2007/1/21 「ONE WORLD」

※ CAUTION ※
このページに記載された小説は、TVドラマ「仮面ライダーカブト」最終回をベースに書かれた、架空のTV番組「仮面シスターカブト」最終回のノベライズです。
TVドラマ「仮面ライダーカブト」及び、小説「ストロベリー・パニック!」またはTVアニメ「ストロベリー・パニック」をご覧になっていない方は、「ストーリー」に記載された「仮面シスターカブト」の第1話から第48話までの粗筋及び、「キャスト」に記載された登場人物の紹介を読んでからの閲覧をお勧めします。

※ 前回までのあらすじ ※
 花園静馬――仮面シスターカブトら仮面シスター達と、人間に擬態する侵略生物ハグの戦いは終わりに近付いていた。
 人類に友好的な、ハグの亜種『カトリック』の代表・源千妃絽は、擬態しているハグを検知するネックレス『アモス』の開発に成功し、一般社会に配布し始める。同時にアストは全世界に、ハグの存在と、その根絶が近い事を発表した。
 アモスによってハグが次々と発見され、仮面シスター達とアストに殲滅される中、アモスを運搬するトラックが破壊される。犯人の姿が見えない一瞬の出来事である事から、クロックアップしたハグの仕業と断定、仮面シスターガタック――蒼井渚砂は待ち伏せ作戦を行なう。
 併し、犯人は何と静馬であった。彼女は「気に入らない」とだけ告げ、アモスを次々と破壊する。彼女の凶行を止める為、アストは静馬を指名手配した。
 逃亡の中、静馬は、アモスを複数付けた仮面シスターパンチホッパー――南都夜々がカトリックに変貌してしまう現場を目撃。また、仮面シスターダークカブト――擬態の静馬が、千妃絽率いるカトリックによって生み出された、人造カトリックの第一号である事を知る。
 カトリックは、自らが排斥されない世界を作り出す為、全人類をアモスによってカトリックにする計画を立てていたのだ。
 擬態静馬を助け出し、真相を渚砂に伝える静馬。だが、カトリックを信用し、静馬の事を信じられない渚砂は、死闘の末に静馬を倒してしまう。
 共に戦って来た仲間を倒した事に釈然としないものを感じる渚砂は、母・海深が逮捕された事を知る。カトリックを倒す為にカブト・ガタックに仕込まれた暴走装置に気付かれてしまった母親は、渚砂に真相と謝罪を告げる。
 静馬は正しかった。渚砂は静馬の代わりに、カトリックと戦う決意をする。
 そして、瓦礫の中に埋まった静馬に、巨大な瓦礫が降り注ぎ――


「こんにちは、国民の皆様。救済機関アスト局長、六条(ろくじょう)深雪(みゆき)です。
 皆様の積極的なご協力のお蔭で、間もなく総ての敵性地球外生命体(ハグ)が根絶出来ます。
 速やかな平和実現の為、ハグ探知機『アモス』の購入・装着にご協力下さい。
 また、アモスを付けていない人間は、ハグである可能性があります。そう言った人間を発見されたら、最寄の警察、或いは巡回中のアスト隊員に御連絡下さい。
 皆様の御協力をお願い致します――」

*

 街角に設営されたアモスの配布所に群がる人々を、狩野(かのう)水穂(みずほ)は笑みのない顔で眺めていた。
 アモスの配布が始まって一ヶ月。これ以上なく、アモスは一般に浸透しつつあった。全世界でこれと同じ光景が広がり、また、アモスを付けた者によってハグが次々と発見されている。
 只、国外でのハグの発見は余りにも少なかった。奥若(おくわか)(つぼみ)の懸命の策のお蔭か、或いは、ハグはこの国を離れなかったのか。
 カトリックである自分なら解る。彼等は、自分達が乗って来たアストラエア隕石から離れたくなかったのだ。水穂達カトリックもまた、この国にいる事を望み、アーク隕石の欠片を肌身離さず持つように。
 やがてこの騒動が終わった時、隕石と言う小さな故郷に依存せず、自由を謳歌出来る平和が実現すると信じて。
「水穂」
 呼び掛けられ、右に顔を向ける。東儀(とうぎ)(ひとみ)の、自分と同じ表情を浮かべた顔が、そこにあった。
「瞳」
「もうすぐ、終わるのね。この戦いが」
「ええ……」
 頷く。戦いは終わる。人生の半分を賭して来た戦いは、終わろうとしている。
「瞳は、戦いが終わったら、どうするの?」
「そうね。考えた事もないわ。多分、付属大に進学する事になると思うけど」
 二人が通う聖ミアトル女学園には、付属の大学が存在する。アストラエアからは離れてしまうが、同じ翼多市内だ。生活ががらりと変わる訳でもない。
「いえ……変わるわね」
「何か言った?」
「ううん、何も」
 首を振り、改めて瞳の方へ身体を向ける。
「ところで、渚砂(なぎさ)さんの行方は?」
「解らないわ。まだ、あれから――」
 瞳の唇が口惜しげに歪む。
 現在、仮面シスターガタック――蒼井(あおい)渚砂は、行方を眩ましていた。昨日、反逆者である仮面シスターカブト――花園(はなぞの)静馬(しずま)を、彼女が倒した事は判っている。だが、その直後に彼女の母――アスト前総帥であり警視総監の蒼井海深(うみ)が内通者だとの発表があり、その事を瞳が伝えた直後、渚砂は消えた。
 数時間後、海深を護送するアストの部隊が襲撃を受けたとの報告があり――その犯人が他ならぬガタックであると聞いた時は、驚きよりも納得した。彼女らしい、直情的な行動だ。
 部隊を無力化したガタックは海深と共に姿を消し、その行方は杳として知れない。海深が負傷している事から、市内の病院を捜索している段階である。
「気持ちは解るわ。けど、どうしてあの子まで反逆扱いになるの? 第一、総帥が内通者って……」
「判らない――けど、アストがそう決定を下した以上は、覆らないでしょうね」
「だからって、このままあの子を拘束するなんて、納得出来ないわ!」
 叫ぶ瞳に、水穂はきょとんと目を丸くした。
「? どうしたの?」
「瞳……あなた、変わったわね」
「はぁ?」
「いいえ、戻った、と言うべきかしら? 私と出会った頃のあなたに」
「そ、そんな――何よそれ!」
 肩を怒らせ、顔を真っ赤にする瞳に、思わずくっくと笑みを零す。
「だって、あの頃のあなた、渚砂さんにそっくりだったもの。何にでも真っ直ぐで、最初はアストルーパー志望だったし」
「そんなの、忘れちゃったわ!」
 ぷい、と瞳が顔を逸らす。シャギーの掛かったショートカットから、赤い耳が見え隠れする様に、水穂は眦を下げた。
「それで良いのよ、瞳。もう、厳しい自分に擬態するのは止めて、本当のあなたに戻って」
「水穂……」
「これからは、誰もが本当の自分を曝け出せる未来が来るわ。――カトリックの私が言うのも、可笑しいけれど」
「そんな事、ないわよ」
 瞳の手が、水穂の手を握る。風に晒され、冷えた――併し、とても温かい手だった。
「あなただって、心のままに生きられるわ。例え誰かがあなたを否定しても、私は否定しない――親友だもの」
「――ありがとう、瞳」
 友の手に、そっと左手を添える。
 カトリックとなってから、その資格がないと拒み続けて来た温もりが、そこにあった。
 と、瞳の懐から電子音が鳴る。通信機の着信音だ。
「はい、もしもし――本当? 解ったわ」
 手短に通信を切り、瞳が顔を上げる。
「渚砂さんが見つかったわ」

*

「ありがとうございます、霧子(きりこ)先生」
 真っ白な部屋の中、純白の白衣を着た女性に、渚砂は深々と頭を下げた。
「良いのよ、あなたには助けられた事もあるし、これはそのお礼」
 微笑む女医――外神田(そとかんだ)霧子に、顔を上げて頬を掻いて見せる。
「渚砂が頼れる病院って、ここしか思い付かなかったから」
 霧子は、嘗てハグに擬態され、渚砂が助けた人物だ。ここ、御茶ノ水女子学園の大学付属病院で天才外科医と名を馳せる名医である。
「それは光栄。――お母さんは、命に別状はないわ。顔の傷は消えるだろうし、後は衰弱し切った体力を回復させれば無問題(モウマンタイ)
「本当にありがとうございます。それと――」
「ごっめーん、私テレビ見てないから、世の中の事良く解らないの。このネックレスも生徒から貰ったんだけど、趣味悪いから、はい上げる」
 白衣のポケットから緑の石が付いたネックレス――アモスを取り出した霧子は、それを渚砂へ放り投げ、病室から出て行った。
(ありがとうございます……)
 受け取ったアモスをゴミ箱へ投げ入れ、ベッドに横たわる母へと振り返る。
「お母さん……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
 眠る母の手を握り締め、渚砂は謝罪の言葉を繰り返した。
 昨夜、アストルーパーの追跡から逃れる中で聞いた、本当の真実。
 人類を救う為、人生の殆どを犠牲にした母の決意と努力を、自分は蔑ろにしてしまった。
 その上、敵の口先に騙され、本当に信じるべき人を、自ら――
「ごめんなさい、静馬お姉様……!」
 渚砂の攻撃を受け、爆発の中に消えた仮面シスターへの罪悪感に、血が滲むほど歯を食い縛る。
 彼女は、何一つ嘘は言っていなかった。アモスを気に食わないと言ったのも、あの時は確証が得られていなかっただけに違いない。彼女は何時(いつ)だって、世界中の人々に誤解されながら、たった一人で戦い続けていたのだ。
「それなのに、渚砂は……」
 会ったばかりの(みなもと)千妃絽(ちひろ)を、水穂や光莉(ひかり)と同じカトリックだからと言うだけで、人類とカトリックの共存の平和と言う、聞こえの良い理想だけで、簡単に信用してしまった。
「絶対に、赦せない……!」
 自分と人類を騙した千妃絽を。母を追放したアストの上層部を。
 何より、愚かな自分の行いを、決して赦す訳にはいかない。
「お母さん。渚砂、行って来るね」
 母の手を放し、布団を掛け直して、渚砂は丸椅子から立ち上がった。
 静馬のいない今、真実を知るのは自分だけだ。玉青(たまお)天音(あまね)夜々(やや)を見つけ出し、千妃絽の計画を止められるのは、自分しかいない。
 サイドテーブルに置いたガタックのシスターベルトを掴み取り、腰に巻く。この戦いが終わるまで、もう二度と外す事はないだろう。
(総ての敵を倒すまで、戦い続ける!)
 決意と共に扉を開け――目の前に立つ少女に、渚砂は目を剥いた。
檸檬(れもん)ちゃん!?」
 先日、静馬に撃たれて負傷した夏目(なつめ)檸檬がそこにいた。
「渚砂お姉様、無事だったんですね」
「うん……でも、どうしてここに?」
 檸檬が入院した病院はここではない。それに彼女は安静にしていなければならない身体の筈だ。
「昨夜、本部から連絡がありました。反逆者・蒼井渚砂と蒼井海深を拘束せよ、と。そしてさっき、渚砂お姉様がこの病院に来たとの報告があったんです」
「見つかっちゃってたの……」
 折角霧子が協力してくれたのに、その前に渚砂自身が発見されていたのだ。
「渚砂お姉様、これを」
 俯く渚砂の目の前に、一通の封筒が差し出される。
「これは……」
 封筒を受け取り、中身を出す。丁寧に折り畳まれた手紙には、先ずこうあった。

 私に万が一の事があったら、これを渚砂に渡しなさい。

「まさか……」
 封筒を裏返し、息を呑む。白い紙の差出人記名欄には、『花』の一文字が書かれていた。
「静馬お姉様……!」
「私が目を覚ましたら、オムライスと一緒に置いてあったんです。あのオムライスは、静馬お姉様の物に間違いありません」
 檸檬の説明を聞きながら手紙を広げる。そこには、こうあった。

 彼女達カトリックの狙いは、人間をカトリックに変える事。アモスには、人間をカトリックに変える効力がある。
 けれど、全人類にアモスが行き渡るのを待つ筈がない。元々、そんなに数も多くないでしょう。
 アモスは単なるアンテナに過ぎないと思われるわ。アモスの力を増大させ、装着している本人は愚か、周囲の人々をもカトリックに変える為の、何らかの仕掛けがある筈。
 その仕掛けとは、恐らく、特有の電磁波。それを送信する為の施設がどこかにある。それを探し出して、破壊しなさい。

「送信する為の施設……?」
 そんな物、どこにあると言うのだ。人々がそれを確実に受けられる方法とは――
「お姉様、もしかして!」
 檸檬が渚砂の横を通り、病室へ入る。そしてテレビの電源を入れると、見た顔がブラウン管に映し出された。
「深雪お姉様!」
 聖ミアトル女学園生徒会長は、アストのロゴマークを背後に演説していた。間もなく戦いは終わる、その勝利宣言を生中継で全世界に放送する、と。
「テレビで……!」
 テレビの普及率は先進国に於いて九割を超える。特に大都市では屋外に設置された広告用のテレビが乱立し、外出している場合でも望めば見る事が出来る。
 世界の危機を回避した記念放送ならば、誰もが見てしまう……!
「檸檬ちゃん、お母さんをお願い」
「はい!」
 元気良く答える檸檬に背を向け、病室を後に駆け出す。
 時間はない。渚砂と海深の生存が発覚しているのなら、その行動を見抜いて放送を早める可能性がある。静馬の手紙通りなら、今すぐ放送を始めても問題はないのだ。
「はっ、はっ――あっ!」
「ここを通す訳にはいかないわ」
 聞き覚えのある声に、病院の正面玄関から出た渚砂は足を止めた。
「水穂お姉様、瞳お姉様……」
 玄関前に並ぶ、アストルーパーの小隊。その前に、水穂と瞳が立っていた。
「あなたと蒼井海深には拘束命令が出ているわ」
「……渚砂は、千妃絽さんの計画を止めに行きます」
 瞳の問いに、渚砂は歩みを再開した。
「どうしても、行かなければならない理由があるの?」
「はい」
只管(ひたすら)前に突っ走ると言うの?」
「はい!」
 問う水穂に――それが渚砂の良いところだと言ってくれた水穂に、胸を張って答える。
「それが、渚砂の道です」
「そう――」
 近付いて来る水穂の顔を、真正面から見つめ返す。
 後悔など、ありはしない。例え水穂と敵対する事になっても、それは裏切りでないと、渚砂は信じていた。
 そんな渚砂の前に立ち、水穂はくるりと振り返った。
「良いでしょう」
 瞳も駆け寄って来て、共に懐からアストガンを取り出す。二つの銃口は、黒装束の兵士達へと向けられた。
「あなた達、私の後輩に手を出したら、ただでは済みませんよ」
「水穂お姉様……」
「行きなさい、渚砂さん。あなたの道を」
「瞳お姉様……」
 顔を見なくても判る二人の微笑みを感じ、思わず胸が熱くなる。組織よりも、反逆者となった渚砂を信じてくれた、二人の仲間の背中が、今までで最も頼もしく見えた。
「はいっ」
「逃がすと思うの!?」
 アストルーパーが叫び、マシンガンブレードを構える。
「我々カトリックの悲願、潰えさせる訳にはいかない!」
「はぁ、それはご立派ですね」
 その声の主は、渚砂でも水穂でも、瞳でもなかった。
 騒ぎを聞きつけ、人の犇めく正面玄関から、一人の少女が歩み出る。シニヨンに纏めた青い髪、漆黒に近いダークグリーンの制服、悪戯っぽそうな輝きを宿した瞳の美少女は、スロープと平面の境で立ち止まった。
「でも、美しくないわ。女の子はもっと、もっと――えっと」
「華麗に振舞う、ですか?」
「そうそう、それそれ」
「玉青ちゃん、千代(ちよ)ちゃん!」
 その名を呼ばれ、涼水(すずみ)玉青と月館(つきだて)千代は、ひらひらと手を振って見せた。
「こんにちは、渚砂ちゃん。元気そうね」
「渚砂お姉様、こんにちは」
「こんにちは――って、どうしてここに!?」
「檸檬お姉様と一緒に来たんです。でも、途中で道に迷ってしまって」
「檸檬ちゃんは先走っちゃうし、ようやく辿り着いたと思ったら、渚砂ちゃんはいないし」
「そうだったの……て言うか、三ケツ?」
「それよりも」
 玉青が一歩進み出て、ドレイクグリップを握った右手を突き出す。
「一応アストのシスターだから、人間を襲うと言うのなら戦うけど?」
「玉青ちゃん……どうしちゃったの?」
 玉青が進んで戦うなど、俄かには信じられなかった。彼女は何時(いつ)だって、出来る限り戦いを避けて来た筈だ。
 首を傾げる渚砂に、ドレイクの資格者がウインクする。
「水は気紛れ。雲になる時もあれば、海水になる事だってあるのよ。――変身」
 ルルド移動で現れたドレイクアスターがドレイクグリップと合体し、玉青の側頭に構えられる。
《HENSHIN!》
 仮面シスタードレイク・マスクドフォームに変身した玉青は、ドレイクアスターの銃口をアストルーパーへ向けた。
「行って、渚砂ちゃん。メイク相手が化粧の効かない相手(カトリック)しかいないなんて、私はごめんよ」
「うん! ありがと、玉青ちゃん、千代ちゃん!」
 スロープを駆け下り、駐車場へと向かう。その向こうから、自走するナギサエクステンダーを従えたガタックアスターが現れた。
「えいっ!」
 タイミングを見計らってシートに飛び乗り、ハンドルを握る。そして、駐車場を抜けて公道へと飛び出した渚砂の腰に、ガタックアスターが飛んで来た。
「変身!」
《HENSHIN!》
 展開する蒼き鎧を身に纏い、仮面シスターガタック・マスクドフォームへと変身する。
「ガタックアスター! 送信施設は判る!?」
《Yes,my master.》
 ガタックアスターが答えると同時に、仮面の裏側に地図が表示される。示された場所は――
「アストラエア廃墟!」
 渚砂の通う学校の前身、アストの本拠――総ての始まりの地!
「飛ばすよ! キャストオフ!」
 ナギサエクステンダーのハンドルを捻り、ガタックアスターのアスターホーンを展開する。
《《CAST OFF! CHANGE STAG BEETLE!》》
 ガタックとナギサエクステンダーのマスクドアーマーが弾け跳び、その真の姿を現す。
 大気を疾走するエクスモードとなったエクステンダーに乗り、仮面シスターガタック・シスターフォームは眼前を見据えた。
 遥か遠くの丘に聳える――滅び去った乙女の園を。

*

 旧アストラエア中枢――アストラエアXの中央に聳える旧御聖堂の内部は、その罅割れた外装とは裏腹に、最先端の技術によって構築されていた。
 救済機関アストの本拠として、総てを司る場所。そこは今から、世界を変革する聖地となる。
「どう、準備の方は」
 暗い照明の室内に、スーツ姿の女性が現れる。カトリックの代表――人類カトリック化計画の総指揮者、源千妃絽だ。
「既に整っているわ」
 答える、聖ミアトル女学園の制服を着た少女――六条深雪は、巨大な緑色の石を前に立っていた。
 緑色の巨石。これは、嘗て“現アストラエア”に落ちた、最大質量のアーク隕石片だ。
 三十五年前、現在のアストラエアが建造された場所に、アーク隕石は落ちて来た。それにより地球にカトリックと呼ばれる生物が出現、彼等は人間と協定を結び、旧アストラエアに基地と、それを隠す学園を建造した。
 だが七年前、その旧アストラエアにアストラエア隕石が落ち、ハグが出現した。完成間近だったマスクドシスターシステムの技術は失われ、シスターベルトも紛失。カトリックの計画は大幅な修正を余儀なくされた。
 一年前、マスクドシスターシステムは再び完成し、ハグとの本格的な戦い、そして人類カトリック化計画の産声は上がった。七年前を皮切りに人体実験は進み、ハグの数も激減して行った。
 そして今、三十五年の月日を掛けた壮大な計画は、完遂を間近に控えていた。
「各国政府からの報告によれば、アモスの配布は粗終了。全人類の周囲百メートル圏内にアモスが存在する状態となったわ」
「そう、それは重畳」
 敬語を使わない深雪に不快を感じるでもなく、千妃絽はにこにこと頷く。カトリックの代表と最強のカトリック、二人の地位は世界の頂点と言う場所で並んでいた。
「では今日にしましょうか。人間達はカトリックとなり、真の平和が訪れる。今日は正に、祝福の日ね」
 千妃絽は張り付いた笑顔のまま、深雪の隣に立つ。その前には粗末なベッドが置かれ、仮面シスターダークカブトに変身したままの擬態静馬が横たわっていた。
「そしてあなたは、人間からカトリックに変わった最初の者として、永遠に人々の記憶に残るわ」
 千妃絽に仮面を撫でられるダークカブトの身体には、数十に及ぶケーブルが接続されている。それはアーク隕石の欠片に繋がり、更に二人の背後にあるテレビカメラに繋がっていた。
 これこそ、人類カトリック化計画を遂行する、特殊電波発信装置の全容だ。人間からカトリックとなった擬態静馬の遺伝子情報を隕石に伝え、隕石はカトリック化に効率的な電波を発信する。発信された電波はテレビカメラを経由して全世界のテレビから発せられる。テレビの前にいる人間が付けたアモスはそれを受け、カトリック化電波を周囲の人間にぶつけるのだ。
 その代わり、擬態静馬は死ぬ。絶対とは言い切れないが、遺伝子情報を伝える為、その身体に相当を負荷を掛けねばならない。
 それに生き残ったとて、反逆の意志のある彼女を生かして置く理由はない。
「どうぞ」
 巨石を見つめていた深雪に、千妃絽が小麦色の焼き菓子を差し出す。現アストラエアの御聖堂で作られるガレットだ。
「少し物足りないでしょうが、前祝いとして」
 微かに湯気の立つガレットを見つめ、深雪はそれを手で弾いた。
「あっ」
 叩かれたガレットは千妃絽の手を離れ、絨毯張りの床へ落ちる。深雪は小さな欠片を撒き散らしたガレットを踏みつけ、千妃絽を睨んだ。
「嫌がらせかしら?」
「あーあ、勿体ない」
 ぱくりと自分のガレットを咥える千妃絽に背を向け、部屋を後にする。
 扉を閉めた直後、カトリックとなった深雪の聴覚は、千妃絽の呟きを確かに捉えた。
「悪かったと思うわよ……味覚を取り戻して上げられなくて」

*

 生のカレイに、刷毛を使って特製ソースを薄く塗り付ける。油のような透明なソースは室内灯を反射して、宝石のように輝いた。
「うっわぁ、美味しそう♥」
 テーブルを挟んだ反対側で歓喜する日向(ひゅうが)絆奈(きずな)に、此花(このはな)光莉はにこりと微笑んだ。
 光莉がビストロ・スールで出す新作料理は、やっと完成に至った。部長の千華留(ちかる)の反応も良好で、絆奈の感想は言わずもがなだ。
「いよいよね、光莉ちゃん」
 隣に立つ、聖母のような笑顔の千華留に、光莉は頷いた。
「はい」
「あーん、もう絆奈我慢出来なーい! 食べたーい!」
「こーら、絆奈ちゃん。お披露目まで我慢しなさい」
「うぇーん」
 泣き真似をする絆奈に思わず笑い、そしてその隣にいる筈の彼女を思う。
 まだ彼女は帰って来ない。千華留は何か知っているようだが、何も言わない。絆奈は心配そうだが、それでも帰って来ると信じている。
 目を瞑り、あの美しい姿を思い出す。
 今は無理でも、何時(いつ)か必ず、自分の料理を食べて貰いたい。
 出来るなら、正式なメニューとして出された時、彼女に一番に注文して欲しい。
(静馬お姉様、私、待ってます……)
 この世でたった一人の姉の帰りを願い、光莉はそっと目を閉じた。

*

 彼女は街を歩いていた。暗い顔で。ゆっくりとした歩調で。
 知る者ならば目を疑い、知らない者なら不審者と思うだろう。
 だが、警察に通報するほどではない。
 何故なら、彼女の首にはアモスが掛かっているから。
 今、世界で不審者と言えば、ハグに他ならない。
 アモスを付けている以上、彼女はハグではない。
 だから、通報するまでもない――皆、そう思う。
 だが、良く考えてみれば、可笑しいと気付く。
 アモスを付けた、他の人間とは決定的に異なる点。
 何故、彼女はアモスを二つ付けているのだろう?
 その疑問を持つ者は少なく、解答を求める者は皆無だった。
 何者にも咎められぬまま、彼女は街を歩いていた。
 暗い顔で。ゆっくりとした歩調で。
 確かな光を、瞳に宿して。

*

 アストラエアXの擬似テレビスタジオ――カトリック化電波発信室は、俄かに活気付いて来た。
 間もなく午後三時。それは千妃絽が決めた、電波発信の時刻だった。
 既に全世界への告知は済んでいる。最早計画は最終段階だ。
「後五分で、発信開始」
「愚かな人間の歴史は終わり、私達(カトリック)が新たな歴史を刻む」
 発信装置を操作するコンソールの前で、千妃絽と深雪が見つめ合う。千妃絽は笑みで、深雪は無表情に。
 そして、ドアを蹴破る轟音が、彼女等の表情を驚きに染めた。
「そこまでです!」
 ガタックの鎧に身を包み、ガタックツインカリバーを構える渚砂が叫ぶ。千妃絽は眉を顰め、深雪は溜息を吐いた。
「私の力になってくれるのではなかったの?」
「この世界を、あなた達の好きにはさせない!」
 コンソールを捉えた渚砂の目が鋭くなり、カリバーを振り翳して駆け出す。
「どいて! りゃああ!」
「ふっ!」
 鋼鐵を寸断するカリバーの斬撃を、駆け寄った深雪の両手が押し留める。
「深雪お姉様!」
「知っているかしら。私は昔から、あなたの事が嫌いだったのよ」
 渚砂の手首を握り締める両手に力を込め、押し返す深雪が叫ぶ。
「あなたのように、ただ真っ直ぐな子が!」
 深雪の身体を燐光が包み、次の瞬間、グリラスミユキは真の姿へと変貌した。
「その姿は――」
「ハァ!」
 驚く渚砂の腕を弾き、玉虫色に煌く拳が少女の頬を張る。
「くっ、りゃああ!」
「ハッ! ハァア!」
 カリバーとグリラスミユキの鉤爪がぶつかり、暗い室内に火花を散らす。
「この――クロックアップ!」
《CLOCK UP!》
 スラップスイッチを押した瞬間、周りの総てが静止した。
 グリラスミユキの猛攻を除いて。
「ハァアア!」
「ぐふっ!」
 痛烈な蹴りを食らい、カリバーを取りこぼす。腹を押さえ、膝を付き、渚砂はグリラスミユキを見上げた。
「そんな……」
「カトリックもまたハグの一種。クロックアップなど、出来て当然」
 嘲笑うグリラスミユキの言葉に被り、ガタックアスターが電子音声を発する。
《CLOCK OVER!》
 時の流れが戻り、静止していた総てが動き出す。それは、マンシンガンブレードを構えていたアストルーパー達も同じだった。
「殺しなさい」
 グリラスミユキに頷き、アストルーパー達がカトリックの姿へと変化する。この室内にいる者は、総てカトリック――深雪でさえも。
 カトリック達は倒れ伏す渚砂の許へ殺到し、我先にと攻撃を加えた。蹴り、殴り、鉤爪で鎧を引き裂く。
 反撃は出来よう。カリバーを拾い、クロックアップすれば、彼女達を一網打尽に出来る。
(でも、出来ないよ……!)
 彼女達だって生きている。光莉や水穂や、渚砂のように。
 千妃絽は言っていた。ハグ達は生き方を間違えてしまっただけだと。
 なら、渚砂を攻撃するカトリック達も、ただ間違えているだけではないか。
 千妃絽と言う指導者と、アストと言う組織に、本心とは違う行動を強いられているだけではないか。
(みんな)……やめて……」
 攻撃と言うより私刑のような責めを受けながら、渚砂は呟いた。
「みんなだって、本当は、こんなことしたくない……ただ、平和に暮らしたいだけでしょ……」
 ハグは人間に擬態する。それはカトリックも一緒だ。あの時、水穂が言い訳をしなかったのは、彼女が狩野水穂と言う人間を殺している事を、認めていたからだ。
 けど、水穂は優しい。渚砂の為に、何時(いつ)も何かしてくれた。叱咤し、代わりにガタックの実験に志願し、変身した渚砂を血が滲むほどに殴ってくれた。
 彼女のように、人に対して優しくあれるカトリックがいたって、何の不思議もない。
「お願い……思い出して……人の心を……」
「哀れね」
 絶え間ない衝撃と痛撃の隙間を縫って、千妃絽の嘆息が聞こえる。
「私達は人間とは違う。一つの目的の為に一つになれる、真に平和的な種族なの。誰も、計画に疑問を抱く者はいないわ」
「そんなの……違う……」
「そう思うのは、あなたが人間だからよ」
 カトリック達を押し退け、グリラスミユキが渚砂を持ち上げる。
「カトリックの傀儡たる、戦いの神ガタック――戦いに於いて死すべし!」
「ぐぁ!」
 強烈なパンチを受け、渚砂の身体は大きく跳ねた。宙に浮く蒼い少女に、深雪が嗤う。
「さようなら」
 深雪の両目が怪しく輝く。まるで、必殺技を発動する仮面シスターのように。
 その表現は間違っていなかったと、両胸を突き刺された渚砂は激痛の中で感じた。
「が……か、ぁ……」
 深雪の背部から伸びた触手が、ヒヒイロノカネの装甲も貫き、渚砂の乳房に刺さっている。
 全身の神経が胸部に奪われたような感触は、触手が引き抜かれた瞬間まで続いた。
「あっ……あ……」
 目の前がぼやける。触手によって立たせられていた自分の身体が、触手を抜かれた今も崩れないのが不思議だ。
 痛い。痛い。痛い。
 ――けど。
「負け……ない……!」
「負けなさい」
 非情の言葉は、凶悪な鉤爪と共に、渚砂の腹部に捩じり込まれた。
「――はぁ」
 息が漏れ、膝から力が抜ける。
 倒れる瞬間、渚砂の血に塗れた爪を舐める、深雪の顔が見えた。

*

 その日、真乙女みことは、姉妹と一緒に渋谷に来ていた。間もなく行なわれる、人類勝利宣言の放送を見ようと言う、姉の提案に賛同したからだ。
「どうせなら、大きいので見た方が良いじゃない?」
 と言うのが姉の言い分だが、大人しい性格の自分としては、家庭用テレビでも良いと思っていた。だが、一番小さい妹などは、放送後のショッピングを楽しみにしている。自分だけ空気を読まず、迷惑を掛ける訳にはいかない。
「みこと、こっちこっちー」
 人混みの中、姉が手を振る。傍にはみことの、二人の妹もいる。三人とも近所で評判の美少女なので、声を聞いた人達が注視する場所に行くのは、勇気が要った。
「シブヤテレビジョン! やっぱここが一番デカいわよねー」
「後一分か」
「ねぇねぇ、ひじりケーキが食べたいな♥」
 バラバラの事を言う姉妹に相槌を打っていると、周囲からざわめきが立った。見上げると、巨大な屋外ビジョンに、スーツ姿の女性が映っている。
「あれ誰?」
「さあ?」
 首を傾げる周囲の人々と同じく、みこともあの女性に見覚えはなかった。
 ハグと呼ばれる怪物を倒すアストと言う組織。その総帥は、先日逮捕された前総帥に代わってその座に立った、若い女性だったと思うが、ビジョンの女性とは別人だ。
 だが、女性の背後には、アストのロゴマークが飾られている。ハグに関する放送には間違いなさそうだ。
『皆さん、初めまして。アストの理事長を務めます、源千妃絽と申します』
「理事長? 何でそんな人が?」
 姉の疑問には、千妃絽なる女性がすぐに答えた。
『アスト総帥の六条深雪さんは、現在緊急の用事が出来、私が代わりにこの放送を執り行う事となりました』
 緊急の用事? 一体何だろう? まさか、新たなハグが出現したのだろうか。
 そんなみことの疑念には答えず、千妃絽は画面の中で頭を振った。
『皆さん、私は非情に残念です』
 ざわ――と、新たなざわめきが起こる。
 残念? 残念とは、どう言う意味だ?
 それに、この耳障りな音は一体――
『私は人間とハグの戦いを見て来ました。確かにハグは侵略者です。併し人間は、彼等と共存しようと言う気が全くなかった』
 共存? する訳がない。だって、ハグは人を殺す、化け物だろう?
 千妃絽の言う事を理解できないまま、耳を押さえる。
 頭が、痛い――
『人間は必ず、争い合う。国家や民族、宗教の壁さえ越えられず、争い続ける人間に、我々カトリックとの共存など不可能です』
 カトリック――どうして基督教が出て来るのだ? 解らない。
 傍で、どさりと言う音が聞こえる。妹が倒れていた。もう一人の妹も、姉も、くたくたと崩れ落ちて――
『だから我々は、人類総てをカトリックにする事にしました。それが、真の平和です』  目が霞む。総てが緑色に見える。何を言っているのか解らない。
「お姉ちゃん……すばるちゃん……ひじりちゃん……」
 倒れた姉と妹達に手を伸ばす。
 その手が、緑色に見えた気がして――
『愚かな人間など、もう、必要ありません』
『うるさい』
 その声が、とても優しく――強く聞こえた。

*

「何ですって?」
 千妃絽の、不快そうな声だけが聞こえる。仰向けに倒れる自分には、天井しか見えない。
 だが、それでも――渚砂は言葉を吐き続けた。
「あなたは、人間の事を……っ……何も解ってない……!」
 顔を横に向ける。赤く発光するチューブが、生物のように脈打っている。
「人間、には……蕾ちゃんみたいに……ハグの心に打ち勝つ、人がいる……」
 全身が痛い。胸と腹を深く刺されたのだ。普通なら、動ける筈がない。
「静馬お姉様、みたいに……凄い人がいる……人間も、ハグも、関係ない……あの人が一番、上を見てた……」
「上を? 凄い人? そんなに凄いのなら、死ぬ訳がないでしょう」
 耳障りな千妃絽の声。電波なんて関係ない。彼女の声こそ、死の歌だ。
 けど、こんなもの――彼女なら、鼻で笑って聞き逃す。
「世界を敵に、回しても……たった、一人で戦い……続ける……諦めなかった!」
「しぶとい子ね……」
 苛立たしげに歩み寄って来る深雪の足が、渚砂の腹を踏み付ける。弱々しかった出血が、一瞬だけ増えた気がした。
「がぁ――っ!」
「戦いの神どころか、執念の神じゃないの、あなた」
「まあまあ、放って置きなさい」
 千妃絽の言葉に、深雪の足から力が抜ける。拷問の中断に荒い息を吐き、渚砂は見えない敵を睨み付けた。
「後三十分もしないうちに、総ての人間がカトリックになるわ。その子にとっての地獄を見せてから、無力感を抱いた死を捧げても構わない」
 後、三十分。その前に、電波の発信を止めれば――人類は助かる。
(でも――身体が動かない……!)
 深雪とカトリック達による一方的な攻撃の上、致命に近い傷。すぐには、動けない――
「全く――カブトが凄いと言うけれど――彼女を殺したのは、他ならぬあなたじゃない。彼女はもう、いないのよ」
「くっ……」
 そうだ。花園静馬は自分が殺した。千妃絽に騙され、だが、自分の意志で。
 もう、この世には、いないのだ――
「死んだ者の名なんて忘れなさい。代わりに、私の名前を覚えてから死ぬと良いわ。ふふ――ははははははは!」
 千妃絽の哄笑。もう、意識が持つかも解らない。それなのに、最後に聞くのが、こんな声なんて――

「あの子が言っていたわ」

 時が止まる。
 自分も、深雪も、千妃絽も、アストルーパー達も、呼吸を忘れて目を開く。
 クロックアップも、ハイパークロックアップも、フリーズも起こっていない。
 それらを使わず、時を止められる人間など――たった一人しかいない。

「世の中で覚えておかなければならない名前は、唯一つ」

何処(どこ)! 何処(どこ)にいるの!」
 焦る千妃絽とは対照的に、深雪は通信機を取り出し、耳に当てた。
「管制室、音声の発信源を」
『は、はい――翼多タワー! 翼多タワーです!』
「何ですって……」

(わたくし)は、花の園を往き、天馬をも静める乙女――」

 市で最も高いとされる、石造りの塔。その中身はアストによって改装され、カトリック化電波発信の為の電波塔へと変貌している。
 まさか、そこが抑えられた――?
「モニターに!」
 間髪要れず壁に設置されたモニターに映像が現れる。
 薄い雲の流れる蒼空の下、石造りの尖塔の先端に、小さな影が見えた。
 モニターは拡大され、そして――

「花園――静馬!」

「静馬、お姉様……」
 ぼやけた視界の中、その姿だけははっきりと見える。
 生きていた。
 まるで、渚砂と戦った事なんてなかったかのように、平然と、優雅に、美麗、絢爛に、そこにいる。
「静馬お姉様ぁ……」
 動かない手を心の中で伸ばし、モニターの中の女神に手を伸ばす。
 瞬間、雲の隙間から太陽が覗き――静馬が、塔から飛び降りた。
「なっ!?」
 千妃絽の呻きと共に、カメラが一気に引き戻る。
 静馬は接近していた映像から逃れるように、銀の髪を棚引かせ、天使の如く舞い降りて行った。
 自殺? そんな訳がない。あんなの――何時(いつ)も通りの馬鹿馬鹿しさじゃないか。
 そう笑った時、渚砂の左手にある壁が突き破られた。
 破砕する瓦礫の中、それを生んだ巨大な角が――カブトエクステンダー・エクスモードのエクスアンカーが屹立している。
 そして、濛々と立つ粉塵の中、銀の女神が降臨した。
(わたくし)は世界そのもの――世界が在る限り、(わたくし)は在る!」
「お姉様……!」
 溢れる喜びのまま叫ぶ渚砂に微笑み、静馬が一輪の花を投げる。花は真っ直ぐに飛び――アーク隕石の欠片に突き刺さった瞬間、隕石に繋がれた精密機器が一斉に火花を上げた。
「馬鹿な……一体、何故……」
「………」
「夢破れた乙女達に花一輪――その花と共に、天に昇ると良いわ」
 狼狽する千妃絽と口を噤む深雪に静馬が告げる。
「この……己一人変えられない、愚かな人間の癖に!」
「それがあなた達の限界よ――人間は変われるわ」
 静馬は罵る千妃絽の形相を見つめ返し、右腕を広げた。
「人間もカトリックもハグも関係ないわ。この世界に生きとし生けるもの、総ての命は等しく美しい」
 カトリック達がその姿を現し、静馬に向かって威嚇の仕草を見せる。
 だが静馬は、温かな眼差しで彼女達を見返した。
「他者の為に自分を変えられるのが人間よ。自分の為に世界を変えるんじゃない。自分が変われば、世界はどこまでも素晴らしく変わる!」
 広げた右手を上に向け、その指先で天を指す。
「それこそ、花の園に拓かれた、天の道よ」
「そう、よ……」
 震える、だが強い意思に満ちた声が、室内に響く。
「人間と、カトリックが……一緒に暮らせる、世界を……争いのない世界を……渚砂達の手で、掴んでみせる!」
 血に塗れ、必死に立とうとする渚砂を見下ろし、千妃絽もまた叫ぶ。
「では、敢えて言いましょう――そんな世界など、ましてや人間など、必要ないと!」
「――あなたは所詮その程度と言う事ね」
「殺せぇ!」
 激昂した千妃絽がカトリック達に向かって手を振る。が、カトリック達は躊躇うように、その場で立ち尽くしたまま、動かなかった。
「どうしたの、行きなさい!」
 千妃絽が促すが、カトリック達は動かない。そして、真ん中のカトリックがアストルーパーへと戻った事を切っ掛けに、全員が人間の姿に変わった。
「あなた達、カトリックの心を忘れたの!」
 深雪の恫喝にアストルーパー達が肩を震わせる。だが、矢張り動こうとはしない。
「この、反逆者達が……!」
「まだ解らないの?」
 呻く千妃絽に、静馬が問う。
「あなたが生み出そうとしていたのは、元人間のカトリック。当然、人であった時の記憶も持っている。それなのに、人間は愚かだの、必要ないだの――あなたに他者を率いる資格なんてないわ」
「高説もそこまでです」
 すっ――と、静馬の前に深雪が立った。
「静馬お姉様、この世は力こそ総て。あなたの正義は、あなたが勝ってこそ示されます」
「そうね。――後輩の我儘を止めるのも、エトワールの役目だもの」
 肩を竦める静馬の右手に、開いた壁穴から飛び込んで来たカブトアスターが収まる。
「――変身」
《HENSHIN!》
 一瞬にして形成されるマスクドアーマーとサインスーツが静馬の肢体を完全に包む。
「キャストオフ」
《CAST OFF! CHANGE BEETLE!》
 そのマスクドアーマーを弾き飛ばし、清廉なる戦乙女が姿を現した。
 赤き鎧は情熱を、黒きスーツは戦いの運命を、青き瞳は天を染める空を。
 仮面シスターカブトは、母の遺志を込めた仮面の奥で、小さく微笑んだ。
「クロックアップ」

花の園を往き、天馬をも静める

《CLOCK UP!》

 タイミングは粗同時、駆け抜ける速度も、振り抜く刃も全く対称の軌跡を描いた。
「はっ!」
「ハッ!」
 カブトアゾットガンとグリラスミユキの鉤爪が火花を散らし、それぞれ反対の方向へと飛んで行く。
「しっ!」
「エィァ!」
 拳が交じり、蹴りが飛び、触手を弾く手刀が舞う。
「ゼィ!」
「ふっ――ぐっ!」
 静馬の左手が触手を防ぐ――が、右手を擦り抜けたもう一つの触手が、深々と腹部に突き刺さった。
「死ねっ!」
 叫ぶグリラスミユキの胸から生まれた光が触手を駆け抜け、静馬の腹部で炸裂する。
「オオオオオッ!」
 雄々しく叫ぶグリラスミユキの意志のように、弾けた光は静馬の身体を吹き飛ばした。

《CLOCK OVER!》

 突然目の前に落ちて来た静馬の身体に、渚砂は痛みを無視して叫んだ。
「静馬お姉様!」
 見るとグリラスミユキは、片腕の鉤爪が切れているだけで、全くダメージがない。対して静馬は、息も絶え絶えだ。
「もしかして、まだ昨日の傷が……」
「大した事、ないわ」
 軽口を叩くが、立ち上がる動作も弱々しく、緩慢だ。
「くっ――お願い、ガタックアスター! もう一度、渚砂に戦う力を貸して!」
 去ってしまった相棒の名を呼び、天井に向かって手を翳す。瞬間、天井を突き破って青い星が舞い降りた。
《OK,Let's break down her,my master.》
「――変身!」
《HENSHIN!》
 一瞬で纏うアーマーの力を借りて上半身を起こし、振り返って叫ぶ。
「キャスト、オフ!」
《CAST OFF! CHANGE STAG BEETLE!》
 アーマーを弾き飛ばし、身軽になった渚砂は、静馬に駆け寄り、抱き起こした。
「確りして下さい、静馬お姉様!」
「……ええ」
 声は短く、だが確りと頷く静馬と共にグリラスミユキの許へ走る。
「クロックアップ!」

《《CLOCK UP!》》

《KABUTO-AZOTGUN RELEASE》
《GATACK-TWINCULIBER UNLOCK》
 静馬の腕にカブトアゾットガン・アゾットモードが出現し、渚砂が両肩のガタックツインカリバーを構える。
「はっ!」
「りゃあ!」
「オオッ!」
 四振りの刃が交錯し、触れて、離れて、又触れる。
 生まれて弾ける前に静止する火の花を幾十と生み、擬似的な星の海がそこに生まれていた。
 星海を泳ぐ三人の少女の舞の観客は誰もいない。光を超える神速の戦いを、誰が見られようか。
 グラリスミユキの拳がカブトアゾットガンを弾き飛ばし、渚砂の胸を殴り抜ける。血を吐きながら後退った渚砂は、ツインカリバーを合体させた。
《GATACK-TWINCULIBER COMBINE》
「静馬お姉様、退いて!」
 頼むまでもなく、静馬がグリラスミユキに蹴られ、右へと転がる。
「シスターカッティング!」
《SISTER CUTTING!》
 渚砂は二つの曲刀によって構築された鋼の大鋏を構え、玉虫色の異形へと突進した。
「りぁああああ!」
「オオオオオオ!」
 スパークの弾けるツインカリバーの刃を、グリラスミユキの両手が掴む。挟まれまいと力を込めるグリラスミユキに対し、断ち切ってみせると叫び続ける。
「ああああああ!」
「オオオ――アァ!」
 呼気と共にグリラスミユキが腕を捻り――ツインカリバーの両刃が音を立てて粉砕した。
「アッ!」
 グリラスミユキの足裏が渚砂の腹に突き刺さり、背中から金属の台にぶつかる。背中と腹の痛みで閉じていた瞼を開けると、すぐ傍に静馬も倒れていた。
「私の、勝ちよぉお!」
 吼える深雪の眼が光り、背中の触手が蠢動する。
「オオオオオオッ!」
 絨毯の剥がれた床を蹴り、一瞬で二人の許に辿り着いたグリラスミユキは、死に体の仮面シスター達の首を掴み、宙へ持ち上げた。
「ぐ、ぅ……」
「かはっ!」
「終わりよ――がっ!?」
 悲鳴と共に首を絞める力が緩み、二人同時に床へ落ちる。
「ど、どうして……」
 首をさすりつつ深雪を見ると、その腹を突き破ろうと高速回転する黒いカブトムシが、彼女を後退させていた。
「あれは――」
「行くわよ!」
「! はい!」
 静馬に促され、ガタックアスターに手を掛けながら走り出す。
《《ONE! TWO! THREE!》》
「シスターキック」
「シスターキック!」
《《SISTER KICK!》》
 アスターから生まれたスパークがカブトホーンとガタックホーンに集まり、そしてシスターストンパーへと集束する。
「はっ!」
「りゃあ!」
 天井すれすれまで跳躍した渚砂の左足と静馬の右足は、その威力の総てを込め、グリラスミユキの胸に直撃した。
「ぐぁああっ!」
 致死の悲鳴を上げ、吹き飛ぶグリラスミユキの身体は、機材を倒し、カメラを粉砕し、壁に描かれたアストのロゴマークにめり込んで、ようやく止まる。
 だが、爆発はしない。計三十八トンにも及ぶ衝撃を受け、並のハグならば一瞬で消し飛ぶ一撃を食らっても、グリラスミユキは健在だった。
「はっ、はぁっ……本当、感心するぐらいにしぶといわね」
「はぁっ――ハイパーアスターは、使えないんですか?」
「あれは、勝手に送られて来るだけよ。私が望む時に、偶々現れるだけ……」
 何処(どこ)か気弱さを感じる答えに、思わず苦笑する。昨日の戦いで、頭を打ってしまったのだろうか。

《《CLOCK OVER!》》

 時が動き出し、粉砕した欠片が自由落下を始める。
 グリラスミユキも、流石にクロックアップ出来るほどの余力はないのか、視認出来る程度の速さで、荒い息を吐いていた。
「さあ、どうするの? まだやるのなら、相手になるわよ」
「渚砂だって、まだやれますっ」
 痛い身体に鞭を打ち、両腕を構える。が、
「くっ――」
 小さく舌打ちした後、グリラスミユキは姿を消していた。
「クロックアップ!」
「逃げた――のね」
「追い駆けますか?」
「いいえ、今からでは追い着けないだろうし、深雪もアレじゃ真面に戦えないでしょう。決着は御預けね。――それより」
 静馬がくるりと振り返り、胸元で腕を組む。
「起きているんでしょう?」
「――気付いてたの」
 声を上げたのは、ベッドの上に横たわる擬態の静馬だった。実は余り気にかけていなかった――と言うより、今気付いたと言うのが、渚砂の本音だ。それほどまでに、深雪達の事に集中していた、と言う事だ。
「アスターが、あの状況で勝手に変身を解く事は有り得ないわ。大方(わたくし)達を助けるように言ったんでしょう」
「………」
 答えない擬態静馬の胸元に、ダークカブトアスターが降りて来る。グリラスミユキへの特攻のせいか、アスターホーンの先端が罅割れていた。
「主人思いの良い子ね。うちの子と良い勝負だわ」
「……そうね」
 ダークカブトアスターの背を撫でる擬態静馬と、彼女を見つめる静馬。二人の間には、嘗て見た険悪な雰囲気はない。
「静馬お姉様、擬態の静馬様と仲直りしたんですか?」
「最初から仲が悪かったのだから、仲直りとは言わないわ。第一、仲良くなってもいないわよ」
「?? 良く解らないけど、取敢えずもう戦う理由はないって事ですか?」
「この子が人として生きるのならね」
 興味のないように告げる静馬と、どこか不貞腐れたような顔の擬態静馬を見比べる。もし二人が仲良くなったのなら、どのように付き合って行くのか、少し興味があった。
「それじゃ渚砂。千妃絽を捕まえに行くわよ」
「え――あ、忘れてました」
「……本当、あなたは面白い子ね」
 呆れる静馬に、舌を出して笑う。
 だが、問題にする事もないだろう。深雪をグリラスミユキにしたと言う事は、千妃絽本人はさして強くないからだと思う。
「兎に角、千妃絽さんを探し出して――」
「源千妃絽はもういないわ」
「静馬お姉様?」
 見上げるが、静馬は固く口を閉ざしている。それどころか、とても厳しい顔をしていた。
 だが、今の声は確かに静馬だった筈だ。
「驚いたわ。まさか、深雪でも敵わないなんて――確かに、人間の力を侮っていたのかも知れない」
「えっと――静馬様?」
 若しかして、と思い、擬態静馬を見下ろす。だが、彼女も唇を震わせ、強張った表情を見せていた。
「あなた、言っていたわね。自分は世界そのものだって」
 背後からの声(、、、、、、)が、そう囁く。
 有り得ない事ではない。弱いハグが強い者――仮面シスターに擬態する。嘗て、玉青がされたように。
 だが、まさか、この状況で――
「なら、あなたに代わって(わたくし)が、世界を司ってあげる」
 振り返る、その先で――
 三人目の花園静馬が、王者の如く天を指し示していた。

*

「あっ、がっ――きゃぅ!」
 顔面から硬く冷たいアスファルトにぶつかり、深雪が吐息とも悲鳴とも付かない音を漏らした。
 顔を削った所で、今更大した事はない。全身が針に刺されているかのように苛まれ、眠る事も起きる事も許されないのだ。
「し、静馬ぁ……!」
 怨敵の名を呟き、アスファルトを叩き砕く。
 勝てると思っていた。勝つと決意した。その筈なのに――負けた。
「最強――ですって……こんな、力が……!」
 額をアスファルトに擦り付け、歯を食い縛る。
 冷静になれ――冷静に――力を得て、舞い上がっていた自分を自戒しろ――慢心と油断が敗北を招いたと知れ――それを乗り越えたなら、次は決して――
「負けない――勝つ」
 上体を起こし、深く息を吸う。旧アストラエアの冷たい空気は、何処(どこ)までも冷酷に深雪の心を冷やして行った。
「――先ずは、回復」
 この身体の回復力がどれだけのものかは判らないが、シスターキックを二つ受けたダメージは易々とは回復しないだろう。千妃絽の計画も粗潰えた。今回の事は忘れ去り、時期を見て第二次人類カトリック化計画を発動する。
 何も問題はない。自分には擬態と言う逃亡には打って付けの能力と、異形ゆえの生命力がある。例え何十年掛かろうとも、世界の頂点に立つまで戦い続けてみせる――

 カッ――

 不意の音に、思わずびくりと震える。
 静馬達が追って来たのだろうか。いや、まさか、千妃絽が足止めぐらいはしているだろう。玉青(ドレイク)は市内で交戦中、(サソード)は死亡、ザビーは――

 カッ――カッ――

 考えている間にも、足音は近付いて来る。誰だ? 一体誰が、このアストラエアに、この六条深雪の許に来ると言うのだ?

「深雪さん、探したよ」

 太陽と粉塵が作り出す、白夜のような白い光景を、背の高い影が歩いて来る。
 聞き覚えのある声。最後に聞いたのは何時(いつ)だったか――春だろうか?

「テレビ、見たよ。ハグになったらしいね――」

 秋以降、再び彼女が動いていた事は知っていた。
 シスターの前に現れては、勝負を挑んで去って行く、深緑の仮面シスターとして。

「それに、アストの総帥に。羨ましいなぁ」

 嘗ては、自分の許で働いていた、彼女が――
「天音、さん――」
 黒く染まった聖スピカ女学院の制服を纏った長躯の王子は、襤褸を纏っても尚輝く瞳を細めた。

「――私の妹を地獄に落としたのは、あなたか」

 左右から、バネを弾くような音が響く。それらの主――バッタの形をした二つのアスターは、天音が広げる両手へと収まり、

「あなたも、私と一緒に地獄に落ちて貰おう――変身」

 彼女の腰に巻かれたベルトの、二つのバックルに装着された(、、、、、、、、、、、、、)

《《HENSHIN! CHANGE KING HOPPER!》》

 腰の両脇にセットされた二つのホッパーアスターが唱和し、天音の身体を二色のヒヒイロノカネが包み込んで行く。左半身は深緑に、右半身は焦げた土色に。目に当たるコンパウンドアイさえも、赤と白と言う差異がある。
 完全なシンメトリーだった――色と、右腕と左足に付いたアンカージャッキを除けば。
「行くよ――夜々」
 そう小さく動いた唇は、笑っているとも泣いているとも付かない、奇妙な表情だった。

*

「そんな……静馬お姉様に擬態するなんて……」
 シズマエクステンダーが開けた壁の穴から吹き込んで来る風が、渚砂達の髪を揺らす。
 その風以上に冷たい視線を持つ銀の美女は、くっくと笑って呟いた。
「来なさい」
 瞬間、静馬に擬態した千妃絽の背後にルルドホールが開く。次元の断裂から現れた黄金のアスターは、千妃絽が掲げる右腕に装着された、黒いシスターブレスに合体した。
「変身」
《HENSHIN! CHANGE CAUCASUS BEETLE!》
 シスターブレスから展開する黄金のヒヒイロノカネに包まれ、千妃絽の姿を黄金のシスターフォームへと変える。
 そのシルエットは、まるで――
「黄金の、カブト……」
 頭頂と両頬に伸びる三本の角、両肩のアーマーから伸びた角などの際はあるが、基本的なシルエットはシスターフォームのカブトに酷似している。カブトをモデルにしたと言っても過言ではないだろう。
 静馬の顔をした千妃絽は、夢見るような顔で頷いた。
「第四世代マスクドシスターシステムの一つ『コーカサス』。今まで作られたシステムの中で最古最強とされるカブトをモデルに作られた、真に最強たるシステム。それがこの、仮面シスターコーカサスよ」
 謳う千妃絽に、美貌を歪ませた静馬が吐き捨てる。
「人の真似をしておいて、最強を名乗るなんて、おこがましいにも程があるわ」
「そうかしら。どちらが真実で、どちらが嘘になるのか――それは後の歴史が決める事よ」
 嗤う千妃絽の左手が腰に近付く。そこにはスラップスイッチではなく、もっと大きな――
「ハイパーアスター!」
「そうよ」

《HYPER CLOCK UP!》

《HYPER CLOCK OVER!》

「がっ!」
「ああっ!」
 床に思い切り叩き付けられ、肺の中身が無理矢理吐き出される。
 一体何度攻撃を受けたのか、全く判らない。ただ、少しは回復しつつあった痛みが、前以上に酷くなっていた。
「素晴らしいわ――僅かな希望を抱く、愚かな人間を叩き伏せるのは」
「くっ――全く、腐った女ね……」
「自分に言ってもしょうがないでしょう?」
 床に跪く真紅の静馬を、優雅に佇む黄金の静馬が見下ろす。
「あなたも解ってるでしょうけど、ハイパーアスターは気紛れなの。設計上、二百年程度の時間跳躍は可能なのだけど、まだ誰も使いこなせていない――精々、超加速とパーフェクトアスターとのリンクね」
「そう――その子は、あなたに作られたと言う訳……」
 膝に手を付き、立ち上がる静馬の口元から血が零れる。口の中を切ったらしい。
「そうかも知れないわね」
「なら、あなたは倒される――未来の(わたくし)が、それを送ったのだから!」

《CLOCK UP!》

《HYPER CLOCK UP!》

《HYPER CLOCK OVER!》

「そうとは限らないわ」
「ぐぅっ!」
 壁に叩き付けられる静馬に背を向け、千妃絽が説明を続ける。
 静馬のクロックアップなど、全く問題にならないと言うように。
「そうね。この戦いに(わたくし)が勝利して、何かの気紛れで過去に送ったと言うのは、どう? 面白いでしょう?」
 くっくと嗤うその仕草は、何処(どこ)か静馬本人と違って見えた。まだ、源千妃絽の人格が残っているのか――それとも、この名もなきカトリック自身の魂の発露なのか。
「歴史は変えられる。あなたが一度変えたように」
 林檎でも握るように右手を丸め、千妃絽が歪んだ笑みを浮かべる。
「そして、この星の未来は、(わたくし)が掴む」
「巫山戯ないで!」
 叫んだのは静馬ではない。ベッドの上で寝ていた筈の擬態静馬が、ダークカブトへ変身しながら千妃絽へ飛び掛かる。
《HENSHIN!》
「てゃあ!」

《HYPER CLOCK UP!》

《HYPER CLOCK OVER!》

「あぅ!」
 突然方向転換し、天井にぶつかった擬態静馬が床に落ちる。身動ぎする彼女を見下ろし、千妃絽が嘆息を漏らした。
「可笑しな子ね。あなたが私に勝てる訳がないわ。あなたも、ダークカブトアスターも、所詮オリジナルのコピーに過ぎない」
「そんなの……あなただって一緒じゃないですか!」
 痛みで動かない身体を恨みながら叫ぶ。そんな渚砂を見下ろす黄金の仮面シスターは、明らかな嘲笑を口元に浮かべた。
「いいえ、違うわ。(わたくし)にはカトリックとしての心がある。花園静馬に擬態した今、源千妃絽の記憶は只の情報となった。花園静馬の心も、(わたくし)を支配するまでには至らない。そこの、人間だった頃の記憶を――本当の自分も忘れてしまった愚か者と一緒にしないで」
「人間……だった?」
 千妃絽の言葉を受け、擬態静馬が床を殴り付ける。まさか彼女も、カトリックによって人工的にカトリックにされた人間だと言うのだろうか。
「だから人間は嫌いなのよ。弱く、愚かで、傲慢で、争いばかり。この星の生態系は狂ってる――それもまた、人間のせい」
「………」
「だから(わたくし)がこの世から人間を一掃しようと言うのに……全く、愚か過ぎて涙が出るわ」
「ええ、(わたくし)も、あなたの愚かさに涙が出るわ」
 背後からの声に、千妃絽の顔が歪む。
 振り返る彼女に、壁を背に立つ静馬が微笑んでいた。
「何ですって?」
「あの子が言っていたわ。他人を悪し様に言う者ほど、破滅が近いってね。他人の事を考えられない者に、未来なんてある筈がない」
「ふん、何を言っても無駄よ。あなた達は負ける。何なら今すぐ殺して上げましょうか」
 千妃絽がハイパーアスターのスラップスイッチに左手を翳した途端、静馬が真顔になる。
「矢張りあなたは(わたくし)ではないわ」
 眉を顰める千妃絽に見せ付けるように、静馬は左手を掲げた。その仕草は、まるで――
(わたくし)が負ける? そんな事は有り得ない。何故なら(わたくし)は、既に未来を掴んでいるのだから――この世界の分までね!」
 壁に穴が空き、なお暗い室内にスパークが走り、ハイパーアスターが召喚される。
 だが、スパークが起きたのは、静馬の手許だけではない。
 渚砂と擬態静馬の手にもまた、ハイパーアスターが出現していた。
「そんな――!」
「嘘――!」
「本当よ」
 ハイパーアスターを掴んだ静馬の左手が、腰のスラップスイッチへと近付く。
「させるか!」
 千妃絽の手がハイパーアスターへと伸びる。だが、
「てやっ!」
 擬態静馬の爪先が千妃絽の左手を弾く。蹴りの勢いを利用して体勢を立て直した擬態静馬は、既にハイパーアスターを手にしていた。
「渚砂、遅れちゃダメよ」
「は、はい!」
 慌ててハイパーアスターを掴み、腰に添える。スラップスイッチが分解・再構築され、ハイパーアスターと完全に融合する。
「よし――」
 互いの顔を見る必要はない。向かう目標は唯一つ――千妃絽を倒す事だけ!
「「「ハイパーキャストオフ!」」」

《HYPER CAST OFF! CHANGE HYPER BEETLE!》
《HYPER CAST OFF! CHANGE HYPER STAG BEETLE!》
《HYPER CAST OFF! CHANGE HYPER DARK BEETLE!》

 閃光が弾け、疾風が巻き、毒を思わせる虹色の波が、三人を中心に膨れ上がる。
 数ヶ月振りに感じるこの力。何者にも負けないと言う自信が、意味もなく溢れて来る。
 否、意味なら在る。
 未来の誰かが託してくれた、信頼と言う根拠が。
「これで実力は五分と五分。愚かな私達の未来と、愚かなあなたの未来、どちらが正しいか――決着をつけましょう」
 二人の超人と並ぶ羽化を待つ甲虫の如き真紅の戦乙女は、黄金の悪魔に力強い眼差しを向けた。

*

 ゆっくりと歩み寄って来る天音を睨み、深雪は左手を掲げた。その手首には、黄色いバンドでシスターブレスが装着されている。
「変身!」
 深雪は間近に出現したルルドホールから現れたザビーアスターを掴み取り、シスターブレスに装着した。
《HENSHIN!》
「キャストオフ!」
《CAST OFF! CHANGE WASP!》
 マスクドアーマーを弾き飛ばしつつ、天音に向かって駆ける。
「クロックアップ!」
《CLOCK UP!》
 天音の動きが止まり、飛んで行くアーマーの部品さえもゆっくりとした動きになる。
(無駄な時間は掛けない。一撃で決める)
「シスタースティング!」
《SISTER STING!》
 深雪はタキオンエネルギーが集束するザビーニードルを翳し、天音に向かって突き出し――天音の手が、左のホッパーアスターを撫でた。
「シスタージャンプ」
《SISTER JUMP!》
 驚愕の呻きを上げる間もなく、天音の姿が視界から消える。シスタースティングは外れ、行き場のなくなったタキオンエネルギーが拡散し、
「シスターキック」
《SISTER KICK!》
 空から聞こえる断罪の警告に、ストレートパンチの勢いのまま、深雪は前方に転がった。
「ふっ!」
 鋭い声の直後、鉱物が粉砕する破壊音が鳴る。地面を揺らすそれに振り向くと、左足をアスファルトのあった場所に突き立てた天音が、片目だけで深雪を見ていた。
「あなた――どうやって……」
 天音はクロックアップなどしてなかった筈だ。深雪がザビーに変身してから攻撃するまで、そんな動作はなかった。
「あなたも闇を知ると良い……その影の向こうで、自分では見えない何かが、常に起きていると」
 事も無げに立ち上がる天音の言葉に、記憶を辿る。見えない何か――自分が、天音を見ていない瞬間でもあったと言うのか。
「――キャスト、オフ……ですって……?」
 思い至った自分の考えに馬鹿馬鹿しくなる。だが、それしか考えられない。
 キャストオフの瞬間、弾け飛ぶマスクドアーマーが一瞬視界を遮る事がある。その一瞬の間に、天音はクロックアップを始めていたのだ。
「流石は、元ナイトのリーダー――ザビーの資格者ね」
 静馬同様、侮れる相手ではない。ザビーアスターから見限られた、十ヶ月前の彼女と思ってはいけない。
「良いでしょう。私の全力を以て、お相手するわ」
 すっ――と、右手の人差し指で天音を指す。
 アストラエアに築かれた三つの女子校に於いて、禁忌とされ――故に、決闘の合図とされる、仕草。
「あなたは、良いな……あの生温い楽園で生きられて……」
 立ち上がり、振り返る天音の手が、二つのホッパーアスターに掛かる。
「どうせ私達は、裏切りしか、得られない」
「ならば、これは慈悲だと思いなさい」
 深雪は地面を蹴り、天音と距離を取った。額の辺りに意識を集中し、左手を構える。
「ふっ――!」
 背部から生まれたエネルギーが、腕を伝わりザビーアスターへと集まって行く。橙の針がスパークに包まれる様は、通常のシスタースティングの比ではない。
 これぞ、カトリックとなった深雪の奥の手。ハグを殺す仮面シスターの力に、人間を殺す成体カトリックの力を上乗せする。
 例え天音が二つのアスターを持とうと、その必殺技がパンチとキックでは、共に食らわせる事など不可能。一撃の強さに於いて、深雪に勝てる仮面シスターなど、存在しない。
「グリラスシスタースティング……!」
《SISTER STING!》
 スパークに包まれるザビーアスターに、更にスパークが重なる。その様は正しく、閃光の二つ名に相応しい。
「シスタージャンプ」
《《SISTER JUMP》》
 天音の両手がホッパーアスターのタイフーンを展開し、腰を沈める。二つのアスターを利用し、跳躍力を高めようと言うつもりか。
(そうはさせない!)
 シスターキックが来ようと、シスターパンチが来ようと関係ない。彼女の跳躍の軌跡を読み、落下地点を予測、天音の無駄な攻撃が地面を撃つと同時に、シスタースティングを叩き込む。
 天音の身体が更に沈む。彼女も、これで終わりにするつもりだろう。
(その覚悟、叩き伏せる……)
 ザビーアスターを構え、彼女の全身を見つめる。決して見逃さない。必ず殺す。
 そして、
「く――」
 と、呟き――笑い?――、天音は跳んだ。
 水平に(、、、)
「!」
 驚愕の声を上げる暇も、考える暇もない。
 深緑と土色の彗星は、閃光の疾さを以て深雪に肉薄し。
 中空に出現した紫毒の剣を掴み取った(、、、、、、、、、、)
「げぇっ!」
 漆黒の刃が腹部に刺さり、その勢いのまま二人は真横に跳び続ける。
 何だ、これは――何故、サソードアスターがここに在る(、、、、、、、、、、、、、、)
《SISTER SLASH!》
 背まで貫通した剣が妖しく光り、侵食する痛みが激痛に変わった。猛毒の斬撃が細胞を焼き、深雪の総てを犯し続ける。
 だが――
「がぁあ!」
 血を伴う咆哮と共に、深雪はシスタースティングを放った。二色のプラズマを纏った一条の刺突が、天音の肩に突き刺さる。
「ぐっ――ぉぉあ!」
 初めて聞く雄叫びが耳朶を打ち、刺撃ではない衝撃が背中を襲う――深雪の身体は崩落寸前の壁にぶつかり、サソードヤイバーによってそこに磔にされた。
「がぁ……ぁ……」
 意識を乱す痛みの中、震える瞼を開く。自分の胸――胸部装甲(ザビーブレスト)から生えたサソードヤイバーの柄から、サソードアスターが離れ、瓦礫の積もる地面に落ちた。
 何故だ。もう、戦いは終わったのか。天音が死んだのか――それとも、もう、サソードゼクター()使わないのか。
 顔を上げる。
 灰色の粉塵の中、仮面の頬に当たる部分と、右肩のショルダーブレードを破壊された仮面シスターは、鮮血の溢れる右腕を動かし、ホッパーアスターのタイフーンを倒した(、、、、、、、、、、、、、、、、、、)
「やめ――」
《SISTER PUNCH!》
 刹那の判断で、左腕のザビーアスターに右手を伸ばす――プットオンさえすれば、攻撃をやり過ごせる――
「シスターパンチ」
 その右腕ごと、胸を潰された。
「あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ!」
 アンカージャッキによって繰り出された十発の拳打が、深雪の右腕と、折れ掛けていた天音の肩を破壊する。
 数秒後、蜂の腹を象るザビーブレストは完全に粉砕し、下のサインスーツが露になっていた。そのサインスーツも、仮面も、六角形の欠片となってシスターブレスへと収納される。
「ザ、ビ……ア……」
 擬態が解け、カトリックの姿になった深雪を、天音と四体(、、)のアスターが見下ろす。
 どうして、ザビーアスターは自分から離れたのか。
 どうして、サソードアスターがここに現れたのか。
 どうして、天音がホッパーアスターのタイフーンを倒すのか。
 どうして――最強のカトリックたる自分が負けるのか。
「シスター――キック」
 そんな事ばかり気になって、防ぐ事すら考えず。
《SISTER KICK》
 その疑念も、深緑の一撃によって打ち消された。

*

 玉虫色の炎となって消滅する深雪を見届け、天音はその場に座り込んだ。両腰のバックルからホッパーアスターが外れ、キングホッパーの鎧が消滅する。
 ホッパーシステム。それを天音に齎した源千妃絽は、この隠された機能を、制御出来ない力と呼んだ。一つで完成したシステムを重ね合わせる――二人分の罪と罰を背負う、資格者殺し(アンチマスクドシスターシステム)
 そう呼ばれるだけの力は、確かに強力だった。
「――はぁ……」
 血の混じる嘆息を漏らす身体は、既に微塵も動かせない。右腕は完全に死に、ホッパーシステムの影響で全身が滅びつつある。
 だが悔いはない――
「行け……」
 掠れた声で、周囲のアスター達に呟く。こんな茶番に付き合わせて、本当に悪かった。
 アスター達は名残惜しむように身動ぎした後、中空に出現した光の穴へと消えて行く。
 これでもう、思い残しはない。
「お姉様」
 呼ばれ、顔を上げる。黒髪の美少女が、聖スピカ女学院の制服を纏って立っていた。
「用事は済みましたか」
「――ああ」
「それじゃ、行きましょう。蕾も待ってますよ」
「そうですよ、天音お姉様」
 美少女の傍らに、ぴょこんともう一人、黒いヘアバンドを付けた少女が立つ。
「早く行きましょう? 夜々お姉様に聞いた時から、蕾、楽しみにしてたんですから」
「ああ――そうだね」
 立ち上がり、二人に微笑む。
「行こう、私達の世界へ」
「ええ」
「はいっ」
 頷く少女達と共に歩き出す。
 目の前に広がる、広く眩い、白夜へ続く道を――

 その、アストラエア廃墟の一角の崩落は、誰の目にも触れられる事なく始まり、終わった。
 そこにいる者達は己の事に手一杯で、瓦解の轟音さえも、別の場所で行なわれている戦いのものだろうと、聞き流された。
 後になって、その建物があった場所に誰かが来たとしても、最初から崩れていたと思うだろう。
 だが、誰かが気付くかも知れない。
 そこで人知れぬ戦いがあった事と。
 そこが七年前まで、聖スピカ女学院の名を与えられていた場所だと。

*

「「「「ハイパークロックアップ!」」」」
《《《《HYPER CLOCK UP!》》》》
 四人の少女が唱和し、世界が完全に固定される。
 生産も破壊もない、時を切り裂いた隙間を、彼女達だけが動く事が出来る。
 それこそ、神に祝福された存在ではないか。
「はっ!」
「りゃっ!」
「たっ!」
「ハッ!」
 四人同時に床を蹴り、旧御聖堂の天井を貫いて空に躍り出る。全身に展開するカブテクターとシスターアーマーから噴出する四色のタキオンエネルギーで光の道を描き、少女達は凍る世界を見下ろす戦場に立った。
 光を支配せし太陽の女神――仮面シスターカブト・ハイパーフォーム。
 新月より現れし戦いの女神――仮面シスターガタック・ハイパーフォーム。
 暗黒から生まれし復讐の女神――仮面シスターダークカブト・ハイパーフォーム。
 最強を約束されし破壊の女神――仮面シスターコーカサス。
 四人は、静馬に擬態した千妃絽を頂点に、歪んだ逆三角錐を形成し――不敵に笑う黄金のシスターは、ゆっくりと両手を広げた。
「来なさい」
「覚悟!」
 雄々しく広がった双角を振る渚砂が、両肩に装着されたガタックハイパーカリバーを外し、怒涛の勢いを以って千妃絽に肉薄する。ハイパークロックアップした今、武器を持つ自分が一番、攻撃力が高いと渚砂は信じていた。
「りゃあああ!」
「ハッ!」
 十メートル以上の間隙を一瞬で詰め、嵐の如くハイパーカリバーを振り回す。
「りゃりゃりゃりゃあああああああ!」
「ハアアアアアアアアッ!」
 間断なく繰り出される斬撃は、黄金のシスターが放つ拳に弾かれ、受け止められ、流されて行く。それは防御ではない。千妃絽もまた、渚砂を打とうとし、その軌跡が克ち合っているのだ。
「ハッ!」
 攻守のタイミングを見計らい、千妃絽の右足が渚砂の腹を蹴る。一撃に退く間もなく、握り合わされた千妃絽の拳が、渚砂の頭頂部を殴り抜いた。
「「シスターキック!」」
《《SISTER KICK!》》
 渚砂が防御も出来ず大地へと墜落し始めると同時、二人の静馬が千妃絽へ襲い掛かる。タキオンエネルギーを纏う二つのシスターストンパーは、Vの字を描いて千妃絽に炸裂した。
「クァアッ!」
 ダブルシスターキックを受け、金色の女神が数メートル後退する。が、シスターアーマーから放出するタキオンエネルギーが千妃絽の落下を食い止め、姿勢を制御してしまった。
「カブテクターの代わりに、シスターアーマーからタキオンエネルギーのシールドを発生させている……厄介ね」
「そう――このコーカサスを、単なるカブトのバリエーションと思わない事ね!」
 叫ぶ千妃絽が宙を蹴り、二人のカブトへと疾る。
「ハァアアアアアア!」
「はああああっ!」
「たゃあああ!」
 接敵の瞬間、アーマーのエネルギー放出で加速する拳の豪雨が、三人の静馬の間で殺し合いを始めた。光速を超える真紅と漆黒と黄金は、無色の暴風と化し、相手の致死を狙い続ける。
「りゃっ!」
 乱打を交える三人の真下、渚砂が瓦礫の山から飛び出した。その手に合体したガタックハイパーカリバーが握り、千妃絽目掛けて急上昇する。
「ハイパーカッティング!」
《HYPER CUTTING!》
 迫る双剣に気付いた千妃絽がパンチを止めて後退し掛けた。が、
「「逃さないわよ」」
 両手を掴んだ静馬と擬態静馬がにやりと笑う。
「放しなさい!」
「断るわ」
 二人同時に千妃絽の腕を捻り、その背を渚砂に向けた。千妃絽の顔が青ざめ、渚砂の顔が決意に固くなる。
「りゃああああ!」
「グァアアッ!」
 パーフェクトアスターにも匹敵する蒼白の大鋏が黄金の鎧に喰らい付き、更に上昇し続けた。ハイパーカリバーはがっちりと鎧に食い込み、上にも前後左右にも逃げる事は出来ない。
「あああああっ!」
 ハイパーカリバーを握る手に渾身の力を込め、渚砂は腹の底から吼えた。
(これで、終わり――!)
 訪れる勝利を確信し、全てを懸けて飛び翔ける。
「渚砂、逃げなさい!」
 静馬の声。それを聴いた瞬間、背中を貫く衝撃が渚砂の意識を奪った。
「渚砂ぁ!」
 背のタキオンプレートからタキオンエネルギーを最高出力で放出し、一直線に空を翔る静馬が渚砂を抱き止める。その視線は渚砂へ、そしてすぐに、千妃絽へと向けられた。
「あなた……」
 呻く静馬と、下方の擬態静馬の睨みを受け、千妃絽が大剣を構える。
「ハイパー――キャノン」
 渚砂の背を打ち、新たな主の手に収まったパーフェクトアスター・ガンモードから溢れる光弾が、渚砂を抱える静馬を撃ち抜いた。
「きゃあっ!」
 諸共落ちて行く静馬と渚砂を見下ろし、千妃絽が呟く。
「パーフェクトアスターに時間転移機能はない……静馬(あなた)の使っていた最強の剣は、今(わたくし)の手の中に在る」
 嗤う仮面シスターの許に、三つの虫型アスターが現れた。ザビーアスター、ドレイクアスター、サソードアスターを装着し、パーフェクトアスターが真の姿へと生まれ変わる。
「最早(わたくし)に敵う者など、存在しない」
《THE BEE POWER! HYPER LASER!》
 パーフェクトアスターの先端に合体したザビーアスターから一条の光線が放たれ、静馬の脇腹を貫いた。
「あぁっ!」
 ジュゥ、と言う焼ける音に悲鳴を上げ、併しタキオンプレートからエネルギーを噴射させ、静馬が空中に静止する。だがその表情は痛みに曇り、手は傷口に添えられた。
「カブト!」
「ほら、あなたも」
《SASWORD POWER! HYPER WAVE!》
 振り向いた千妃絽が向ける剛銃が鳴き、視界を揺らめかせる衝撃波が擬態静馬の全身を殴り付ける。
「ああああっ!」
 ダークカブトの鎧を削る放射状の破壊エネルギーに押され、擬態静馬が落ちて行く。
 更に千妃絽は、御聖堂の放送室に墜落した渚砂へとパーフェクトアスターを向けた。
「ハイパーシューティング」
《DRAKE POWER! HYPER SHOOTING!》
 曲線を描く五条の誘導ビームが炸裂し、千妃絽の視点からは余りにも小さい少女の身体を光と粉塵の中に隠す。その弾道を追うように急降下する千妃絽の手が、最終剣を変形させた。
《SWORD MODE! HYPER AX!》
 ドレイクアスターのアスターウイングを中心に無形の刃が形成され、口の端を吊り上げる千妃絽の脇に構えられる。
「! させない!」
 千妃絽は渚砂に止めを刺す気だ。先刻、ハイパーカッティングで己を倒そうとした渚砂を。
 静馬と擬態静馬は千妃絽目掛けて急降下しながら、ハイパーアスターとそれぞれカブトアスターのアスターホーンを倒した。
《《MAXIMAM SISTER POWER》》
《《ONE! TWO! THREE!》
「「ハイパーキック!」」
《《SISTER KICK!》》
 二度目のダブルキック――今度はハイパーアスターの力も加えたハイパーキックだ。これで倒せない相手はいない。
「はぁあああ!」
「てゃあああ!」
 七年前、この地に落ちた隕石のように、二人のカブトが並んで落ちて行く。その様を、御聖堂に降り立った千妃絽が見上げ、
「ハイパーシューティング」
《GUN MODE! HYPER SHOOTING!》
 五本の光の鞭が、二人の静馬を貫いた。
「あああっ!」
「くぅう!」
 弾ける爆発に、シスターストンパーに蓄積されたタキオンエネルギーが霧散し、火の粉のように大気へ消える。一度失速した静馬の身体は、埃塗れの渚砂の傍らに落ち、人形のようにごろりと転がった。
「全く――ん?」
 千妃絽が訝しげに眉を顰め、空を見上げる。気絶したダークカブトは、その鎧からエネルギーを噴射しつつ、ゆっくりと降りて来ていた。そして、
《HYPER CLOCK OVER!》
 地に足を付けた瞬間、擬態静馬のハイパーアスターが告げ、倒れ掛けたままその動きが止まる。ハイパークロックアップから通常時間へと戻ってしまったのだ。
「あら、この子はここで脱落と言う事ね」
「く……っ!」
 気絶から覚めた渚砂の目の前で、千妃絽の手が擬態静馬の腰からハイパーアスターを奪い、握り潰した。
「これでもう、この子は戦う事すら出来ない。同じカトリックとして、止めを刺すのは最後にして上げるわ」
 ハイパーアスターの残骸を放り、千妃絽がこちらを向く。
 立たなくてはいけない。痛む骨も、軋む肉も、乱れる呼吸も抑えて、渚砂は全力で立ち上がった。
「く――ぅぅ!」
「ぁあああ!」
 横でまた、静馬も立ち上がる。だが、脇腹の傷のダメージは深いのか、渚砂に寄り掛かってしまった。
「お姉様……」
「渚砂……」
 自然と見つめ合う形になり、痛みを一瞬だけ忘れる。
 二人とも満身創痍、シスターキックどころか、パンチ一つ放つ事すら出来るかも判らない。
 だがそれでも――静馬の瞳から、戦う意志は失われていなかった。
「仲の良い事」
 声に、ゆっくりと振り返る。パーフェクトアスターを構えた千妃絽が、偽善的な笑みを浮かべていた。
「二人仲良く、あの世に往きなさい」
《KABUTO POWER! THE BEE POWOR!》
 コーカサスアスターが、ザビーアスターが。
《DRAKE POWER! SASWORD POWER!》
 ドレイクアスターが、サソードアスターが。
《ALL ASTERS COMBINE!》
 そしてパーフェクトアスターが、黄金の輝きを纏い始める。
「マキシマムハイパータイフーン……!」
 光の剣が腰溜めに構えられた、その時。

《《《HYPER CLOCK OVER!》》》

 擬態静馬が倒れ、攻撃によって巻き上げられた瓦礫が落ちる。
 その様子に呆れたような顔をしながら、千妃絽はパーフェクトアスターの構えを解かない。
「時間切れ――けど、運命は変わらない!」
 木魂する千妃絽の哄笑に、身を硬くする。早く、ハイパークロックアップしなければ――
「覚悟!――!?」
 何が起こったのか、静馬も、渚砂も、驚愕する千妃絽さえも、きっと理解出来なかったに違いない。
 パーフェクトアスターが、マキシマムハイパータイフーンが放たれようとしたその時。
 仮面シスターダークカブトが、金色の敵を羽交い絞めにしていた。

*

 それは一瞬の事だった。

 時空の彼方――あの日、光莉と共に辿り着いた理想郷は、一体、何時(いつ)何処(どこ)だったのか。
 生きて行けるかさえも判らないまま、あの時の自分は、そこが二人だけの楽園と信じていた。
 カトリックである自分達は、最低限の食料さえあれば生きて行ける。必要なら、ハイパーアスターが開く時空の扉で元の世界に戻れば事足りる。
 たった二人の、永久の楽園。
 まるで、アダムとイブではないか。
 無邪気で愚かだった自分は、本気でそう思っていた。

 ある時――静馬が一度訪れた後、光莉に訊ねた事がある。
「したい事?」
「ええ、光莉のしたい事って何?」
「それを聞いて、どうするんですか?」
 何時(いつ)ものように妖精の絵を描く光莉に寄り添い、良い香りのする髪に顔を埋めながら答えた。
「叶えて上げるの。だって、私は光莉のお姉ちゃんなんだから」
 光莉がいさえすれば、他には何も要らない。だから、光莉の欲しいもの、叶えたい願いは、何でも実現して上げたい。
 そんな自分に、光莉は微笑みを返した。
「そうですね……料理を作りたいです」
「料理?」
「私が考えた、私だけのオリジナルの料理――強いて言うなら、それが私のしたい事です」
「へぇ、光莉の料理……私も食べてみたいわ」
「良いですよ、静馬お姉様にも、きっと作ってあげます」
「ありがとう!」
「きゃっ!」
 光莉にぎゅっと抱き付き、その胸に頬擦りする。
 温かい、この世で初めて感じた温もり。
 それさえあれば、何だって出来る。何処(どこ)でだって幸せになれる。
 そう、ただ無邪気に思っていて、自分の事しか考えていなくて。
 光莉がどんな気持ちで、その願いを口にしたのか、考えた事もなかった。

 光莉を笑顔にして上げたい。
 光莉の居場所を守りたい。
 光莉の願いを叶えたい。
 光莉の夢を守りたい。
 騎士気取りに、姉気取りに、そんな事を思っていた。
 けれど、光莉の夢は、時空の彼方にはなかった。
 光莉の夢はここに、この世界にこそある。
 もう一人の自分が、自分も生きて行っても良いと言ったこの世界に。
 嬉しかった。光莉がいなくなって、またあの暗闇に戻ったような気持ちだった自分にとって、それは救いの言葉だった。
 千妃絽達に捕まってから、まどろみの中で願い続けていた。
 この世界を守りたい。光莉と自分が生きて行く、この世界を――例え、自分の命を犠牲にしても。

 瓦礫の上に倒れ込んだ瞬間、彼女は消え掛けていた意識を取り戻した。
 何が起こったのか、良く判らない。千妃絽のハイパーアックスを受けてからの記憶が飛んでいる。
 渾身の力を振り絞り、首を起こす。
 総てが止まっている(、、、、、、、、、)
「どう……して……」
 呟く彼女の前――ダークカブトの仮面の裏に、文字情報が羅列される。
 自分はクロックアップしていた(、、、、、、、、、、、、、、)。しかも静馬、渚砂、千妃絽のハイパークロックアップは解除され、今この場で自分以上に動ける者はいない。
 そして千妃絽は、パーフェクトアスターを振り抜かんと構えた状態で止まっていた。
「……止め……ない、と……」
 自分のクロックアップが解けるまで、そう時間がある訳でもない。一分でも、一秒でも、刹那でも早く、動かなければ……
「くっ……うっ……」
 痛みが断続的に止まる事を強制し、自然と動きが緩慢になる。普段の自分が見たら、本当にクロックアップしているのかとさえ思うだろう。
 だが、これは総て現実。痛みも、苦しみも、この状況を自分だけが覆せると言う事も……!
「あっ……は、ぁ……」
 一分以上も掛かり、彼女は漸く立ち上がる事が出来た。震える腕で、千妃絽の握るパーフェクトアスターを抜き取り、横に放る。そして千妃絽の後ろに回り、その背に抱き着く。
 硬い、光莉とは比べ物にならない、抱き心地の悪さが嫌になる。
 こんな拷問は早く終わって欲しい――そう願い、彼女は自分を抱く腕に、総ての力を込めた。

《CLOCK OVER!》

「あなた……何時(いつ)の間に!」
 自分と同じ顔で叫ぶ仮面シスターに、その言葉はないだろうと、内心で笑う。
 仮面シスターの戦いは、何時の間にか始まり、何時の間にか終わる――高速のビジョンに着いて来られる者だけが、次なる段階へと進化出来るのだ。
「今よ!」
 黒い鎧を纏う自分が叫ぶ。解っている。このチャンスを逃がして、何が花の園を往く者だ。
「パーフェクトアスター!」
 千妃絽の手を離れ、光の消えた最終剣が、空を切って静馬の手に収まる。それを床に突き刺し、静馬は渚砂から身体を離した。
「渚砂、行くわよ」
「え――」
 渚砂の返事を待たず、パーフェクトアスターのスイッチを押す。
《KABUTO POWER! THE BEE POWER!》
「待って下さい、もう一人の静馬様を、巻き添えにするつもりですか!?」
《DRAKE POWER! SASWORD POWER!》
「静馬お姉様!」
(わたくし)を信じなさい」
「え――」
《ALL ASTERS COMBINE!》
 唸る剣を掲げ、更にハイパーアスターに手を掛ける動きに迷いはない。
 いや、彼女に迷いなどある筈がない。
 自分が正義と謳い、何時(いつ)だって世界の中心にいると考える彼女は、迷う事などしない。
 そんな彼女を、今度こそ信じると、自分は決めたのだ!
「――はい!」
 頷く渚砂の手がガタックハイパーカリバーを拾い、構える。すると、周囲に出現した四つのルルドホールから四つのアスターが現れ、ハイパーカリバーに合体した。
「ホッパーアスター、それに……」
「何故、ヘラクスとケタロスのアスターが……!」
 呻く千妃絽に、静馬は微笑を浮かべた。
「この子達が、第四世代とやらの残りと言う事ね」
《KICK HOPPER POWER! PUNCH HOPPER POWER! HERCUS POWER! KETAROS POWER! ALL ASTERS COMBINE!》
 ハイパーカリバーの総てのスイッチが押され、蒼い双剣が純白の光に包まれる。
《《MAXIMAM SISTER POWER》》
 アスターホーンを倒されたハイパーアスターから、タキオン粒子がハイパーカリバーに充填され、巨大な三日月状の刃が形成された。それは、静馬が掲げるパーフェクトアスターも同様だ。
「放せ! 放せぇ!!」
 拘束を解こうと暴れる千妃絽を確り抱き締め、擬態静馬が微笑む。
「静馬、渚砂――この世界を頼むわよ。光莉が生きる、私達の世界を」
「ええ――勿論よ」
 最終剣を纏う赤光が溢れ、最終双剣を包む白光が弾ける。
「――マキシマムハイパータイフーン(MAXIMAM HYPER TYPHOON)!」
マキシマムハイパーハリケーン(MAXIMAM HYPER HURRICANE)!」
 宣言と共に放たれた斬撃は、一条の光芒となって二人の仮面シスターを包み込み――
 その背にあった、総ての始まりたる隕石をも、完全に世界から消滅させた。

*

 夕焼けにも似た橙の炎、白夜にも似た無色の光、夜にも似た藍色の煙が混じり合い、アストラエアXを破壊の渦に巻き込んで行く。
 善悪なく、この世を洗い流す滅亡の津波は竜巻となり、瓦礫と廃墟を煉獄へと変えた。
「あれは……」
 天を突く太陽の尖塔を、そこから一キロメートルも離れていない場所で見ている少女達がいた。
 その形から、赤い果実の名で呼び慕われる寄宿舎の窓から、非現実的な光景に目を奪われている。
「何、あれ……」
 不安そうに呟く髪を二つに括った小柄な少女を、蝶を象る髪飾りを付けた黒髪の少女が抱き締めた。
「大丈夫、安心して。――ね、光莉ちゃん」
 黒髪の少女は、窓の前に立つ、白い制服の少女に呼び掛ける。
 少女は瞳に炎の赤を映し、その圧倒的な熱を感じながら、こくりと頷いた。
「はい――大丈夫です」
 胸の前で手を握り、瞼を閉じる。
 大丈夫――私が、傍にいる。
 その想いを聞き届けたかのように。
 光の天使が、炎を貫き、羽撃いた。

*

「――っわああああああっ!?」
 火炎と衝撃の津波に流され、踏ん張る事さえ出来ず転げ回り――
 空中に放り出された渚砂は、放物線を描いて落ちて行く状況に、叫ぶ事しか出来なかった。
「あああああああ――あうっ!」
 爆発と言う陸上選手に投げられ、混乱する少女の身体が、突然空中に出現した“足場”にぶつかる。最初斜めだった足場は、衝撃を殺すように渚砂を受け止めた後、水平になってその場に静止した――らしかった。
「いてて――あれ? ナギサエクステンダー……?」
 痛む頭を擦り、顔を上げた渚砂は、自分が黄色い機体――キャストオフした、ナギサエクステンダー・エクスモードだと言う事に気付く。
「そっか……助けてくれたんだ。ありがと」
《Sure.》
 バイク自身ではなく、腰のガタックアスターが答える。
「あ、そうだ! 静馬お姉様!」
「はっ!」
「うわぁっ!?」
 立ち上がり掛けた渚砂のすぐ横に、満身創痍の静馬が着地した。揺れるナギサエクステンダーの上で、尻餅をつく渚砂に対し、静馬は器用にバランスを取る。
「いたた――静馬お姉様、無事だったんですね」
「ええ」
 ナギサエクステンダーの上に立つ静馬の顔が、数十メートル先で轟々と燃え上がるアストラエアXに向く。その様子に、炎の中に消えた擬態静馬の事を、渚砂は思い出した。
「静馬お姉様……これで、良かったんでしょうか。もう一人の静馬様を犠牲にして……」
「何を言っているの?」
「え?」
 顔を上げる渚砂を、静馬が呆れた顔で見下ろしている。
「あなた、まだ(わたくし)の事を解っていないみたいね。(わたくし)の器が大き過ぎると言うのも問題かしら」
「どう言う意味です?」
「あの子が言っていたわ」
 静馬の右手が天を指した。例の、何時(いつ)ものポーズだ。
(わたくし)が望みさえすれば、運命は絶えず(わたくし)に味方する」
 そして静馬は、左手を腰に――ハイパーアスターに近付けた。
「もしかして――」
「ハイパークロックアップ!」

《HYPER CLOCK UP!》

「――マキシマムハイパータイフーン(MAXIMAM HYPER TYPHOON)!」
マキシマムハイパーハリケーン(MAXIMAM HYPER HURRICANE)!」
 自らに向かって放たれる必殺の輝きを見つめ、彼女は、自分が微笑みを浮かべている事に内心驚いていた。
 自分が死ぬと言うのに笑っていられるなんて、少し前の自分では信じられない事だ。
 大切な人の為に、命を懸けられる。その事が、今までの何よりも嬉しい。
「……私が……人間なんかに……」
 轟音の中、耳元で千妃絽が囁くのが聞こえる。
 思えば、昨日まで自分を突き動かしていた彼女への憎しみが、今は全く感じられなかった。
 寧ろ、感謝しているとも言える――千妃絽が自分をカトリックにしなければ、光莉には会えなかったのだから。
 それに、千妃絽を見て、以前の自分を、静馬やこの世界を憎んでいた頃の自分を思い出す。
 光莉や静馬がいなければ、自分も千妃絽と同じ道を辿っていたかも知れない。
 そう思った瞬間、千妃絽に哀れみさえ感じた。
 千妃絽にも、自分にとっての光莉や静馬のような存在がいれば、このような凶行には走らなかったかも知れない――

 近付き、溢れ、弾ける輝きの中、そんな事を思う。
 滅び行く時には似つかわしくない、まるで夜明けの太陽のように、眩しく、堂々と総てを照らす。
 望むのなら、目覚めの時には、守りたいたった一人の妹が、傍に――
「起きなさい」
 有無を言わせぬ口調に、思わず彼女は目を開き――眼前の美女が、小さく嘆息した。
「やっとお目覚め?」
 言葉が出て来ない。死ぬと幻想を見るのだろうか。それにしても、もう一人の自分とは、夢どころか悪夢ではないか。
「起きているなら返事をなさい。はいかYESでよ」
「……どちらも肯定じゃない」
 嫌でも気付かされ、口をへの字に曲げる。自覚した途端、背から吹き付ける熱気を感じ、汗が出て来た。
「どうして、助けたの」
「言ったでしょう。(わたくし)は世界の中心。なら、光莉もこの世界も救ってみせる」
 嘗て聞いた言葉を口にした静馬は、そこでふっと笑みを浮かべる。
「当然、あなたもね」
「……全く――」
 震える右手で顔を隠し、彼女は苦笑いを浮かべた。
 最初から気に食わなかった。同じ顔をして、同じ姿の仮面シスターになって、光莉の姉として不十分で、言う事がいちいち大仰で、光莉も攫って行ってしまって、かと思ったら自分を助けて――
「敵わないわ――」
 最初から、解っていたのかも知れないけど――
 その一言だけは隠して、彼女はゆっくりと目を閉じた。

*

 目を閉じ、寝息を立てる自分を見下ろしていた静馬は、つと顔を上げ、飛行を開始した。程無くしてシズマエクステンダー・エクスモードが揺らめく空を滑り来て、主と併走する。
「ご苦労様」
《The pleasure is mine.》
 シズマエクステンダーに跨る静馬に、カブトアスターが答える。すると、バックシートからも、似たような電子音声が返って来た。
《Thank you very much,another master.》
「どういたしまして」
 振り返らず、ダークカブトアスターに返答する。主想いとの見当は間違っていなかったようだ。
 頷き、シズマエクステンダーのハンドルを握る。と、右下方から一台のバイクが飛んで来た。
「静馬お姉様ー!」
 手を振りながら併飛行(、、、)し始める渚砂が、わざとらしく両腕を組む。
「最初から、このつもりだったんですね」
「当然よ。(わたくし)を誰だと思ってるの」
「地球上のあらゆる生物を守るのが仕事の人、でしょ?」
 答えず、無言のままハンドルを握り続ける。
 やがて二台のエクステンダーは、一つの建物の前に着陸した。
 どちらともなくバイクを降り、振り返る。未だ炎上しながら、戦いの終わりを示すかのように、業火の丘は段々と小さくなってゆく。
 静馬はカブトアスターをシスターベルトから外し、宙へ放った。渚砂もガタックアスターをベルトから外し、掌に乗せる。
 二人の主から放たれた二つのアスターは互いに頷くようにアスターホーンを揺らし、空へと飛び立って行った。その後を、ダークカブトアスターやザビーアスター、サソードアスターを乗せたドレイクアスターや、二つのホッパーアスター、パーフェクトアスターが付いてゆく。
 蒼空に消えた九つのアスターを見届け、マスクドモードに変形したナギサエクステンダーに凭れる渚砂が、小さく呟いた。
「……やりましたね」
 その一言が、二人の今を表していた。
 自分達は成し遂げた。一つの戦いを、確かに終わらせたのだ。
「――一度しか、言わないわよ」
 そっと、シズマエクステンダーに腰を預ける。
「同じ道を往くのは、只の仲間に過ぎないわ。別々の道を共に立って往けるのは――」
「友達よ」
 傷だらけの渚砂の顔が、してやったりとばかりに笑みに染まる。
「それは、花織(かおり)さんの言葉ですか」
「――いいえ」
 静馬は右へ――二台のエクステンダーが向く、翼多の街が広がる方角へ顔を向けた。
(わたくし)の言葉よ」
 渚砂が「ふふっ」と零し、自分の唇も自然と緩む。
 道は続き、その上の空は何処(どこ)までも広がっている。
 この世界に限りなく在る道の中から、どれを選ぶのか。
 静馬は静馬の道を往く。渚砂は渚砂の道を往く。
 誰もが自分の道を往き、時に挫折し、それでも立ち上がって歩いてゆく。
「渚砂さん!」
「静馬お姉様!」
「渚砂さん」
「渚砂ちゃんっ」
 連なる石畳の向こうから、駆けて来る少女達もまた、それぞれの道を往く。
 それこそ、この世界に生きる者の役目だと信じて、
「さあ、往きましょうか」
「はいっ」
 二人の仮面シスターは、自らが守った世界を歩き出した。

 

 

*

 

 

 一年後――

 

 爽やかな風が吹き抜ける森に刻まれた石畳の道を、一台の自転車が走っていた。洋風の雰囲気が漂い、黒と白、そして赤の制服を纏った少女達が闊歩するその道を往くには、その簡素なアルミ自転車は余りにも似つかわしくない。
 併し自転車を駆る少女も、自転車と擦れ違う女生徒達も、それを当然のように受け入れていた。
「ごきげんよう、水穂お姉様」
「お姉様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 道往く女生徒達に声を掛けられ、自転車の少女――狩野水穂は柔らかな笑みを返す。例え額に捩じり鉢巻を巻いていても、纏う服が作務衣であっても、彼女がここアストラエアの愛すべき卒業生であると言う事実は変わらない。
 右手で自転車を繰り、左手に岡持ちを提げながら、水穂は一つの建物の前へ辿り着いた。開かれた門扉を軽やかに抜け、入り口の脇に自転車を停める。迷いのないその歩調を咎める者はおらず、水穂は建物に立ち入り、一つの扉の前で立ち止まった。
「お邪魔します」
「いらっしゃいませ♥」
「いらっしゃいませぇ♥」
 扉を開け入った水穂を、二つの明るい声が出迎える。声の主――アレンジされたメイド服を纏った日向絆奈と夏目檸檬に、水穂は目を細めて手を振った。
「また来てしまいました」
「相席で宜しいですか?」
「こちらへどうぞぉ♥」
 息の合った調子の二人に案内され、厨房に程近い席に座る。
「失礼します」
「結構、似合ってるわね」
「――瞳?」
 テーブルの向かいで微笑を浮かべる東儀瞳に、水穂は軽く目を丸くした。
「ご実家の家業を継ぐ、と言うのは本気だったようね」
「ええ……」
 約十ヶ月に再会した親友の言葉に、驚きを表さないように答える。
 一年前のアスト解散後、水穂は老舗の蕎麦屋である実家の後を継ぐ事を決めた。カトリックである事で自らをアストに縛っていたが、それは昔の事。今は“自分”との約束の為、新人として店を手伝う事から始めたのだ。
「ところで、瞳はどうしてここに? それにその格好は――」
 格好の事で人の事は言えないと思いつつ、瞳の服装を見る。聖ミアトル女学園を卒業後、付属の大学に進学した筈の瞳がここにいる理由も、彼女がぱりっとしたビジネススーツを着ている理由も、水穂には解らなかった。
「えへへ、それはですねぇ」
 向かい合う二人の間に、ぴょこん、と檸檬が顔を出す。現在、聖ル・リム女学校の三年生となった檸檬は、絆奈と共に、ここビストロ・ラ・スールの店員――いちご舎料理研究会――の一人として、日々料理と勉強に精を出している。
「何と、瞳お姉様が会社を設立されたんです!」
「会社?」
「ええ。これが名刺よ」
 すっと差し出されたカードを受け取り、見ると、『東儀グループ ヤングビザムコーポレーション 代表取締役 東儀瞳』とある。隅には、蠍座のマークをあしらったロゴマークまであった。
「ヤングビザムコーポレーション? どんな仕事なの?」
「レストランの経営よ。コンセプトは、蕾ちゃんが大好きだった、詩遠さんの味」
「そう言う事です」
 突然の声に振り向く水穂の後ろに、白いスピカの制服を纏った冬森詩遠と、水色のメイド服を手にした源千華留が立っている。
「水穂お姉様、お久し振りです。この度、瞳お姉様と協力し、奥若家の伝統を伝える為の事業を始めさせて頂く事になりました」
「お久し振り。――そう、蕾ちゃんの」
 ハグを倒すと言う願いを叶え、若くしてこの世を去った少女の事を、同じ人間を愛する人外として、水穂はずっと気に掛けていた。彼女に愛された二人の少女が力を合わせていくと聞いたら、彼女はどれだけ喜ぶだろう。
「ところで――千華留さんは、どうしてその服を?」
「良くぞ聞いてくれました」
 ぴっと人差し指を立て――彼女を連想させる――、千華留が得意げな笑みを浮かべる。
「詩遠ちゃんがね、一年間学業と生徒会活動に従事していたせいで鈍った料理の腕を鍛え直したいって。でも、ここの制服はメイド服よって言ったら怒っちゃって」
「当たり前よ! どこの世界に料理修行でメイド服を着る必要があるの!」
「あら、詩遠ちゃんは蕾ちゃんのメイドさんなんだから、メイド服なんて慣れてるでしょう?」
「私は執事よ! メイド服なんか着た事ないわ。第一それ、コスプレ用のメイド服でしょう!?」
 肩を怒らせる詩遠と、それを笑顔で受け流す千華留。この二人が幼馴染だと言う事は、戦いが終わった後に知った事だ。
「まあ、そう言う訳で。しばらくしたら一号店を翼多に出す予定だから、良かったら来て」
「ええ、お邪魔させて貰うわ」
「私も!」
「私もー!」
 元気良く手を挙げる絆奈と檸檬。と、水穂が入って来た扉が開き、爽快さを感じる香りが、その場全員の鼻をくすぐった。
「相変わらず元気な所ですね」
「玉青さん」
「久し振りね」
 チャコールグレーの制服を着た仮面シスタードレイクが、小さく投げキッスをし、店内に入って来る。続いて、おかっぱ頭の月館千代が、扉の影から顔を出した。
「ごきげんよう、皆さん」
「わぁ、千代ちゃんだぁ」
「いらっしゃぁい♥」
 絆奈と檸檬に手招きされ、千代が玉青の後を付いて行く。その玉青は、水穂の隣の椅子に座り、蠱惑的な眼差しを瞳に向ける。
「相変わらずお美しいですね、瞳お姉様。例えて言うなら、そう、その……えっと……」
「千代のように」
「そうそう、それそれ――って、どうして千代ちゃんの名前になるんです?」
 玉青のノリツッコミに失笑が起こる中、千代はつん、と首を反らした。
「玉青お姉様のパートナーは千代しかいないんですから、玉青お姉様は何時(いつ)も千代を第一に考えてくれなくちゃダメなんです」
「全く……私は水のように自由に流れたいのに」
「千代ちゃん、言うようになったわね」
 嘆息する玉青と、少し顔を赤くしている千代を見比べる。一年経っても、この二人のペアは健在のようだ。
「後は――光莉さんは?」
「そろそろ来ると思いますよ。“ひかりかランチ”、注文されますか?」
 千華留の問いに、こくりと頷く。
 卒業を一ヵ月後に控えた千華留が、一年前から後継者にと選んでいたあの少女は、水穂達カトリックの希望だ。
 例え人でなくても、この世界で生きていける――“彼女”と共に、それを証明してくれた、儚くも強い、一筋の光。
「絆奈、ちょっと見てくるね!」
 お盆をテーブルに置き、絆奈が扉の外へ駆けて行く。
 人間とハグ、そしてカトリックの戦いが終わった今も、この世界は平和とは言えない。
 千妃絽の言うとおり、争いはまだ続いているし、そのせいで不幸になっている人々は大勢いる。
 けれど、少女達は示してくれている。
 人とカトリックのように、何時(いつ)か総ての人々が、平和な世界で共に生きられると言う可能性を。
「あ――そう言えば、渚砂さんは?」
「渚砂ちゃん? そうねぇ」
 わざとらしく頬に手を当て、千華留が窓の外――聖ミアトル女学園の在る方角を見る。
「きっと、お仕事が忙しいんじゃないかしら」

*

「千早ちゃん、書道部の入賞作品の展示場所は決まってる?」
「まだよぉ。部室前かA棟の一階共有スペースか、部員の間で揉めてるって」
「えぇ、またぁ? てゆうか、去年の暮れから揉めてるじゃない」
「渚砂さん、うちとスピカの聖歌隊が、また場所取りで争ってるって報告が」
「今日はえぇと――土曜だからどっちだっけ?」
「スピカよ」
「だったらそう言って上げてよ、水島さん。一年前に決めた事じゃない」
「それが、講堂の空調設備が壊れて、うちのメンバーが文句を言っているんですって」
「そんなの我慢してよー。あぁと、あそこは? ル・リムの講堂。貸して貰えるか確認して」
「了解しました、渚砂さん」
「あ、後、修理業者への連絡もねー」
「渚砂ちゃん、日本舞踊部の部室が荒らされたわ!」
「えっ、泥棒!? 犯人は!?」
「それが、見学に来ていた幼稚舎の子達で――今も全員捕まってないそうなの」
「な、何それ……」
「渚砂さん、食堂で摘み食い事件発生よ!」
「美術部が、カンバスの補充がしたいから来年度分の予算をくれって――」
「渚砂ちゃん!」
「渚砂さん!」
「うわぁあああん! てゆーかぁ!」
 ばぁん、と机を叩き、蒼井渚砂は椅子を蹴って立ち上がった。
「任期満了前なのに、どうして誰も生徒会長って呼んでくれないのぉ!」
 殴打の衝撃で、積み重なった書類が雪崩となって崩れ落ちる。後から後から床へ積み重なって行く紙の山を、銀髪の女生徒が拾い始めた。
「だって、ねぇ」
「生徒会長って感じじゃないし」
「寧ろ、まだ中等部かも?」
 広い生徒会室に集まった六人ほどのミアトル生達が、うんうん、と頷き合う。その様子に渋面を作り、渚砂はへなへなと背後の壁にぶつかって定位置に戻った椅子に座った。
「だって、就任してから生徒に呼ばれたの、たったの十回だよ? 後は先生や他の学校の生徒会長さんとかで、(みんな)名前で呼ぶんだもん……お姉様とも呼んでくれないし」
「それだけ、渚砂が親しみ易いと言う事じゃないの?」
 手早く書類を拾い終えて言う女生徒を、机に突っ伏した姿勢で見上げる。
「この人に至っては、下級生の癖に呼び捨てだし」
「年齢的には私の方が上よ」
 そう告げる此花(、、)静馬に、渚砂は深く溜息を吐いた。
 一年前のアストラエア廃墟崩壊。その中で失踪した前生徒会長――アスト新総帥である六条深雪の後継者として名乗りを上げたのは、渚砂只一人だった。人望もあった前会長が、名実共に人類の敵であったと言う衝撃の事実は、生徒達に深い傷を負わせ、自ら率先して動こうと言う者はいなかったのだ。
 渚砂が会長に立候補したのは、あの戦いを知る者としての責任に加え、将来、人間とカトリックの共存を実現する夢の一歩として、人の上に立つ事を経験して置きたかったからだ。
 廃墟崩壊以前のハグ狩りの中、渚砂がガタックとして戦う光景を目にした生徒も少なからずおり、人間を守った仮面シスターの一人として、渚砂の立候補は大勢の支持を集めた。勿論、その影には卒業間近だった水穂や瞳、そして玉青や多くの友人達の支援もあった。
 そして年度が替わった四月、隣に立つ少女が四年生に編入して来た――まるで、一年前の渚砂のように。
「ふーん、ミアトルにいる時間は、私の方が長いもん。静馬ちゃん(、、、)に劣るところなんてないもん」
「言っておくけれど、静馬(わたし)は一応、五年生に進級するまではミアトル(ここ)にいたわよ」
 擬態静馬の返答に、渚砂はわざとらしい咳払いをした。勿論、首を傾げる他の生徒達を誤魔化す為だ。
 あの戦いが終わった後、擬態静馬は、“彼女”と偶々名前と姿がそっくりの別人――此花静馬として生きる事になった。渚砂の母の力添えもあり、架空の戸籍とミアトル四年生の学籍、そしてミアトル生徒会の書記の役職を与えられ、今日に至る。
 因みに、学校での擬態静馬は、髪をうなじで括り、伊達眼鏡を掛けている。一年前の戦いの中、“彼女”がしたのと同じ変装なのは偶然だと言うが、真偽の程は判らない。
「もう――ごめん、ちょっと休憩にしよ。静馬ちゃん、(みんな)と一緒に食堂に行ってて。多分、食堂荒らしも幼稚舎の子だと思うし」
「解ったわ」
 存外素直に頷き、擬態静馬が生徒会室を出て行った。副会長や会計、他の女生徒達もぞろぞろと扉の向こうに消えて行く。
「はぁ――もう、充実しまくりだよ」
 椅子に凭れ、天井を見上げる。
 一年前、使命感と勢いに任せ、会長職についたのはいいが、ガタックとして戦った一年間に勝るとも劣らない忙しさだった。
 ふと、右手の掲示板へと顔を傾ける。告知用のプリントやポスターに並んで、一枚の写真が貼られていた。戦いの暫く後に、スピカに送られて来た、北欧の珍しい光景(、、、、、、、、)を撮影した物だ。
 六条深雪は死んだ――と言う、たった一行の手紙が、写真には同封されていた。
 それが一体、誰からの手紙なのか、未だに解らない。消印は写真を撮影したと思しき外国のものだった。だが、深雪を知り、またその死を伝える者など、一体誰がいるのか。
 ――本当は、推測出来ているのだが。“彼女達”に起こった事を、渚砂は“彼女”に教えられていた。
「でも――全部、終わった事なんだよね」
 生徒会長専用の革張りのターンチェアを回し、窓の外へ顔を向ける。
 唯一の心残りだった深雪がいなくなり、カトリックによる人類カトリック化計画は終焉を迎えた。アストは解散し、人間とカトリックは改めて協定を結んだ――互いの存在を認め合える時が来るまで、決して争う事無く、共にこの世界を歩んで行こう、と。
 道は険しいだろう。光莉や擬態静馬、水穂がカトリックである事を知る者は少なく、人々の間には未だハグが生き残っていると疑う者もいる。功を奏したのは、千妃絽がアモスをカトリック化に利用した事だ。それが人々にアモスの廃棄を促し、総てのアモスは回収・破棄された。誰かがアモスを解析し、カトリックの存在を暴く事はないだろう。
 それでも、やるべき事は残っている。あの時誓った、人間とカトリックの共存を、渚砂は諦めていない。
 いや、諦めなど、考える筈もない。
 渚砂の傍には、この世界で人間と共に生きて行こうと言うカトリックと、カトリックと共に生きて行こうと言う人間が、大勢いるのだから。
「――それじゃ、そろそろ行こうかな」
「ねぇ、渚砂お姉様」
 くい、と袖を引っ張られ、立ち上がり掛けた腰を下ろす。呼びかけの声には、聞き覚えがあった。
「なぁに、籠女(かごめ)ちゃん」
 渚砂を慕って良く生徒会室に遊びに来る小さなル・リム生に、椅子を少しだけ回し、微笑を向ける。クマのぬいぐるみを抱えた金髪の少女は、愛らしいまなこを渚砂に向け、小さく唇を動かした。
「花の園を往く人は、どこにいったの?」
「うん、そうね――」
 椅子から立ち上がり、小柄な少女の頭を撫で、うんと頷く。
「あの人はね、お豆腐を買いに行ってるの」
「おとぅふを?」
「そう――とっても美味しいお豆腐をね」

*

 所用を追え、いちご舎に戻る途中の此花光莉は、つと振り返って空を見上げた。
 小高い丘の上にあり、街と空に挟まれたアストラエアから見る光景には、何時(いつ)もあの塔が聳えている。
 二年前、彼女が咲かせてくれた一輪の花。それは今も、心の中に咲き続けている。
 今は、彼女は傍にいないけれど――
「傍にいない時は、もっと傍にいてくれる」
 何時の間にか、横に絆奈が立っていた。ビストロ・ラ・スールで働いている途中なのか、千華留お手製のメイド服を着て。
「だよね、光莉お姉ちゃん」
「――ええ」
 頷く光莉の手を握り、絆奈が走り出す。
「早く早く!“ひかりかランチ”、注文入ったよ!」
「わ、わかったから、そんなに引っ張らないでっ」
 スキップを踏むように駆ける絆奈と一緒に、アストラエアの丘を走る。
“ひかりか”――“光り輝く”と千華留が名付けてくれた、光莉オリジナルの料理。
“彼女”が認めてくれた、初めてのオリジナル料理。
 それは、光莉がこの世界に生きている、確かな証だった。
 彼女は今、何処(どこ)にいるのだろう。心配からではなく、ちょっとした希望のつもりで考える。
 だが、例え何処(どこ)にいたとしても、あの傲岸不遜な態度は、決して変わりはしないだろう。
「光莉お姉ちゃん、早くっ」
 光莉の手を放し、待ち切れないとばかりに、絆奈がぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「もう――解ってますよ」
 肩を竦め、はしたないとは思いつつも、石畳の上を走り始める。
“彼女”の守ったものはここにある。この世界総てが、“彼女”の守ったものだ。
 だから――

 大丈夫、私が傍にいる。
 私が、傍に――

*

 そっと、自分の腰を撫でる感触に、ヌフ・ミロワールは大声を上げた。
「泥棒ぉ!」
 午前中のエトワール広場は、観光客とそれを相手する地元民とで賑わう、パリの観光名所の一つだ。
 当然、警戒心の薄れた観光客を狙う犯罪者も多々おり、彼等の一夜の酒の為、旅費を失う旅行者を、ヌフは数多く見て来た。
 併し真逆、自分が狙われるなどとは夢にも思わず――その油断こそが、今の状況を作ったのだと、痛烈に後悔する。
「おらっ! どけぇっ!」
 目の前を暴走するスリの前を、驚く人々が危険物でも見るように避ける。実際に危険物を、スリは握っていた。やや錆付いた刃渡り二十センチほどの大きなナイフを出鱈目に振り回し、それを敢えて受けようとする者はいない。
 スリと、彼を追うヌフは、凱旋門の下を走り抜けた。ナポレオンの命で築かれたと言う勝利の証を、泥棒と被害者がくぐる。何とも間抜けな話だ。
 当然、凱旋門の下にも観光客は犇めき合っている。彼等は突然の危険に身を竦め、慌てて逃げて行く。
 が、総ての旅行者が、危険を認識し、逃げられる訳ではなかった。
「危ないっ!」
 スリが向かう先に、銀髪の女性が歩いていた。騒ぎを聞いているのかいないのか、こちらに背を向け、慌てた様子もなく優雅に歩いている。
 その状況をヌフが理解する間にもスリと女性の距離は縮まって行く。最悪の事態が頭を過ぎり、ヌフは思わず叫んでいた。
「やめ――」
「――はっ!」
 空を舞う燕を思わせる、雄々しく美しい声が、エトワール広場に響き渡る。
 誰もが惨劇を予想し、目を閉じる中、ヌフだけが見ていた。
 銀髪の美女が放った蹴りが、スリの側頭部を捉え、打ち抜く光景を。
「………」
 どさりとスリが倒れ、一瞬遅れて、ナイフが石畳を叩く。カラン、と言う乾いた音に、人々がゆっくりと目を開ける。
 声を出せない人々の視線に晒され、美女は銀色のボールを片手に振り返った。
 その後ろには、太陽の掛かるエッフェル塔が聳え立ち、神話の情景を連想させる。
「あ、あなたは、まさか――」
 聞いた事がある。数ヶ月前、ふらりとパリに現れた、女神にも似た東洋人の噂を。
あの子が言っていたわ(Cet enfant dit.)――」
 囁く美女の右手が徐々に上がって行き、
私は、花の園を往き、天馬をも静める乙女(Je pars du jardin de la fleur, meme le Pegasus que c'est la demoiselle qui calme vers le bas.)――」
 その指先は真っ直ぐに、太陽を指し示した。
「花園――静馬よ」

 

Fin.

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