知るか」
 右足を振って、無精髭のツラを蹴飛ばす。
「何だよ、俺って有名じゃないのか。天才的だって言われてるんだぜ? どうよ」
「い、いや、どうよって言われても」
 口を押さえる無精髭に代わって、ニットキャップを被ったヤツがつぶやく。
「つーか、明仁義弥って、まさか」
「そうよ。『闇蹴り』『ロングステッパー』『足音なきカラス』って言われてる明仁義弥だよ」
「そ、そうなの?」
「そうだよ」
「俺らが知ってる明仁義弥は、滅法ケンカに強いって噂なんだけど、そんな渾名知らないよ……」
「ああ、自称だからな」
『ぶっ!』
 吹きやがったこいつら。
「笑ったな?」
「い、いや、だって」
「渾名、自分でつけるかフツー?」
「しかも面白すぎ、つーかダサすぎヒャハハハブ!」
 ピアスをじゃらじゃらつけたやつを蹴る。
「ああっ、トシキ!」
「てめーら忘れてねーか? 俺が一瞬で仲間殺したのをよ」
『あ、そういえば』
 残り三人が我に返る。
「ど、どうする?」
「こんな滅茶苦茶なヤツ、相手にできっかよ」
「でも、タカヒトたちやられてるんだぜ?」
 三人集まっての会議を尻目に、最初に気絶したヤツのポケットから財布を抜く。……結構厚いな。
「あ、てめー何やってやがる!?」
「戦利品」
『ざけんなぁ!』
 三人同時に飛び掛ってくる。
 それが合図になった――


 がらっべしっ。
「…………」
 扉を開け、俺は背後から振り下ろされた一撃を受け止めた。
 竹の感触――まあ竹刀だろう――を二の腕で味わう。はっきりいって痛い。
「ジジイ、何する」
「ふん、わしとてこんなことはしたくないわ」
 声と一緒に玄関の庇から落ちてきたのは、胴衣を身に纏ったジジイだった。
「だがな、わしはお前を更正させるために、やらなければならんのじゃ」
「そんなんで治るか。金持ってこい」
 振り返り、突かれた竹刀を右に弾く。
 とりあえず禿げになる心配はしなくていいジジイの頭を睨む。ジジイも俺を睨む。
「はっ! 若いやつらが囀る、暴力教育の否定か? じゃがな、わしは更正しなければならん連中を余計に増やす考えにしか思えんぞ」
「否定はしねえよ。だけど、俺に必要なのは暴力じゃなくて金だ」
「その制服のふくらみは何じゃ?」
 指差した先には、学校帰りに得た戦利品が制服を膨らませていた。
「義弥! お前、またケンカをしてきたな!?」
「自分の腕で稼いだんだ。何が悪ぃ」
「わしはそんなことをしてほしくて、お前を鍛えたのではない!」
「そうかよ。俺だって、鍛えてほしくて鍛えられたんじゃなかったけどな」
 靴を脱いで、玄関に上がる。
 後ろから、ジジイの溜め息が聞こえた。
「まったく。これではお前の親父も母さんも浮かばれんよ。せっかく妹も来るというのにのぉ」
 二階に上がろうとして――聞きなれない単語に振り返る。
「なんつった?」
「何じゃ。親父たちを思い出して、更正する気になったか?」
「違う! 誰が来るっていった?」
「妹じゃ。お前のな」
 俺に妹? 妹?
「何じゃ、覚えとらんのか。ほれ、お前の祖母さん、母さんの母さんが独逸の侯爵様と結婚したとき、一緒に向こうに行った」
 ………あーあー、そういえばそんなのもいたって言ってたな。会ったことも話したこともないから忘れてた。というか、名前すら知らないけど。
「そいつが来るのか?」
「うむ」
「なんで?」
「飛行機で」
「殺す」
「平たく言えば、日本の文化を学びにじゃ」
「いつ帰るんだ?」
「さあ?」
 さあって何だよ!
「というか、永住じゃな。一応、日本で生まれたから日本国籍じゃし、そもそも誰もあの子を、一生独逸にいさせる気はなかったしの」
「…………」
 ふざけてる。
 それだけ口の中でつぶやき、俺は二階に上がった。


 暗闇の中、目を覚ます。
 すきっ腹が眠気を阻害するのに舌打ちして、階下に降りて水を飲む。
「っはぁ……」
 グラスを置いて、嘆息する。
「妹ねぇ」
 ジジイの言葉を思い出す。
 会ったことも話したこともなく、名前も知らない妹がいたことを、たぶん数年ぶりに思い出した。
 いや、きっとそいつが生まれたとき以来、思い出すことはなかったと思う。
 祖母さんとお袋とソイツが向こうに渡ったとき、きっと俺は悲しく思ってた。
 けど、いつしかそれが当たり前になって、いないこと自体が当たり前になった。
 お袋が死んだ時だって、ソイツのことは思い出さなかった。
「ソイツだって、俺のこと覚えてるんだか……」
 苦笑する。
 大体、来る理由が胡散臭い。
 文化を学びに? ふざけてる。
 そんなもので、今までの生活を捨てるヤツなんかいない。
 ソイツだって、誰も知らないこっちに来るより、祖母さんやダチのいる独逸で一生を終えたほうがいい。
 こんな腐った人間に会うより、よっぽどいい――


「ちっ、口切った……」
 右頬の内側に出来た傷を舐めて、唾と血を吐き出す。
 路地裏に転がる学生服を尻目に、ビールケースに腰を下ろす。
「今日はちっと気合入ってたな。役に立ってよかったな、お前ら」
 聞いてない奴らに吐き捨てる。
『これではお前の親父も母さんも浮かばれんよ。せっかく妹も来るというのにのぉ』
 ジジイの言葉が蘇る。
「うるせえよ……」
 足元にあった携帯を蹴り飛ばすと、携帯は壁にぶつかってひん曲がった。
 ……俺が、こんなになったのは、ガキの頃だった。
 ジジイに空手を教わってた。親父は昔腕を痛めたんで、俺はその代役だった。
 来る日も来る日も練習に明け暮れてた。嫌いじゃなかったが、退屈だった。
 で、嫌いになった。回りの奴らが遊んでるときに、どうして俺だけこんなことしてなくちゃいけないんだ、と。
 そんなとき、クラスの女子がいじめられたときがあった。
 俺は、いじめてた奴らを殴った。
 ――爽快だった。
 今までの努力が目に見えて発揮されたこと、弱い奴らを蹂躙したこと、弱いやつを守れたこと。
 それら全部が快感で、ジジイに怒られてもやめられなかった。
 それがいつからか、守るためじゃなくても拳を振るえるようになって。
 周りの奴らが自分より弱くなったら、練習もサボるようになった。
 弱いやつを殴るだけでいい。
 それだけで俺は、楽しかった。
 ――本当に。きっと。


「義弥」
 呼ばれて顔を上げると、蒼空をバックに、ロンゲの男が立っていた。
「希か」
「ああ」
 頷くと、希の髪がさらりと肩から落ちた。どういう仕掛けなのか、こいつの髪はシャンプーのCMモデルのような質を持つ。
「どうした」
「いや、見かけたから声をかけただけだ」
「そっか。――座れば?」
「うむ」
 頷き、俺の隣に腰掛ける希。
 しばらく、無言で食事を続ける。
 俺はパンを食い終わり、希はおにぎりを食い終わる。
「義弥」
「ん?」
「そういえば、鈴凛から聞いたのだが」
「誰だっけ」
「妹だ」
「そう」
 そういえば、いたような気がする。
「今日、お前の妹が帰国するらしいな」
「今日なのか」
「知らなかったのか?」
 頷く。ジジイに話を聞いたのが昨日だから、随分と急な話になる。
「何故だ?」
「聞いてないからな。正直、どうでもいい」
「そうも言ってられんかもしれんがな」
 ポケットからゴムひもを取り出して、希は髪をまとめた。
「どういう意味だ?」
「お前は、友雅や勲の従兄弟だからな」
「ぞっとしねえな。お前ら見てると、そんなに妹がいいのかよって気がしてくる」
「ああ。俺も時々、自分が怖くなる」
 紙袋におにぎりの包みを突っ込みながら、希は続けた。
「恐ろしいものだ、妹というのは」
 普通なら笑い飛ばすところだが、間近で希や他の従兄弟を見ている身とあっては、安易に頷けなかった。
 例えば希の場合、俺の知る限り最も沈着冷静な性格をしているが、妹のためにバイトしているという点でダメくさい気がする。
 そして俺は、そういう奴らを反面教師としてみているわけだ。
「だから、お前みたいにはならない。第一、会ったこともないんだからな」
「そうか」
 希は立ち上がって、歩き出した。
「だが、いいものだぞ。守るべき者がいるというのは」
「…………」
 それだけ言って、希は屋上から去っていった。
 独り残され、空を見上げる。
 今頃ソイツは、この空のどこかにいるのか。
 この国に来ることを楽しみにしているのか。
 俺に会うことを――どう思っているのか。
「……わかってんだよ、んなことぁ」
 ――希の言葉で気付いた。
 俺はずっと、誰かを守りたかったのだ。
 だが、そんなことを、おいそれとできるわけがない。
 家族はジジイ以外いない。
 ケンカに明け暮れている俺に、近付く人間などいない。
 恋人もなく、家族もなく、友人もなく。
 ああ――正直に言おう。
 俺は、餓えている。
 弱いものを守りたい。そんな、正義の味方じみた考えが、俺の中で巣食っているのだ。
 あのとき、ランドセルを奪い返してやった少女の、感謝の言葉。
 それだけが、俺を最も熱くさせた。
 そして俺は期待している。遠い昔に別れた少女が、その欲求を埋めてくれることを。
 そして俺は不安を感じる。顔すら知らない少女が、その欲求に応えてくれるかわからないことに。
 いっそのこと、会わないほうがいいかもしれない。そんな思いすらよぎる。
「……どうしたらいいのかねぇ、親父……」
 人生の先達に問い掛けてみるも――
 空からは、なんの答えも返ってこなかった。


 かくして、運命のときは訪れる。


 コンビニの雑誌コーナーで漫画雑誌を呼んでいると、小声のひそひそ話が聞こえてきた。
 顔をあげると、店員が外をちらちら見ながら話している。
 それにつられてガラスの向こうを見ると、明らかにガラの悪い連中が、俺を見ていた。
 その顔の幾つかには見覚えがある。昨日相手した奴らだ。しかも、見覚えのないほうは先輩っぽい。
(援軍つれて、お礼参りか)
 嘆息し、雑誌を置いて外に出る。
「よぉ」
 話しかけてくるが、無視して歩く。
「おい! 明仁義弥!」
 立ち止まり、だが振り返らずに俺は告げた。
「邪魔の入らない場所を知ってる。ついてこい」
 歩き出すと、奴らはしまらない笑いを漏らしながらもついてきた。
 ざっと十人。まあ、勝てないだろう。
(だがま、区切りをつけるにゃいいかもな)
 願わくば、まだ見ぬ妹だけには見られないように、俺は目的地へと進んだ。


 踵が学生服の腹に埋まると同時に、別の方向から拳が飛んできた。
 茶色く焼けた左手は俺の右頬を打ち据え、そのまま打ち抜く。
「げっ――」
 思わず、つぶれたカエルのような声が漏れる。
 それで力が抜けた。膝が崩れ、地面が近付いてくる。
「へっ、ようやく倒れたかよ」
 片目で見上げると、助っ人で来たスキンヘッド――出来すぎだって、お前――が笑っていた。
「ま、独りで十人相手して五人返り討ちにしたなぁ、立派だなぁ。おい? 闇蹴りさんよぉ」
 くそ、あいつら喋ったのか……ぜって殺す。
 ドゴッ!
「ぐっ!」
「お、まだ生きてるかぁ?」
 背中に、左右に回転しながら何かが押してきた。どうせ足でも乗せてるんだろうが……
「いてぇって……どけろよ、禿げ」
「そんなこというと、片足で乗っちゃうぜっと」
「が……!」
 二秒ほど、恐らく70キロ以上の荷重が一点に集中した。重力加速度をかけて……700ニュートンか……
「きっついなぁ……」
「だろ? でも許してやらねぇなぁ」
 嫌みったらしく禿げが言ってくる。
 あー、くそ。殴りてぇ。
「おい、トシキたち起こしてやれ」
「おう」
 別の方向からの声。で、周囲で次々と人が倒れる気配。
「おら」
 制服の襟をつかまれ、無理矢理引きずられる。
 そしてそのまま、壁に投げつけられた。
「目開けろ」
 言われ、前を見る。
 倒せなかった五人に加え、復活した二人が俺を囲んでいた。
「どうよ、絶望的だろ?」
「……ああ」
「もう俺らにケンカ売ったりしたくないだろ」
「ああ、だから、帰らせろよ」
 腹を蹴られた。
「んに言ってんだ、おい? お前、財布取ってっただろが。返せ」
「……制服の、右のポケットに入ってるって」
 あっさりとられる。
「使わなかったのか?」
 一日でそんな使うか。
「まあいいや。――にしても、お前、人望ねえんだなぁ」
「?」
「お前がこんなになってもダチは来ない。見たとこ彼女もいない。こんなことしてるってことは親も見捨ててんだろ。は〜、かわいそーだなー」
 ……確かにな。
 こんな俺じゃ、妹できても、嫌われるがオチだな。
「ま、そんなことはどうでもいいや。とりあえず、こいつらの気がすむまで殴られろ」
 そういってスキンヘッドが後ろに下がる。
 ああ、こりゃもう終わりだな。
 ま、ちょうどいいか。勝ち逃げじゃなく、負けてリタイア。やめるにはいい理由だ。
 これを機会に更正して、妹に嫌われないように生きてく。それでいい。
「へっへ、覚悟しろよ」
 ああ、してるよ。――って待て。
 ここで負けたら、こいつらは俺をどうする?
 大人しく逃がすわけがない。月に三万かそこらは要求されるに違いない。
 おまけに、俺に妹がいることがわかったら、放っておくわけがない。
(負けられねぇじゃねぇか――!)
 目を見開いて、腕に力を入れる。
 だが、散々打たれた腕は、もはや震えるだけだった。
「はは、今更抵抗かよ! おせぇっての!」
 笑いながら、無精髭が近付いてくる。
 畜生。せっかくチャンスが巡ってきたのに。
 せっかく、守る相手が出来るのに――自分で敵作ってどうするんだよ!
「んじゃ、いっきまーす」
 笑いながら拳が振り上げられる。
 それが、振り下ろされようとした瞬間。

「お待ちなさい!!」

 きん、と凍る刃のような凛とした声が、人気のない公園に響いた。
「ああ?」
 全員が振り返る。その人垣の隙間から――
 一人の少女が見えた。
 上を桜色の着物、下を紺色のはかまで包んでいる。ポニーテールに結わえられた黒髪は、風に吹かれて左右に揺れる。
 そしてその瞳は、ただ真っ直ぐに悪漢たちを睨みつけている。
 少女は俺から数メートル離れた位置で仁王立ちし、叫んだ。
「白昼堂々、弱者を甚振るとは何事ですか!! あなたたちは、それでも誇り高き日本男児なのですか!?」
「なんだぁ?」
 少女の怒号に、スキンヘッドが一歩歩み寄る。
「お前こそ着物なんてきやがって。成人式か、卒業式か!!」
「か、加藤さん。もう成人式も卒業式も終わってますよ」
 ニットキャップが言うと、スキンヘッドは鼻白んだ。
「そ、そうか。なら――入学式かてめぇ!!」
「加藤さん、入学式も終わってます!」
「うるせえ!」
 スキンヘッドの拳がニットキャップの鼻を潰した。
「何をするのです! あなたの友人でしょう!」
 少女が叱責するが、スキンヘッドは笑って、
「ダチ? 笑わせるな。とにかくだ、俺たちの邪魔をするなら、痛い目にあってもらうぜ」
「気持ちいー目にもおうてもらうかもなぁ」
 ニヤニヤ笑う金髪の言葉に、スキンヘッドの肩が揺れる。
「高柳ぃ、一応全年齢向けだぜぇ?」
「何言うてんの加藤ちゃん。あんたも好きなくせにぃ」
 ひひひ、と笑う二人。
 だが少女はそれに気圧された様子もなく。
「何を言っているのかはわかりませんが、ワタクシの言いたい事は唯一つです。その人を解放しなさい」
「断る」
「もう一度言います。その人を、放しなさい」
「うるせってんだろがよぉ! そんなに連れてきたきゃ、10万ぐらい持ってきな」
 はぁ――と、嘆息が漏れる。
「できるなら、兄君さまにお会いするまで、服を汚したくなかったのですが……」
 少女は荷物を置いて、右手をすっと上げた。
「あなたたちのような、日本を汚す方々を放っておくわけにはいきません。少々、痛い目にあってもらいます」
「うるせぇ! 木島ぁ、やっちまえ!」
「うっす!」
 スキンヘッドの号令で、ニットキャップが駆け出す。
 とりあえず少女を捕まえようとしてるみたいだが――なんつーかヤクザみたいだなあんた等。
 ニットキャップが少女の肩に手を伸ばす。
 次の瞬間、ニットキャップの体が地面に叩きつけられていた。
「……え?」
 スキンヘッドが間抜けな声を上げる。
 そりゃそうだろう。俺だってかろうじてしか見えなかった。
 単純に言えば、彼女がニットキャップの腕をとって、ひねって、地面に落としたってことだが……
 スピードが半端ねぇな。
「考え直していただけますか?」
 上体を起こした少女が告げる。
「その人を、解放して下さい」
「いくで!」
 金髪の号令と共に、スキンヘッドを除く5人が少女に殺到する。
 最初に到達したのはピアス。その手が少女に触れようとした瞬間、彼女は姿勢を落とし、ピアスの腕をとって、背負い投げた。
「どわあああああ!?」
 宙を舞うピアスを尻目に少女は次なるターゲットをニットキャップ同様地面に叩きつけた。
「ぐわっ!?」
 突き出された拳を弾いて、相手の懐に掌底を叩き込む。
「げふっ!?」
 くるりと無精髭の体が回転し、土の上に落ちる。
「ごほっ!?」
 そして、金髪の体が地面に沈む。
 数十秒経って、立っているのは彼女だけになった。
「て、てめぇ……」
 スキンヘッドがゆっくりと後ずさりする。
「最後の通告です。その人を、解放しなさい」
「…………はっ」
 スキンヘッドは笑い飛ばすように一息吹いた。
「わかった、わかったよ。もう終わりにするよ」
 それを聞いた途端、少女の顔が明るくなった。
「そうですか。それは――」
「なんてな!」
 刹那、スキンヘッドの手から何かが飛び出した。
「きゃっ!」
 少女が顔を覆う。次の瞬間、ビシビシ、とまさしく砂が彼女の顔を直撃した。
(目潰しかよ!)
 いつの間に拾ってたのか、まったく気付かなかった。
「ざけやがって! 女は黙ってやられりゃいいんだよぉ!」
「こ、この――」
「ざけんなぁ!!!」
 瞬間、俺はスキンヘッドの背中に蹴りを放っていた。
「なぁっ――!?」
 少女の横を掠め、スキンヘッドが転がっていく。
 体が軋む。四肢が痛む。脳髄が疼く。
 それでも、この怒りが沸騰していた。
「て、てめ、この……」
 立ち上がりかけるスキンヘッドに、俺は言い放った。
「てめぇ、俺の前で女を泣かすな、傷つけるな、貶めるな」
 上体を鎮め、一気に弾ける。
「りゃああああああ!!」
 スキンヘッドに向かって駆け、飛び上がる。
 そして、俺の両足はスキンヘッドに顔にめり込んでいた。


 夕日を背中に受けながら、俺は家路についていた。
 いや。正しくは俺だけじゃない。公園で出くわした、あの少女も一緒だった。
 さらに正しく言うと、俺は彼女に肩を貸してもらっていた。
 本当は一人でも帰れるのだが――彼女は頑として聞かなかったのだ。
 俺が怪我をしているからってことらしいが、それなら彼女も砂をぶつけられた。――まあ、大事には至らなかったのだが。
 肩を貸してもらってるのは――まあ、役得ってヤツだ。
(しかし――)
 ちら、と横目で彼女を見やる。
 なんつーか……ちょっとドキドキしてた。
 こんなに女子に接近したのはまさしく数年ぶりだし、彼女が美人ということもある。
 だが、それを除いても、きっと俺はドキドキしていた。
 まあ、ようするに、惚れたってことになるんだろうが……
 しかし、助けた女じゃなくて、助けられた女に惚れるっつーのは、なぁ。つい一時間前に妹を守る男になるとか誓ったばかりだっつーに。
 それでも、まあ、ねぇ?
「――あの」
「は、はひ!?」
 突然の呼びかけに声が裏返る。
「どちらに行けばいいんでしょうか?」
「あ、ああ」
 いつの間にか三叉路に来ていた。右をさして、二人で歩く。
「あの、もういいよ。すぐそこだし」
「いえ。せめてお宅まで送らせていただかないと、安心できません」
「そ……じゃ、家までいいけど。せめて、独りで歩かせてくれない?」
 本心と裏腹のことを言ってしまうが、これ以上は体裁が悪い。
 彼女の肩から腕を下ろし、横を歩く。
 あと1分でこの状態が終わるかと思うと、ちょっと残念に思う。
「あの」
「ん……」
 今度は、マトモに反応できた。
「本当に、大丈夫ですか?」
「ああ――元はといえば、俺が招いた結果だしね」
「何か、事情があったんですか?」
「まあ、あったっちゃあった、かな」
 抜け殻のような状態に陥っていたことをそういうなら。
「でも、安心しました」
「え?」
 足を止める。
「ワタクシ、先程の方々を見て、失望してしまいました。日本の男性は、あんな方ばかりなのかと」
 いや、実際、あんなのばっかだろう。
「でも、あなたは違いました。ワタクシを助けてくれて――素晴らしい信念を持ってました」
「……どんな?」
「自分の前で、女性を泣かせない、と」
「………」
 我ながら馬鹿なことを言ったものだと思う。
「これなら、私がこれから会う方はもっと素晴らしい殿方に違いありません」
「……え?」
「ワタクシ、これから運命の殿方に会うんです。それはもう、立派な方だと思います……ぽっ」
 笑いたくなった。
 結局、横恋慕かよ。
「は、ははは」
「? どうかされましたか?」
「いや、ぜんぜん」
 少し気落ちしたまま、家の前まで来た。
「それじゃ、ここだから」
「あ、はい。――あの、ところでお聞きしたいのですが、この近くに明仁という家はありませんか?」
「……はい?」
 後ろで、扉が開く音がした。
「こりゃ義弥! 今日は大事な日だと言ったじゃろ!――む?」
 首だけ振り返る。ジジイが目を丸くして、彼女を見ていた。
「おお、春歌ちゃんか」
「もしかして――お爺様ですか?」
「そうじゃそうじゃ。ほぉー、写真で顔は見ておったが、本物はもっと別嬪さんだったわい」
「そ、そんなこと――それでは、もしかしてこの方が……」
「む、もう会っておったのか? そうじゃ、そやつがおぬしの愚兄じゃよ」
 少女の顔がこちらを向く。俺も、彼女を見る。
「えっと、その……」
 ばたばたと手で着物をはたき、髪を梳り、彼女は背筋を伸ばした。
「あの――ワタクシ、春歌と申します。これから、よろしくお願いします、兄君さま♥」
 夕日の下、俺の家の前で、彼女ははっきりと、そう言った。
 で、俺はというと――ずっと呆けたままだった。


「兄君さま、どうされたのですか?」
「んー……春歌とさ、初めて会ったときを思い出してた」
「そうですか……」
 くすりと笑った春歌の髪が、頬をくすぐる。
 外は雨だが、やっぱり春歌にくっついてると落ち着く。
「おぬしら……」
 振り返ると、ジジイが新聞片手に呟いた。
「昼間から祖父の前でくっつくのは、人としてどうなんじゃ?」
「あら、そんな変なことではありませんわ、お爺様」
 くすくすと笑う春歌に続いて、俺は言った。
「ま、惚れた弱みってやつかなぁ」

"Fighter's Aim"closed.

Back