安らげる場所
「はい。それでは筆記用具を机の上においてください」
 チャイムと同時に告げられた言葉を皮切りに、教室中に安堵と落胆の声が漏れた。
 期末テスト最終日の金曜は、まさしく今が始まりであった。
「蝶さいてぇ……」
 机に突っ伏しながら、テスト用紙を回収する生徒に己のそれを渡す。
 鈴凛の得意科目は、もっぱら理系である。そして最後の教科は社会。あんまりといえばあんまりな終わり方だ。
「鈴凛ちゃん、どうだった? って、聞くまでもないみたいね」
 クラスメートに苦笑いで返す。
「今日は誕生日だってのに、こんな気分で祝える? いいえ、祝えないわ。だからおごって」
「何言ってるの。苦しみから解放されたのはみんなも同じなんだから、割りかんよ」
「蝶さいてぇツー……」


「じゃねー」
「また来週ー」
 カラオケ屋の前で互いに手を振り、鈴凛は友人たちと別れた。
 日進で増していく気温は夕刻といえる時刻になっても変わらず、太陽もまたまだまだ現役バリバリであった。
「あつぅ……」
 白いシャツを貫いてくる熱気をかき分け、鈴凛は足早に岐路に着いた。
 まったく、こんな日が誕生日だなんて、何か間違っているのではないだろうか?
 去年は雨だったし、今年はこんなに暑い。冷夏はどこに行ったのだ?
「あー……メカ鈴凛の調整も、やんなくちゃー……」
 ここ数日のテストで、まったく手をつけていない我が分身を想う。
 勿論、メカ鈴凛だけでなく、他のメカも何も手をつけていない。
 ゆえに最早禁断症状に達しようとしている気がする。
「……はやく帰ろう……」
 つぶやき、彼女は歩く速度を速めた。


「あん!? だとぉ!?」
 女性らしからぬ声を上げ、鈴凛は思わず口を押さえた。
 そのため、手にしていたリモコンが口を直撃する。
「いたっ」
 リモコンを取り落とし、口を押さえる。
「いたた……もう、何なのよ! ラボのエアコンがつかないって!」
 ここ数日放っておいた間に何が起こったのか、久々に入ったラボのエアコンは故障していた。
「ふっふっふ……わかったわ、わかったわよ。これはようするに、一週間メカに携わってなかった私の腕を試す試練なのね! そーなのね!」
 高らかに笑い、汗止めのバンダナを巻き、ツールを手にする。
「やってやるわよ! やってやるわ!」
 スパナをエアコンに向け、鈴凛は戦いへと身を投じた。


 ぽたり、ぽたりと汗が顎から滴り落ちる。
 誰もいないことをいいことに、上がスポーツブラだけとなったのはいつのことか。
 背中に風を送り続けている扇風機だけが、彼女の苛立ちを冷まし続けていた。
「もう……何なのよ……どこが悪いのよ……」
 ぶつぶつとつぶやきながら手を動かす。
「たっく、今日はさ、私のさ、誕生日だってのに、なんでこんな目に遭うわけ?」
 ネジを回し、蓋を外す……どこも悪い部分は見えない。
「誰もおごってくれないし、エアコンは死んでるし、アニキはこないし」
 蓋を閉じて、ネジを回す。
 と、力が入りすぎ、ネジ穴がつぶれた。
「くっ――もう!」
 ドライバーを投げつけ、仰向けに倒れる。
「もーやだ! もーやだ! 寝る!」
 扇風機のヘッドを下に傾け、目を閉じる。
「なんでぇ……? なんでよぉ……」
 答えるもののない問いを口にしながら、彼女は疲労の眠りに落ちていった。


「むぃ……アニキぃ……」
「む、呼んだか?」
「うぇ?」
 返ってきた声に、思わず目を開ける。
 一メートルと離れていないそこに、兄の顔があった。
「あああああアニキ!?」
「起きたか」
 いつもの仏頂面でこちらを見下ろす兄は、本当にいつもどおりの平静さだった。
「え? な、なんでアニキの顔が? え?」
 がばっと上半身を起こし、振り返る。
 ここは居間のソファの上だった。冷気が心地よく漂っている。――そう、居間のエアコンは壊れていなかった。
「あれ? 私、ラボにいたはずじゃ……」
 ぼうっとした頭でつぶやくと、すかさず兄が答える。
「お前がラボに倒れていたからな。メカ鈴凛を起動させて、連れてきた」
「え? メカ鈴凛を?」
 兄がメカ鈴凛を起動させられるはずがない。起動させた途端フリーズするのだから。
 だが、そんな妹の疑問を読み取ったのか、兄は又すぐ答える。
「まずクマポンを起動させた。クマポンにメカ鈴凛を起動させ、クマポンを介して指令を出した。お前を着替えさせろとな」
「そうなんだ。――って、アニキ、もすかして!」
「ネゴシックスか?」
「ちちちち違うわよ! アニキ、その、私の、その……」
「?」
「私の、下着姿を……」
「見たぞ」
「変態!」
 拳で兄のこめかみをえぐる。兄は起き上がり小法師のように首を左右に振りながら、
「寝ていたお前が悪い。それに水着よりは露出が少ない。問題ない」
「問題おおあり! 下着と水着は違うの!」
「だが、あのまま放っておけば風邪をひいていたぞ」
「〜〜〜〜〜……そうだけど……ん?」
 ふと、気付く。
 起きたとき、寝ていた鈴凛の目の前には、兄の顔があった。
 つまり、
「……アニキ、もしかして、膝枕しててくれた……の?」
「ん? ああ。仕方あるまい、一分に一度呼ばれれば、傍にいるより他ないからな」
「……嘘。呼んでないもんっ」
「何が『もん』だ。俺は嘘をつかない」
「へーへー、そうですか。じゃあ勲さんたちと何してるんでしょーねー?」
「嘘は言わない。そして、言わなくていいことも言わない」
「ったく、勝手なんだからっ」
 ぼすん、とソファに座りなおし、鈴凛はそのまま兄の方へと倒れた。
「ん?」
 兄のももに頭を乗せ、口を開く。
「今日は何か疲れちゃった。もう寝る」
「さんざん寝ただろう」
「いーから寝るの! アニキはそのまま!」
「……了解」
 肩をすくめた振動が、兄のももから鈴凛の頭へと伝わる。
 タオルケットを引き寄せ、ネコのように身を縮ませて、鈴凛は、自分だけの枕の感触に酔いしれた。

"my only pillow"closed.

 
Back